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ただラーメンを食べたいだけなのに、こんなにも骨が折れるなんて 第三話 中華そば屋佐藤

福島県の駅前でレンタカーを借りた伊藤洋平は、伊達にある霊山インターチェンジから東北自動車道に入り、福島県相馬市に向かって車を滑らせた。

相馬市は福島県から東へ一路海へ向かった先にある。
福島市からは山と谷を越えていくため、高速自動車道はトンネルと橋桁が交互にやってくる。道幅は狭く、一車線の部分も多い。

「ここで敵からロケット弾を撃ち込まれたらひとたまりもないな。まさに危ない橋だぜ…」
洋平は独りごちた。

洋平は元外国人部隊の傭兵だった。
フランスで20代まで過ごした彼は民間警備会社から傭兵部隊に転籍した。そこで、唯一の日本人、山口荘と出会い、様々な作戦を共にした。兄貴分として洋平は慕っていた。

しかし、山口は中東作戦中の橋の破壊工作任務中に殉職した。
敵からの急襲に遭い、部隊が全滅したのだ。情報が漏れていたとの噂が流れていた。

橋は危ない。
洋平にはそんな印象がついていた。
「おっと」
昔のことを考えていたら、すぐに対向車線にある鉄柵が間近に迫っていた。慌ててハンドルを切る洋平。
「こんな些細なことで命を落とすこともあるか。いや、平和ボケというやつだろうか」
洋平はフロントガラスの上に広がる空と雲を見た。
怪しげな雲行きだった。

そこから1時間弱車を走らせると相馬山上インターチェンジで高速を降り、一般道を海に向かって走った。

既に相馬市に入っていた。
ここが先輩の街か。どの辺りに住んでいたのだろう。確か海には近かったと言っていた。
洋平は、海岸へ車を駆った。
対向車はどんどん少なくなっていく。

海岸付近まで走ると、真新しい板がたくさんあった。
車を止めて、洋平は辺りを覗き込んだ。波の音は聞こえるが、まだ少し遠いようだ。そして、防波堤の手前にはその真新しい板の囲いがたくさんあった。その中には防風林の苗木がたくさん植えらていた。

「そうか…」
全てが流されたのだ。あの日。防風林も。

洋平はパリにいてテレビでそれを見た。日本で起こっていることだとは始めは気がつかなかった。

「おまえの家族は大丈夫か?」
何人かの同僚に聞かれて初めてそれが日本の福島だと気がついた。福島だけではなく、東京も大きく揺れ大規模な停電が起こっていた。

洋平は慌てて東京の実家に電話した。始めは電話が通じず、気が動転した。しばらくしてから元気な母の声を聞いて安心したのだった。

洋平はその苗木を見て、本当に起こったことなんだと、今更ながら現実感が湧いた。

再び車に乗り込み南相馬方向へ向かった。対向車はほとんどおらず、淋しい道だった。
暫くすると、大きな風車が見えて来た。

洋平は風車は嫌いだった。異様な大きさとゆっくりと回る羽根を見ていると不気味な光景に背筋が薄寒くなる。まるで世界が滅びた後のような気がした。

しかし、その根元に向かう小道を見つけると、怖いもの見たさかハンドルをそちらに向けて回転させた。

しばらく進むと、海岸に出れるところまで道が続いていた。
そこに車を滑り込ませると、すでに駐車場には何台かの先客がいた。

サーフィンか…こんなところで。奥でサーフィンに興じる者たちが見えた。
人間というのは強いものだ。この海でサーフィンをするなんて想像もつかない。津波の印象は薄れているのだろうか。まぁそれも復興の一つなのかもしれない。
洋平はそんなことを考え海岸を歩いた。

しばらく歩くと奥に異様な動きをするものが目に入った。
すかさずポケットに手を突っ込んだ洋平。
しかし、よく見ると、それは馬だった。

慌ててポケットから手を出した。中指に触れたダガーナイフの柄の感触が残る。

なんとも不思議な光景だった。
山口さん…ここでは馬もいますよ。なんだかいいところですね相馬は、先輩。

確か、ノルマンディーに遊びに行ったときも、こんなふうに海岸で馬に乗っていた人がいたっけ…

不思議なものです。フクシマとパリは繋がっているのかな、先輩。
洋平は眼からなぜか涙が溢れた。あの訃報を聞いた時、なんだか信じられなかった。嘘のような気がしていた。涙も溢れなかった。
なんと俺は白状な奴だと、そう思い込んでいた。

違ったのだ。
ただリアルでなかっただけなのだ。
福島の津波がリアルに感じられなかったあのテレビの映像と同じだった。

相馬のうら悲しい海岸の上にある、この垂れ込めた雲と、テトラポッドに打ちつける白い波飛沫、そして、馬。
そのアンバランスな光景に、現実感が一気に押し寄せた。

あの時の津波と先輩の死と。

洋平は溢れる涙を、止めることもできず、そして眼を瞑ることも出来なかった。ひたすらこの海岸と馬の景色を凝視していた。

この涙が止まる時、きっと先輩への供養が終わる、そんな気がした。

洋平は涙が止まると、車に積んできたポインセチアを取りに戻り、海岸のそばの花壇に植えた。先輩への手向け。ちょうどいいような気がした。

「いらっしゃいませ」
洋平は人差し指を立てた。
「おひとり様ね、こちらどうぞ」
カウンターに案内される。

洋平は、相馬への用事は終わった気がして福島に戻ってきた。帰り道、市内のラーメン屋に寄った。腹が減っていた。

中華そば屋佐藤。
シンプルな店構えだが、駐車場が広いということは名店なのだろうと想像できた。
夕方だったため、すんなり入店できた。

「チャーシュー麺を」
「あいよ」
麺を待っている間に席はあっという間に埋まった。やはり人気店のようだ。

「お待たせしました」
優しげな女性店員が丼を運んできた。

「み、見事なビジュアル…」
ため息をつく洋平。白河ラーメンか。スッキリした醤油スープ。
洋平は唾を飲み込んだ。

スープを一口啜り、眼を見開く洋平。
う、うまい。アッサリしているのに深い味わい。スッキリした醤油なのに旨味がある。鶏と魚の出汁がダブルで効いている。

そして、この縮れた麺。ツルツルとしているがスープをうまく運ぶ。噛むともちもちしてうまい。
そして、この2種類のチャーシュー。素朴な味だが少し硬めで醤油の味が口に広がる。このスープと絶妙なバランス。

先輩、うまいですよ、福島のラーメンは。パリでも一緒に行ったけど…ここで食べたかったな。
洋平は心の中で語りかけた。

店を出て、再び車に滑り込む。細い道を通り、市内へ戻る。
ホテルの駐車場へ車を戻すと、周囲を確認して、自室へ向かう。エレベーターを待つ間に、空き缶を落とす音が駐車場に響く。一瞬で身をかがめ素早く背後を一瞥し、左右を確認する。
しかし、何もない。ほどなくして一台の軽自動車が洋平の前を通り過ぎる。乗っているのはキャップを被った初老の男だ。怪しくない。

洋平は一息ついて、エレベーターに乗り込み自室へ向かった。
今日はもう眠ろう。なんだかいい一日だった。まだ時間は早かったが、ベッドに倒れ込むと、早々に暗闇に飲み込まれていった。

続く。

***
中華そば屋 佐藤 024-522-1663 福島県福島市小倉寺字敷ヶ森16-1 https://tabelog.com/fukushima/A0701/A070101/7010953/

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