息子よ、お前に伝えたい俺の料理包丁

高瀬 甚太
 
 料理人は「包丁が命だ」とは、新谷次郎が常々口にしている言葉である。
六十半ばになってもまだこの仕事を現役で続けていられるのは、包丁の扱いに衰えが見えないからだと、新谷は自負し、それを息子の孝志に伝えたいと口癖のように語っていた。
 新谷の息子孝志は、新谷が三十歳の時の子どもだ。
 新谷が結婚をしたのは二五歳の時で、五年間も子どもが出来なかったことになる。あきらめかけた時に出来た子どもだから尚更かわいい。しかも新谷が待ち望んでいた男児だった。
 
 ――中学を出て鉄工所に就職をした新谷は、そこで古参の工員と口論になり、一悶着があった後、日を置いて再びその工員と喧嘩になった。その時、新谷は隠し持っていた包丁でその男を刺した。十五歳の新谷は警察に逮捕され、情状酌量の余地があると裁判所で認められたものの、少年鑑別所送りになった。幸い、古参の工員の傷は浅く、二週間で退院という軽いものだった。喧嘩の原因は、古参の工員が入社したばかりの新谷に目を付け、必要以上のいじめをしたことにあった。そのことは、工場の人間の多くが証言している。
 十七歳で鑑別所を退所した新谷は、自分の行く末はヤクザしかないのではと諦め、鑑別所で出会った仲間の暴力団事務所に居候を決め込んだ。
 しばらく暴力団の使い走りをしていた新谷だったが、その町で中学時代の友人、矢沢健司と出会う。矢沢もまた一時はアウトローの道に染まりかけていたものの更正し、今は料理の道を目指して修行を重ねていた。
 汗まみれになって皿を洗い、掃除をし、黙々と働く矢沢には、中学生時代の喧嘩に明け暮れていた当時の荒んだ様子は皆目見られなかった。矢沢は、新谷を見つけると、懐かし気な表情を浮かべて白い歯を見せた。その清々しい笑顔を見て新谷は、派手な格好をしてぶらぶら歩いている自分が気恥ずかしく情けなく思えてきた。言葉こそ交わさなかったが、新谷が小さく手を振ると、矢沢は照れ臭そうに手を振り、頑張るぞと握りこぶしを作ってみせた。
 矢沢との再会がきっかけで、新谷は事務所を出ることを決意した。
 矢沢に刺激を受けた新谷は、組事務所を抜け、日本料理の店に入り、修行することを決心した。組事務所を抜けるにあたっては一悶着あったが、正式に組員として認められていたわけではなかったので、それほど時間を要しなかった。
 少年院時代世話になった教員の紹介で関西の老舗料理店を紹介された新谷は、そこで見習いとして働くようになった。日本料理の料理人として認められるようになるには相当過酷な修行が必要とされる。だが、新谷には、それを乗り越えるだけの強い意志と思いがあった。全国のさまざまな日本料理店で修行し、腕を磨いた新谷は、二三歳の若さで小さな、しかし名店のチーフを任される。
 その料理店で新谷は、後に妻となる女と知り合うことになる。その女、弥生は店の仲居をしていて、新谷より三歳上の離婚経験者だった。
 器量や見てくれより、心根の温かさを欲していた新谷は、弥生の配慮に満ちたしぐさややさしさに惚れ、結婚を申し込んだ。だが、弥生は新谷を受け付けなかった。幼い子どもがいたこともその理由の一つだったが、前夫のDVの恐怖が抜け切れておらず、男性に対して強い恐怖心を抱いていた。
 新谷はいかつい顔をしていて、おまけに坊主頭で体も大きかった。目つきも決していい方ではない。しかも鑑別所に入所していた過去があると聞けば、弥生でなくても尻込みしたに違いない。
 しかし、新谷はあきらめなかった。弥生が心変わりをするまで根気よく待つことを決め、そのことを弥生に告げた。
 当初は、新谷の風貌と過去の経歴に恐れを成していた弥生だったが、男らしく堂々と自分に接する新谷を徐々に気に止めるようになった。
 出会いから半年で、新谷とすっかり打ち解けた弥生は、自分の境遇と過去を赤裸々に話し、それでもいいかと新谷に確認をする。
 貧しい家庭に育った弥生は、中学時代から内職をし、卒業と同時に大阪の繊維工場へ就職をした。そこで三年働いた後、同じ工場の工員であった男と交際をするようになり、十九の年に結婚をする。二十歳で第一子を産んだ弥生は、結婚当初から始まった夫のDVが生まれたばかりの子どもに及びそうなことに耐えられず、幼子を抱えて家を出た。
 二年後に正式に離婚、家を出てからの弥生は、北陸の温泉地で仲居として働き、各所を転々としながら子どもを育ててきた。
 新谷はそんな弥生のすべてを受け入れ、連れ子も大切に育てると約束をした。実際、新谷は連れ子である、直美のことをことのほか可愛がった。
 そして五年後、新谷に待望の男児が誕生する――。
 
 新谷は、男児に孝志と名付けたが、その名前で呼ぶことはほとんどなく、幼い頃から「ぼう、ぼう」と呼び続けてきた。一時は、弥生に「子どもをそんなふうに呼ぶのはやめてください」と厳しく言われたこともあったが、それでも新谷は構うことなく「ぼう、ぼう」と呼び続けた。それには一つの理由があった。漁師だった新谷の父親は、新谷が幼い頃に海で命を落としている。その父親が幼い新谷を「ぼう、ぼう」と呼んで可愛がった。だから自分も子どもが生まれたら、同じように呼んでやろうと、ずっとそう思っていたのだ。
 新谷には子どもの将来について夢があった。
 どうせ自分の子どもだ。頭はよくないだろう。だったら自分と同じ料理の道へすすませよう。そして自分の技量のすべてを子どもに教え込むのだ、そう思っていた。
 だが、孝志は新谷とはまるで違った。喧嘩が強いところこそよく似ていたが、学校の成績は群を抜いていた。小学校入学の頃から高校までずっと首席を通してきた。
 新谷は、高校を卒業したら料理の道へ進むよう何度か孝志を説得したが、孝志は学校の薦めもあって有名国立大学へ進学、その後も大学院へ進み、教師の道を目指すようになった。
 新谷は、いつか孝志が料理の道へ進むようになったら、その時、使わせようと思い、一本の包丁を磨き続けてきたのだが、今はそれも押入の中で眠ったままになっている。
 友人の多くが新谷の孝志のことを、本当におまえの息子なのか、と疑いの目で見るほど、父親、新谷との落差があまりにも大きかった。
 新谷の息子自慢は学力だけではなかった。喧嘩も強く、空手で世界選手権に出場した経験もあった。今も学業の傍ら、空手道場のコーチをしているほどだ。
 唯一、新谷が残念に思っていることは、孝志がまったく料理に興味がなく、料理を作ることに対してまるで関心を持っていないということだった。
それは孝志が子どもの頃から変わらない。幼い頃、興味を持たせるために包丁を握らせると途端に泣きだした。小学校へ行くようになっても中学生になってもそれは変わらず、新谷の期待はそのたびごとに裏切られ続けてきた。
新谷の妻は、孝志が夫とは違う道を歩んでくれたことを喜んでいた。料理の道が人並み外れて苦労の多い道だと知っていたからだ。夫と同じ苦労をさせたくない。その母心もあったようだ。
 「ぼう、ぼう……」
 新谷は今でも孝志を呼ぶ時、そう呼んでいる。人前であろうと何だろうと構わない。大学院を出た偉い教師であっても、新谷にとっては「ぼう」だ。
そんな孝志から正月に帰ると連絡があったのは、十二月三十日のことだ。新谷は、孝志の家族のために最高の料理をつくってやろうと思い、おせち料理の用意を始めた。
 だが、材料を買い求め、いざ作ろうとした途端、持病の腰痛が起こった。立つこともままならないぐらいの激しい腰痛だった。妻に手を貸してもらい、妻の運転で接骨院に向かった。そこで幾分楽になったが、料理を作ることはかなわなかった。しばらく体を休めないとすぐに再発する、接骨院の院長には厳しくそう告げられていた。
 妻が代わりにつくろうかと言ったが、妻にはおせち料理が無理なことはわかっていた。もう少し体を休ませて、それからにする、新谷はそう伝えて布団に体を横たえた。
 「ただいま!」
 そんなところに孝志たち家族が帰ってきた。「予定より早くなった」と言う声が入り口から聞こえてきた。新谷は体を起こして迎えようとするが、起き上がることさえできない。
 「どうしたの、父さん」
 部屋に入ってきた孝志は布団に横たわっている新谷を見て驚いた。
 「ぼう……か、わし、腰やられてしもうてな。動かへん。世界一うまいおせちを作ってやりたいと思うてたんやけど、それもできへんようになった。すまんなあ」
 新谷は布団にうつ伏せになったまま申し訳なさそうに言った。年老いた新谷にとって、子どもに自分の作った料理を食べさせることだけが楽しみだった。それが出来ない悔しさに思わず涙ぐんだ。
 「父さん、教えてくれたらぼくがつくるで。布団に寝たまま、ぼくに指示してくれ」
 孝志は、上着を脱ぎ、シャツの腕をたくし上げるとエプロンを着け、新谷にそう言った。
 「ほんまかいな。ぼう、料理は苦手やなかったんかいな」
 「苦手や。でも、ぼくかて、父さんの子どもや。父さんが指示してくれたら立派につくれると思う」
 新谷は、思い出したように孝志に言った。
 「ぼう、押入の中に包丁が一本入っている。その包丁は、昔、ぼうが料理人になった時のためにと思うてわしが込めて磨き上げた包丁や。その包丁、使ってくれ」
 孝志はすぐに押し入れに行き、そこでさらしにくるまれた一本の包丁を見つけた。
 さらしを取ると見事に磨き上げられた包丁が出てきた。父の愛情が籠った包丁だと知った孝志は、それを手に取ると、父親に向かって大きな声で言った。
 「父さん、何でも言うてくれ。これは魔法の包丁や。この包丁だったら、料理音痴のぼくにも父さんに負けない料理がつくれそうや!」
 
 その日、新谷家は大忙しだった。布団に横たわる新谷の指示で、孝志が包丁をふるう。その横で、孝志の妻が補佐をする。新谷の妻はそんな二人をおろおろとした表情で見つめている。
 「父さん、どないや」
 孝志が新谷の前に重箱に詰めたおせちを持って来た。
 ひいき目に見ても及第点をやれるようなおせちではなかった。それでも、新谷は、その料理を称えた。
 「初めてにしては上出来や。立派に出来てる。ぼう、これが新谷家のおせちや。よう覚えておきや」
 孝志夫婦は、料理人の父親に褒められて嬉しかったのか、抱き合って喜んだ。その姿を見ているだけで新谷は嬉しかった。新谷の幸せは孝志の幸せと結びついている。孝志が幸せでなければ、新谷も幸せではない。今、新谷は心から幸せだと思った。
 「父さん、この包丁、どうしようか? 押入に直しておこうか」
 料理を終えた孝志がそう言った時、新谷は、
 「あほ言え、それはおまえにやるために置いておいたもんや。その包丁でたまに料理をつくってやってくれ」
 孝志は、「ありがとう」と言って、その包丁をさらしに巻き、カバンの中に入れた。
 正月になってようやく新谷の腰は回復の兆しを見せ始めた。起きあがり、歩くことが可能になり、孫たちと遊ぶことが出来るようになった。
孝志たちは正 月三日目の朝、帰る予定になっていた。それまでに新谷は一つだけ、どうしても伝えておきたいことがあったことを思い出した。
 二日の 夜、新谷は孝志を呼んだ。
 「ぼう、ちょっと来てくれ」
 子どもたちと一緒にテレビを見ていた孝志はすぐに新谷のそばにやってきた。その後ろに三歳になる孝志の息子、博司も一緒についてくる。
 「ぼうに一つだけ教えておきたいことがあるんや」
 「……」
 孝志は黙って新谷の話を聞いている。
 「包丁の研ぎ方や」
 そう言うと、新谷は、孝志に包丁を持って来るよう言い、研石を出した。 新谷は、
 「包丁というものは、研ぎ方一つで大きく変わる。研ぎ方にはいくつかの方法がある」と言って、包丁を研ぎ始めた。
 「父さん、腰は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫や。それよりもわしの研ぎ方、ようみといてくれ」
 新谷は、孝志の前で包丁を研ぎ始めた。孝志が料理などつくることはないだろうということはわかっていた。関心が薄いことも知っている。今回は新谷を喜ばせるためにつくってくれたが、そうあることではないこともわかっていた。それでも新谷は父親として、孝志に何かを残したかった。それが包丁の研ぎ方だった。
 包丁の研ぎ方はやさしいものではない。新谷は見習い時代、先輩料理人に何度も怒られながら修行した。深夜、全員が寝静まった頃に、一人包丁を研ぎ、涙を流したことが何度もあった。それでも新谷は教えずにはいられなかった。孝志もまた、真剣に包丁を研ぐ父親の姿に見入っていた。
 
 翌朝、さらしに巻いた包丁を大切にカバンにしまった孝志が、
 「父さん、ありがとう」
 と深々と礼をし、家族と共に去っていった。
 孝志が去った後の新谷家は、また元の静かな二人だけの時間に戻った。孝志の家族がいた時はあれほど早く過ぎた時間が、今はゆっくりとした流れを刻んでいる。
 「寂しいわ」と弥生が繕い物をしながらつぶやいた。
 「なあに、桜の咲く頃になれば、また帰ってくる。その時には腰を完全に治して、あいつらに世界一おいしい魚料理を食べさせてやりたいものだな」
縁側に立つと、白い雲が青空に鏡餅のような形で重ね合って浮かんでいた。
 「おい、あの雲を見てみろ。おかしな形をしているぞ」
 繕い物の手を止めて、弥生が新谷のそばに来た。
 「ちっともおかしくないですよ。普通の雲じゃないですか」
 新谷が見た時は鏡餅のような形をしていたが、今はごくありふれた雲の形に変わっている。変わるもの、変わらないもの、人生はさまざまだ。雲のように時は淡々と流れていく。今ここにある幸せが明日につながるようにと、新谷は弥生の肩をしっかりと抱いた。
 
 一カ月ほどして孝志から手紙が届いた。その手紙の中に一枚の写真が入っていた。
 台所で料理をつくっている笑顔満開の孝志の写真だった。その手に握られていたのは、新谷が精魂込めて磨き上げたあの包丁だった。
〈了〉

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