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刑事柳田、もう我慢できません 第六話 一条流がんこラーメン@四谷三丁目

「暑い…」
 柳田は額と首の上から噴き出る汗を拭った。
「奴はどこで消えたんだ」
 柳田は携帯電話を取り出し、電話を掛けた。

「はい」
「俺だ」
「はい」
「そちらはどうだ」
「動きなし」
「いまどのくらい張ってる?」
「3時間」
「わかった。こちらも動きなし。というより消息不明だ」
「了解」
 携帯の電話が切れた。部下の来栖が南。自分が北のエリアを探していた。

 柳田は、七日前、ミャンマー経由で羽田から入ったとされる中国系男性のターゲットを追っていた。
 彼は防衛省の秘匿事項が記載されているデータベースからハッキングで抜いたデータをこの先にある神社で受け渡しが行われるとの情報が先程入ったばかり。

 しかし、今時物理データで渡すのか、まぁインターネットで送ると足がつく可能性はあるが。
 とはいえ、その情報だけで押さえるのは相当困難だ。そもそも、四谷三丁目で見たと言う情報すら怪しい。
 再び柳田は携帯をかける。

「来栖か?」
「はい」
「南はどうだ」
「今2名の中国人を追尾中」
「どちらに向かってる?」
「須賀神社の方向です」
「わかった。続けてくれ」
「先輩は?」
「今のところ怪しい人物は…」
 目の前に頬に傷のあるサングラスをかけた男が通り過ぎる。
 こいつどこかで見たような…。
「どうしました?」
「…」
 そうだ、確か運び屋のウーだ。まさかこいつが噛んでるのか?
「先輩?」
「運び屋のウーを見つけた。尾行する」
「ラジャ」
 電話が切れた。
 ウーは須賀神社の方角へ向かっている。
 まさかな。あいつは政治がらみ動かないはずだ。しかし、ミャンマー経由でならありえるか…まぁいい。とりあえず行確開始だ。

 携帯が震える。
「先輩」
「なんだ?」
「二人組が別れました」
「若い方を追え」
「ラジャ」
 こういう時は若い方が動く可能性が高い。歳がいってる方は上との連絡でアジトに戻ることが多い。
「若い方が須賀神社方面へ向かいました」
「思ったとおりだ。二人が仮に合流したら、捕物になるぞ。準備しておけ」
「ラジャ」

 これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
 しかし、四谷三丁目といえば一条流がんこラーメン総本家がある。まずいな。
 グゥっと柳田の腹が鳴る。こんなときでさえも俺の腹は困ったもんだ。ウーを追いながら舌打ちする柳田。

 ウーの足取りはフワフワとしたところがあるが素早い。どんどん前を進んでいく。うっかりしていると見失ってしまう。
 坂道も多いというのにそれを感じさせない。健脚の持ち主だった。

 しかし、おかしい。あんなにスイスイ登って行けるものか?
 ウーは須賀神社の長い階段を登り始めた。
 やはり、神社での受け渡しは本当だったのか…。
 しかし、一本道なので身体を隠す場所がない。柳田は、ウーが階段を全て登り切った直後に動くことにした。

「来栖か?」
再び携帯が震える。
「はい。若い方が南西の道から須賀神社に入ります」
「わかった。ウーは今階段を登っている。おそらくそこで受け渡しだ。お前はその若い奴を追え。二人が合流したら、俺たちも接触する」
「了解」
 電話が切れる。
 ウーは間も無く階段を登り切るところだ。一度そこで背後を振り向いた。
 柳田は近くの喫茶店の入口に隠れた。危ないところだ。しかし、やつの顔がぼんやりとしか分かりなかった。ひょっとしたら人違いか。いや、あの振り返り方は明らかに他のやつを警戒していた。間違いないようだ。
 ウーが折れ曲がったのを確認して、柳田は走り出した。

 柳田は階段を一気に登る。
 来栖が、うまく立ち回ってくれることを信じた。
 階段を登り切り、境内に入った。慎重にウーを探す。鳥居の中に入るウーの後ろ姿が見えた。
 同時に来栖の追っていた若い奴の姿を探す。
 
 その時、ちょうど若い奴が別の入口の鳥居をくぐるのが見えた。
 柳田も鳥居をくぐり鑓水の陰に隠れた。来栖が追いつく。
「よし、踏み込むぞ」
「はい」
 二人は呼吸を合わせて境内の賽銭箱の前に躍り出た。

「そこまでだ」
 柳田が言い放つ。
 若い奴が唖然とした顔をしている。
 しかし、肝心のウーがいない。
 来栖がウーを探す。
 柳田が銃を構えて若い奴に近づく。
「その紙袋を下に置け、いいか、変な真似するなよ」
 言われた若い男は紙袋を置き両手を上げる。
「おい、その紙袋はなんだ?データか?」
 若い男は首を振る。ひどく驚いている。
「茶番は終わりだ、ウーと会ったろ、何を渡した?」
「知らない。ウー?誰?」
 若い男は口をパクパクさせている。
 柳田は銃を構えたまま近づき、紙袋の中身を見る。
 中にはりんごが入っている。がそれだけだった。
 そのまま若い男のポケットを触る。そして靴下を、触る。
「靴を脱げ」
 男は靴を脱ぐ。
「逆さにしろ」
 男は脱いだ靴を逆さにして振る。特に何も入っていないようだった。

「先輩、どこにもいません」
「そんなわけないだろう、社務所の中も確認したか?」
「はい。いませんでした」
「そんなわけないだろ、消えたというのか」
「先輩」
 来栖が息を切らせながら話す。
「先程来る時に調べたのですが」
「なんだ?」
「ウーは一年前に亡くなってます」
「冗談言うな。今いたじゃないか」
「いえ、日本で亡くなってます」
「どういうことだ…?」
 柳田は混乱した。確かに奴だった。しかし、言われて見るとあんなに速く歩けるだろうか? 振り返った時顔の感じが曖昧だった。幽霊とでも言うのだろうか。
「おい、お前何をしていた?」
 柳田銃を突きつけながら若い男に尋ねる。
「いや、単に差し入れね。この神社に」
「ほざくな、ウーにデータを渡す手筈だろうが」
「何のデータか?」
「それはこちらが聞きたい」
「私、単にこの神社の人と友達なだけよ。何も怪しくない。むしろ濡れ衣よ」
「まさか、本当にそうなのか?」
「おい、名前と生年月日を言え」
 若い男が名乗った情報を来栖が確認すると、データベースには載っていない男だった。
「完全な人違いかもしれません」
 来栖が言う。
「くそ、紛らわしい。それにしてもウーはどこに行ったんだ」
「いや、ウーではなかったのかもしれません」
「まさか。そんなはず…」
しかし、確信は持てなかった。

「これ、人権問題よ。大使館に訴えるから」
「ふん、やれるもんならやってみろ」
「いくぞ」
 柳田は来栖に合図をして、神社から離れた。
 
「大丈夫ですかね?」
「ああ、俺たちが誰かわからないだろう」
「確かに。監視カメラは?」
「ないことを確認した」
「危なかったですね」
「ああ。しかし、ウーはどこへ消えたんだ?」
「先輩、本当にウーだったんですか?」
「見間違えるはずがない」
「しかし、日本で死んでいるんですよ。なので裏も取れてます」
「ああ、だから考えている」
「幽霊?」
「そんなはずないだろ」
 来栖は考えるように目線を右上に向けた。

「では、一旦離脱します」
「ああ」
 来栖は柳田から離れて行った。

 まるで狐につままれたようだ。柳田は須賀神社から南下し、四谷三丁目の駅を超えた。そして靖国通りを一本裏道に入り歩いていく。
 そこで先ほどのウーらしき男の後ろ姿が見えた。
「おい、ウー!待て!」
 柳田は走った。
 ウーは小さなビルの中に入った。柳田はそれを追いかけて、そのビルに入った。
「まさか…」
 しかし、そこにウーの姿はなかった。そのビルは一条流がんこラーメン総本家だった。
「くそ」
 柳田はとりあえず食券を買った。まさかウーが中に? 柳田は並んでいる男たちを横目に店内に入って麺を啜る客を眺める。
「お客様、順番に呼びますので外でお待ちください」
「あ、ああ」
 店内にはいない。おかしい。この炎天下で俺は幻想でも見ているのだろうか。
 仕方なく、待合の椅子に座る。膝をガクガクと揺らす。
「一名様どうぞ」
 来栖は店内に入り、カウンターに座る。
「上品か、100どちらにしますか?」
「上品で」
 透き通ったスープの上品を頼む柳田。隣の男が啜る丼から独特の醤油の匂いが鼻をくすぐる。否応にでも涎が垂れそうになる。

 四連の換気扇が回っている。しかし、暑い。そして、ウーはどこに行ったんだ? 今回の件とはま無関係ということもありえるか。

「お待たせしました」
 柳田の前に丼が置かれる。
 透き通ったスープ。チャーシューが二枚。メンマ、白葱、そして黄色のちぢれ麺。カニカマの赤がラーメンに彩りを添える。
 やはりうまそうだ。
 柳田はスープを一口啜る。
 うまい。この塩辛さがたまらん。クッキリとして、パンチ力のあるスープ。今日の出汁はなんだろうか…毎回出汁のもとが変わるのがまたいい。
 黄色のちぢれ麺を思い切り啜る。
 やはりうまい。このもちもちツルツルとした麺がスープに本当に合う。スープの塩辛さが麺そのものの甘さ更に引き立てる。
 そしてこのチャーシュー。やや硬めだがすぐに千切れてしまう柔らかさは一体どうしたらバランスを保てるのかわからない。が、チャーシューの醤油味がまたたまらない。
 やはりたまらん。須賀神社と聞いた時点で、これを食べることは決まっていたようなものだ。
 額から汗が吹き出す。柳田はハンカチで汗を拭くがもはやハンカチそのものが濡れていて、気持ち悪い。
「ごちそうさま」
 柳田は店を出た。
 そこで携帯が震える。

「どうした?」
「先輩」
「一度署に戻り確認したのですが」
「ああ」
「やはり、ウーは死んでいます」
「一年前の今日」
「場所は四谷三丁目の北島ビルの階段の踊り場」
「死因は」
「針のようなもので首を一突き」
「プロの、仲間の仕業か」
「おそらく」
 この案件ですが、別の班の情報によるとガセの可能性があります」
「つまり?」
「ハッキング自体が本当にあったのかという」
「なんだと。じゃあ俺たちは偽の情報に踊らされたということか?」
「その可能性もあります。係長が一度本社に戻れとのことです」
「わかった」
 柳田は電話を切った。

 柳田は濡れたハンカチを店の洗面台で洗ってそれを首当てた。
 束の間清涼が訪れる。
 
 そういえば、北島ビルってこの隣か。柳田は道に出て、隣のビルの窓ガラスを見た。どれも暗く濁った色をして中が見えない。
 柳田は、窓から前方へ視線を戻す。靖国通りに歩き出そうとしたところで、背後に強い気配を感じて、振り返る。
 
 特に何もない。誰もいない。
 気のせいか。再び前方に視線を戻したところだった。
 ガチャンと北島ビルの窓にヒビが入り、そこに人影が動いた。ように見えた。目を擦るとヒビはなくもとのように暗く濁った色をしている。
 少し背中に悪寒を感じる柳田だった。
 
 

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