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何もしてないのに壊れた

パソコンや家電が「何もしてないのに壊れた」というのはだいたいが嘘で、大抵の場合は「余計なことを何かしている」から壊れるものと相場が決まっている。最初の夫も「俺にまかせろ、こういうのは得意だから」と張り切り、そのうち「この部屋に入ってくるな」と自室に閉じこもり、しばらくして「やっぱ壊れてるみたいだ」と、明らかに自らの手で息の根を止めた物体を手に戻ってくるのが得意だった。ヘタにいじらなかったら直ったかもしれないのにと、何度思ったかしれない。

人間関係も同じだ。「こっちは何もしてないのに怒ってる」というのもだいたいは嘘で、大抵の場合は「何か余計なことをした」のだ。自分では「これくらい、単なる軽口だ。冗談だよ」と軽く考えて発した言葉が、相手の逆鱗に触れたのだ。自分から足を踏んできたくせに、そのことに気づいてないだけなのだ。仮に気づいていたとしても「足を踏んだだけなのに抗議してきた。その言い方が気に入らない。ああ傷ついた」などと、さも自分が被害者のように振る舞うことさえある。この人生、そんなことは結構あった。

ところが、本当に何もしてないのに不興を買うことはある。まだ何もしてないどころか、会ってさえいないのに嫌ってくる人間がたまにいるのだ。SNSが発達した今なら「会ってないけど嫌われる」事例はごまんとあるが、そういう接点もないのに勝手な妄想だけで、親のカタキのごとく憎しみをぶつけてくる人がいる。そうそう、最初の義母などその最たるものではないか。この人生、そんなこともいくつかあった。

ヤシ

たとえば16歳の春だ。高校2年生になった最初の日、初めての後輩ができたその日のこと。朝、廊下を歩いていたら「ふん!」と大きな声が聞こえた。なんだろうと振り向いてみたが、そこには知った顔はおらず、よくわからないまま立ち去った。

その昼に、購買でパンを買っていると、またどこからか「ふん!」とキツい声がする。だがあたりを見渡しても、誰が誰に向かって発しているのかよくわからない。変だなと思いながらもそのまま立ち去った。

次の日、休み時間に廊下で友達と話していると、またどこからともなく「ふんっ!」という声が聞こえる。今度は近い。声のする方を見ると、そこには1年生カラーの上履きを履いた女子がいた。

まったく知らない子だ。

「ふん!」とはどういう意味だろう。あからさまにこちらをにらみつけているので、悪意があることは私でもわかる。だが彼女はまだ入学して2日だ。そんな短期間で、あんな「ここで会ったが100年め!」みたいな顔ができるものだろうか。私が前世でうっかり彼女の村を焼いてしまったのだろうか。だとしても今生ではノーカンにしてほしい。まったく意味がわからない。

それからも彼女は私に暴言をぶつけ続けた。時に大声で「だーいっ嫌い!」と叫んでいることもあった。だが決して近づいてくるわけではない。遠くから大声で叫んでいるだけなのだ。

モヤモヤした春を過ごしていると、私はもうひとりの1年女子の存在に気づいた。彼女は「ふん!」とは真逆に、会うと「ニコッ」と笑顔になったり、遠くからでも会釈してくれたりと、あからさまに好意を示してくれた。

彼女もまったく知らない子だった。

だが「ニコッ」には近づいてもいいだろう。そう判断し、ある時思い切って「ねえ、私たち知らない同士だよね」と話しかけた。

「はい、そうなんですけど...入学した日にたまたま見かけて...」

え、ヒトメボレ?

「うちのクラスの女子が大声出してて、何だろうと思ったのが最初です。あの子、教室でもアイツむかつくとか気に入らないとか大声で喋ってるので、逆に気になっちゃったんです」

あ、なるほど。あの子と同じクラスか。そしてやつは関係ない人を巻き込んで、教室でもアンチじろまる活動をしているんだな。原動力はいったいなんなんだ。教えてアルムのモミの木よ。

「私も気になって聞いたんですけど、中学も全然違うし、元から知ってたわけではなくて、最初に顔見た時からムカついたって言ってました。それで自分が嫌いってことを伝えなきゃと思ってるみたいです」

あああ。そんな大事なこと、わざわざ伝えてくれなくてもいいのに。胸のうちにしまっておいてくれよ。気にしないように努めていたけど、実はかなり殺傷能力は高かったんだ。朝イチで「ふん!」を浴びせられ、どんよりテンションが上がらない日も多々あったんだ。くそお。


◆ ◆ ◆

その年の夏、私はある部活の部長だったクラスメイトに頼まれ、ひと夏だけお手伝いをすることになった。二つ返事で請け合って部室に行くと、なんと私とペアを組む相手は事もあろうにあの「ふん!」だった。

さあ困った。いや、本当に困っていたのはあっちの方だ。部活は成功させねばならぬ。助っ人がいるとして部長に陳情したのも、彼女本人だ。よりによって私が来るとは思わなかったのだろう。暑い夏に倒れるんじゃないかってくらい、真っ赤な顔で興奮している。

フェイク入れてるのでボンヤリした表現になるが、その部活は二人が隣り合い、同じものを見ながらやるものだ。「ふん!」は最初その「同じもの」を、わざと私が見えないような角度にした。さすがにそれはやりすぎと思ったのか、すぐ元に戻した。その代わり、私に背を向けはじめた。だがそれでは自分も見えない。それで少しだけこちらをむく。イヤイヤながら「同じもの」の角度を微調整する。また少しだけ立ち位置を変える。ああもう、せわしないな!

部長も「何かあった」と気づいたようだが、それを指摘されると、また真っ赤になって憤慨する。何度か話しかけてみたが、沸騰中のヤカンに話しかけているようで、何やらぷすぷすしているものの、返事は返ってこない。仕方ない。私は自分が引くことにした。部長には「理由はわからないけど、私じゃない方がいいと思う」と、ひたすら謝った。助っ人は辞退した。

チキン

大人になった今考えると、あれはひょっとして「好き」の裏返しだったのかもしれないとも思う。「最初に顔見た時からムカついた」は「初めて会った時から好きでした」と同義ではないだろうか。「ふん!」と大声を出すのも、自分に気づいて欲しくて、特別な存在になりたくてやっていたのかもしれない。SNSでいうなら「フォローしておいてからブロックする」みたいなことだ。

いつか「ふん!」に会うことがあったなら、そう言ってやろうと思う。「ほんとは好き」だったらそれでいいし、「うるせえ、お前なんかマジで嫌いだったんだよ!」というなら、もっと言ってやる。嫌いな相手に「ほんとは私のこと好きなんでしょ」と言われるほど悔しいものはないからな。これは私の、ささやかな復讐だ。


【何もしたくない日の豚肉】

完成

世の中には「できること」と「できないこと」以外に「やりたいこと」と「やりたくないこと」がある。私にとって料理は「できるけど、やりたくないこと」になる。その気になれば、まあまあバエル料理が作れて、それなりの写真も撮れるのに、どうにもやる気が起きないのがデフォだ。それは加齢と共に、ますます顕著である。

先日カフェで、コロナ禍における家時間の過ごし方特集を読んでいた。私は泣いた。なんで、どうしてみんな、こんなにマメにできるんだろう。お子さんの世話をしながらせっせと保存食を作り、お菓子を焼き、ワンピースを縫い、模様替えをし、中にはDIYでウッドデッキを作っている人までいる。私にはできない。無理だ。オットと2人暮らしなのに、簡単な作り置きすらできない。

それでもなんとか、今年も梅干しは漬けることができた。梅干しはいい。どんなものでも梅干し味にすれば、オットまっしぐら、文句が出ない。今日ご紹介するのは「やる気が出ないままズルズルと夜が深まり、オットの腹はますます減り、ヤバイあと5分で何か作らないとオットが死んじゃう」って時によく作るパターンのやつです。米だけは炊いてある設定です。

<材料>
豚肉(肩ロースの薄切り)適当/梅干し 適当/キノコか野菜 適当

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・平皿にキノコか野菜を適当な大きさに切って、広げる。種類はなんでもいいが、5分くらいレンチンすれば食べられるのが目安なので、ジャガイモやレンコンなどの根菜なら薄切りにしておくといい。画像のように舞茸とか使うと、包丁をだす必要もなくてハードルが下がる。

肉どさり

・薄切り肉をその上に広げる。肩ロースが好きなのは、脂と肉のバランスがいいのはもちろんだが、薄切りにした時に一切れが大きすぎないからだ。バラ肉だと40センチくらいの長さになっていることがあるため、必ず包丁で切らねばならぬ。それが億劫のタネになる。肩ロースバンザイ。

肉広げ

・梅干しを適当にちぎって、肉の上に乗せる。味つけは梅干しだけなので、使う梅干しの塩分と自分の好みに合わせて量は増減する。完熟した柔らかい梅干しでもいいし、画像のようにカリカリ梅を切ったものを使ってもいい。ちなみにこれは義母が切ったのものを使用しているので、私自身はここに至るまでまだ包丁は使っていない。

梅干し乗っけ

・日本酒か、なければ水でもいいので、大さじ1~2くらいをじゃばっと肉の上からかける。水気の多い野菜の時は少なめに、根菜など水気の少ない野菜の時は多めに、が目安だ。

・ふんわりラップをかぶせ、電子レンジにかける。舞茸1パック、豚肉300グラムの場合、600Wで4分程度。

梅干し

梅干しは赤いのを使った方が断然バエル。少しは色気が欲しいもんね。包丁を使う気力がある時は、シソやネギ、パクチーなどを添えるともっといい。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。