因幡伝説 悪夢の無人島 前編

高瀬甚太

 ――夏が来るたびに思い出す人がいる。鴻上正二、私にとって無二の親友である彼の所在が、行方不明になって三年を数える。
 井森の元に三年前の夏、彼からかかってきた電話が最後になった。
 ――井森、ちょっとばかし旅行に行って来るよ。
 電話に出ると、彼はそう言った。
 「いいなあ、おまえは。いつも自由で。おれなんか、毎日、徹夜三昧の日々だぞ」
 私がうらやましく思って冷やかすと、鴻上は笑って、
 ――でも、今回は違うんだ。ちょっと用ができて……。
 と、いつになく言い訳をしたので驚いた。
 その後、彼は行方不明になってしまった。一カ月目に彼の両親が警察に捜索願いを出したが、警察からは未だに何の応答もないと聞いている。彼はなぜ消えたのだろうか。それを気にしているうちにいつの間にか三年が経過した。
 
 夏の初め、大雨がアスファルト舗装の道路を濡らしていた。梅雨の延長のような鬱蒼とした日であった。編集を終えた私は、久しぶりに退屈な時間を過ごしていた。
 本を読む気にもなれず、かといってテレビを観たり、ビデオを観る気にもなれなかったので、雨の中、外へ出て、商店街をあてもなく散策することにした。
 日本一長いと称される商店街であったが、雨の影響からか、いつもの賑わいはなかった。
 古本屋を冷やかすか、喫茶店で新聞を読んでぼんやり過ごすしか能のない私は、一軒の古本屋に立ち寄り、買う気もない本をぼんやりと眺めていた。
 「編集長!」
 突然、背後から声をかけられ、驚いて振り返ると一人の中年男性が立っていた。男は、髭面の顔に笑顔を浮かべて、
 「私ですよ、カメラマンのはやしですよ」
 と言った。
 「はやし――」
 咄嗟に思い出せず、申し訳なく思いながら聞き返した。
 「カメラマンのはやしさんと言いますと……?」
 男は笑って、懐から名刺を取り出した。
 『つばめスタジオ 囃子 惣吉』
 その名刺に書かれた名前を見て、ようやくわかった。
 「ああ、あの囃子さんですか。どうもお久しぶりです」
 囃子の名字を見て、昔、一度、一緒に仕事をしたことを思い出した。
 「その節はどうもお世話になりました」
 髭面で体格のいい囃子は、以前と比べて、ずいぶん様子が違って見えた。 それで井森もすぐには思い出せなかったのだ。
 「いえいえ、その節はお世話になりました。でも、ずいぶん様子が変わりましたね」
 井森がそう言うと、囃子は照れた顔をして、
 「いろいろありましたから……」
 と意味ありげに答えた。
 以前の囃子は、髭もなく、育ちの良さを感じさせるおっとりした風貌で、体格も今ほど立派ではなかった。第一、今は陽に焼けて真っ黒だが、当時は透き通るように白い肌をしていた。
 「編集長、もし、お時間があれば、コーヒーでもご一緒願えませんか」
 何かを伝えたいそぶりの囃子を見て、私は囃子と共に古本屋を出た。
 商店街の中にいくつかある喫茶店の中で、一番古いと言われる喫茶店に入った囃子は、
 「ここのコーヒーは、この界隈で一番苦いコーヒーなんです」
 と説明し、コーヒーの効能を思い入れたっぷりに私に話して聞かせてくれた。
 コーヒーが届くのを待って、私は囃子に聞いた。
 「何か、話があったんじゃないのか?」
 囃子は、小さく頭を振って、
 「実は編集長もご存じの鴻上さんのことで――」
 と堰を切ったように話し始めた。
 
 ――八年ほど前から旅に目覚めて、日本は言うに及ばず、世界各国を旅して、撮影三昧の日を過ごし、ようやく旅の仕事の注文が来るようになりました。ちょうど一年前のことです。日本海に浮かぶ島々を撮影する企画の依頼を受けて、一カ月間、島根県へ行きました。島根にはいくつかの島があって、その中に因幡島という伝説の無人島があることを知り、雑誌社に相談の上、撮影に出かけました。
 因幡島は不思議な島で、ほんのわずかですが定期的に島の位置が移動することで知られている島です。一見、人が住める島のようにも見えますが、土地の人は、住むことができない島だと恐怖心を込めて語ります。興味を持った私と雑誌社の編集担当者は、高速船をチャーターしてその島に向かいました。
 松江港から約1時間半、波の荒い日本海を進むと緑の木々に覆われた島が見えてきました。思っていたよりも大きく、これほど緑豊かで、大きな島が無人島であることが意外に思えたので、高速船の船長に尋ねました。
 「なぜ、人が住まないのですか」と。すると、本土で聞いたと同じ答えが返って来て、「伝説の島だから」と口ごもって言います。それ以上、聞いても何も答えてくれず、仕方なく、自分の目で確かめるしかない、そう思って島に着けてくれと頼みますと、それはできないと言います。島を観るだけで我慢しろというのです。私たちは仕事で、島の内部を撮影するために来たと説明したのですが、なかなか応じてくれません。
 押し問答を繰り返しているうちに、船長が、意外な言葉を口にしました。
「三年ほど前に、同じようにここまで案内した客がいたが、その客は、わしらの言うことを聞かず、船に積んであった救命用のボートに乗って、島へ向かった。翌日、島の近くまで迎えに来ると約束して、次の日、ここまで来て、島に向かって合図をしたが何の返答もなかった。心配になったので翌日もまた、ここへ来て合図を送ったが、やっぱり何の合図も返さなかった。一応、警察へは届けておいたが、警察も、あの島に入ることは躊躇して捜査を断念した経緯がある」
 その話を聞いて私たちは島へ入ることを断念し、松江港で下船して、すぐに警察へ向かいました。島へ向かった人物が何者か、気になったからです。
警察で雑誌社であることを名乗り、三年前、島へ入って消息を絶った人物がいるが、名前を教えてもらえないかと尋ねると、すぐに教えてくれました。名前を聞いて驚きました。鴻上正二さんだったからです。
 警察は、因幡島のことをこう語りました。
 「あの島は、島そのものが生き物のような島です。だから木々が生え、緑も多く、一見、穏やかな島のように見えますが、あの島へ行った者で帰って来た者はこれまで一人もいませんし、鳥や虫たちも寄り付きません。唯一、植物だけが生存していると言われていますが、その生態はしっかりと把握できていません。伝説の島と言われるのは、神々に対抗する悪魔たちが神の姿を装って、島を支配し、神々を襲った話が伝えられているところからきています」
 私は、警察に対して、自分の知人があの島で行方不明になっている、何とかできないかと直談判しました。だが、警察は、あの島には近寄れない。近寄ると危害が加えられ、私たちの命さえ危ない、と真顔で言うのです。
 二十一世紀のこの時代にそんなバカな話がと思ったので、ここでダメなら県警へ行って直談判する、と言いましたが、県警でも同様の理由で捜索を断られました――。
 
 ひと通り話した後、囃子は私に向かって、
 「編集長は鴻上さんと親しい仲と聞いております。編集長のお力で鴻上さんを救い出していただけませんでしょうか」
 と頭を下げた。
 鴻上が行方不明になって三年になる。その間、私はずっと彼の消息を心配してきた。その彼が因幡島という島に――。にわかには信じがたいことだったが、囃子の話に嘘のないことだけは理解できた。
 「私も鴻上のことをずっと気にしてきました。ただ、私に何ができるかと問われても何もできません。私は一介の編集長にしかすぎません。私の力なんて――」
 「いえ、編集長は、不思議な力をお持ちの方だと聞いています。今、頼れるのは、鴻上さんの大の親友である編集長だけです。費用や、出版の仕事が頓挫する期間の費用は、私たちが工面してお支払いします。何とかお願いできませんでしょうか」
 私は、大きく首を振って抵抗した。いつもこのパターンで、しなくてもいい苦労を背負ってしまう。今回だけはごめんだと思った。
 「誤解しないでもらいたい。私は何の能力も持たない普通の編集長でしかない。きみが言うような不思議な力など持ち合わせていない。私が行っても果たして何ができるか……」
 「編集長は鴻上さんのことが心配ではないのですか?」
 囃子は、違った角度から攻めてきた。私の一番弱い部分だ。
 「それは心配だよ。すごく、多分、他の人より私の方が――」
 囃子は、ニッコリ笑って、私の手を握り、言った。
 「じゃあ、お願いします」
 「しかし、私には悪魔に対抗できる力なんてないし……」
 「編集長は、これまで数々の事件を解決しています。しかも今回のような不可思議と思われる事件をです。それに興味もあるはずです。編集長は日本一、好奇心旺盛な方と聞いていますから」
 囃子に押し切られる形で、私は渋々因幡島行きを承諾することになった。鴻上のことが気になって仕方がなかったこともあるが、今回だけは自信がなかった。それでも行かなければならない。島根県へ、因幡島へ――。
 
 島根県松江市に到着した私は、因幡島に関する資料を集めようと思い、郷土資料館や県庁を訪ねたが、因幡島の文献はどこにも存在せず、その名前すら見つけることができなかった。
 途方にくれながら松江港に向かう途中、一軒の食堂を見つけた。『因幡島』と名付けられた店名が気になったからだ。港に近く、商圏とはかけ離れた場所に一軒だけ孤立するかのようにその店があり、偶然、見つけたものの、見つけたのが不思議に思えるほど小さな店だった。
 ガラス戸を引いて中に入ると、意外に人が入っていることに驚かされた。 7卓のテーブルに二十八脚分の椅子。そのうち半分ほどが埋まっていた。客を観ると観光客は少なく、地元の人がほとんどのように思えた。
 注文を聞きにきた色白の若い女店員に、
 「ここは何がおいしいですか?」
 と聞くと、女店員は、笑って言った。
 「安心してください。不味いものはありませんから」
 そう言って、女店員は私に『因幡島定食』を勧めた。
 因幡島定食の中身は、日本海で獲れる魚の刺身を盛った定食だった。新鮮な魚の中になぜか小さなトマトのような白い野菜のようなものが含まれていたので不思議に思って尋ねると、女店員は、白い野菜は因幡島で採れた、新種の野菜だと私に説明をした。
 驚いた私は、
 「因幡島は誰も入れない島なんじゃないですか?」
 と聞いた。すると、女店員は笑って、
 「入れないんじゃなくて、入らせてもらえないんです」
 と答えた。
 「実は私――」
 と因幡島定食を口にしながら、因幡島へ行って行方不明になった友人を探しに来たことを女店員に告げた。
 女店員は、
 「1時間ほどしたら店が空きますから、それまで待っていただけますか」
 と言って、あわただしく厨房に向かった。客はどんどん入って来る。その客の対応に追われながら女店員は厨房と店内を行き来した。
 ちょうど1時間ほど経つと、女店員の言った通り、客のほとんどがいなくなった。
 すべての客が去った後、店を閉めた女店員は、厨房で働く男性と一緒に私の席にやって来た。
 「この店を経営している島田勇作と申します」
 と厨房で働く男が名前を名乗り、女店員も、
 「妻のみどりです」
 と名乗った。私も、
 「井森です。よろしくお願いします」
 と名乗り、出版社を経営していることを告げた。
 「島に行かれて行方不明になっている方というのは――」
 島田に聞かれたので、
 「鴻上正二という男性です。三年前、因幡島に単身入り、そのまま行方知れずになったと友人から聞いて、消息を確かめたいと思ってやって来ましたが、因幡島に関する資料がなく、警察に相談しても難しいというだけで、困っております」
 と話した。
 島田と妻のみどりは、互いに顔を見合わせ、何かを相談している風だったが、やがて意を決したかのように私の前に座り直し、
 「鴻上正二さんですね。存じ上げています」
 と答えた。
 「鴻上を知っている!? 彼は生きているのですか」
 驚いて尋ねると、島田は、
 「はい、元気でおられます」
 と確信を持って答えた。
 「鴻上は、どこにいるのですか?」
 尋ねると、島田は困った顔をして、
 「それは言えませんが元気です」
 とだけ答えた。
 「因幡島にいるのでしょ。そうなんですね」
 畳み込むようにして私が問いかけると、島田は、困ったような表情を浮かべて沈黙した。何か事情があるのだろう、島田の様子からそれが窺われた。
 「因幡島のことをご存じでしたら教えていただけませんか」
 単刀直入に聞くと、島田と妻のみどりは顔を見合わせ、どうしようかと悩んでいるように見えた。やがて、島田が井森に言った。
 「これからお話することを公言しないと約束していただけますか?」
 私が深く頷くと、島田はゆっくりとした口調で語り始めた。
 
 ――鴻上さんのご友人だとお聞きしてお話しします。因幡島はご存じの通り、数々の伝説に包まれた島で、無人島ということになっており、人が住めない島であるということが定説になっています。
 しかし、それは伝承であり、作られた噂で、昔はたくさんの人が住んでおりましたし、少人数ですが今も人が住んでいます。あなたのご友人の鴻上さんも現在はあの島で暮らしています。
 一般の方々があの島に近づかないのは、あの島には悪霊が存在すると信じられているからです。島が動く、島に入ると命を奪われる、植物以外生存しないなど、さまざまな形で島の伝説が流布されているのはご存じのことと思いますが、今まで、興味半分であの島に近づいた多くの人は、発狂するか、精神がやられるか、ひどい時は命を失うなどして、被害にあっています。そういうこともあって、いつしか、因幡島は、悪霊の漂う伝説の島であるということが定説になって一般の人が敬遠する島になりました。
 私と妻は因幡島出身です。というよりも生まれ育ったのが因幡島であると言った方が正しいでしょう。幼い頃に父母と共に本土へやってきましたが、みどりの祖父母と私の祖父母は今も因幡島でひっそりと暮らしています。
現在、因幡島には十数名の老人が暮らしています。電気もガスも何もない島ですが、水も生活資源も豊富でそれなりに暮らせるようです。鴻上さんの祖父母もあの島の出身で、三年前、祖父母の様子をみるためにやって来て、島の老人たちの世話をしながら今もあの島で暮らしています。
 古事記に書かれた「いなばの白兎」の話をご存じですか。少し、その話をさせていただきます。
 大穴牟遅神(大国主命)の兄弟(八十神)たちは、稲羽の八上比賣に求婚したいと思い、国を大国王に譲って、稲羽に出かけた時、八十神は、大穴牟遅神に袋を持たせ、従者のように引き連れました。
 大穴牟遅神が「気多の前」に来た時、裸の兎が伏せっていました。兎は、「海塩を浴び、山の頂で強い風と日光に当たって、横になっているように、と八十神に教えられ、その通りにして伏せていたのだが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、傷みに苦しんで泣いている」と、大穴牟遅神に語りました。
 兎は、「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がなく、そこでワニザメ(和邇)を欺いて『私とあなたたち一族を比べて、どちらの同族が多いか、数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から「気多の前」まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれたワニザメたちは列をなし、兎はその上を踏んで数えるふりをしながら渡り、今にも「気多」の地に下りようとした時、兎は、『お前たちは騙されたのさ』とつい口にしてしまいました。怒ったワニザメたちは、兎を捕らえて毛を剥いでしまいました。それを嘆き悲しんでいたところに、八十神たちがやってきて兎に言いました。『海で塩水を浴びて、風に当たって伏しなさい』。そうしたところ、兎の身はたちまち傷ついてしまったのです」
 それを聞いた大穴牟遅神は、兎に言いました。
 「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲の穂を取って敷き散らして、その上を転がって花粉を付ければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えました。
 そうするとたちまち兎の体は回復したのです。これが有名な稲羽の素兎の伝説です。
 兎は、「八十神は、八上比賣を絶対に得ることはできません」と大穴牟遅神に言い、八上比賣もまた、八十神に「あなたたちの言うことは聞かない」とはねつけ、大穴牟遅神に「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」と言いました――。
 この時、八上比賣を得られなかった八十神の呪いが、因幡島に込められたというのが、因幡島伝説となり、以後、この島を悪霊が支配するようになったと言われています。
 
 島田はそう語ってお茶を口にした。私は、島田に、
 「人が住めない島とか、植物しか生存しない、あるいは島が動くと因幡島のことをお聞きしましたが、あれは真実なのですか?」
 と聞いた。すると島田は小さく笑い、
 「因幡島に近づくことは昔からタブーのようになっています。人を近づけないようにと、さまざまな伝承があることは存じています。ですが、その大部分は誇張されたもので、真実とは程遠いものがあります。ただ、一般の人があの島に近づけないということは確かです。あの島の周辺には独特の潮流があり、何も知らない人があの島を訪ねようとすると、潮流に巻き込まれて遭難や溺死するなど、ひどい目に合ってしまいます。あの島へ行くのは、島のことをよく知っている島民しか行くことができません」
 それ以上、詳しいことを島田は語ろうとしなかった。もしかすると、自分に語れない秘密がまだあるのかも知れないと私は思った。だが、それ以上に私は、鴻上のことが心配だった。ぜひ、無事な姿を見届けたい。そう思って、島田に言った。
 「因幡島へ行きたいのですが、連れて行ってもらうことはできませんか。あなたのお話をお聞きして、鴻上が元気でいることを聞き、少し安心しました。でも、できればこの目で鴻上を確かめたいのです。お願いです。私を因幡島に連れて行ってもらえませんか」
 島田は困惑した表情を浮かべ、みどりと顔を見合わせると、
 「少しお待ちください」
 島田はそう言ってみどりと共に厨房へ向かった。
 松江市に着いて、さまざまなところで見聞きしたのは、因幡島を知らない人が大半だということと、県や郷土館に行っても資料がまるで見当たらないということだった。地図にさえ記されていないあの島は、県の係や警察に聞いても、何の知識もなく、「聞いたことがあるが――」とか、「あの島は危険な島で、寄りついてはいけない」と言われ、ほとんど話らしい話を聞くことはできなかった。それが偶然にも港に近いこの場所でこの店を見つけ、ようやく手がかりを得ることができた。この上は何としても島に行きたい。そして鴻上の無事をこの目で確かめたい。私はその思いで一杯になっていた。
だが、厨房から再び私の前に現れた島田夫婦の顔は曇っていた。
 「井森さん。まことに残念ですが、あなたを危険な目に合わせることはできない。島へ行く話はあきらめてください」
 島田の言葉を聞いても、私はあきらめなかった。
 「島田さん、お願いします。私は、どうしても鴻上に会わなければならない。鴻上の無事を確かめ、彼と話ができればすぐに帰ります。だから、お願いです。どうか、私が島へ行くことに協力してください」
私 は必死になって島田を説得した。しかし、島田はますます表情を曇らせ、
 「よそ者があの島へ行くとろくな目に合いません。悪霊の島だと昔から一部で囁かれていますが、そのことについては信憑性があります。だから、やめた方がいいと思います」
 と言い、私を島へ連れて行くことに賛同しなかった。
 断られると余計に意地になるのが昔からの私の悪い癖だ。私は、どんな目に合っても文句は言わない。その覚悟はできている。そう言って、島田に懇願した。
 私のあまりのしつこさに呆れたのだろう、島田は、
 「仕方がありません。では、あなたを島へお連れします。ただ、島の周辺の潮流の関係で今日はもう無理です。出発は明日午前4時、それまで私たちの家でお休みください」
 島田は渋々承諾し、私を自分の家に案内した。
 島田の家は食堂から2キロほど離れた、港を見下ろす小高い丘の上にあった。
 島田夫婦と共に島田家に到着した私は、二階にある一室を与えられた。四畳半ほどの部屋に入ると、窓から港が望め、日本海が一望にできた。
 「以前、あなたと同じように、因幡島へどうしても行きたいとおっしゃった人がいて、島へご案内したことがあります。古代神話を研究なさっていた教授で、因幡島を研究しているのだとおっしゃいました。ところが、島に着いて二日目に発狂して、海に飛び込み、命を失くされました。彼だけではありません。今まで多くの研究者や調査の方が命を失っています。だから、本当はあなたをお連れしたくなかったのです」
 島田は、海を眺めている私にそう言った。私は、そんな島田に、
 「島田さん。私なら覚悟はできています。たとえどんなことが起ころうとも、後悔はしません」
 と、はっきりと伝えた。
 鴻上に会いたい、島の真相を知りたい。その気持ちがさらに強くなっていったからだ。
〈つづく〉


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