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【参加レポ】毎日新聞 ことば茶話 第3回

やあやあどうもふずくです• ᴥ •
ついに大学を卒業しました。

今回は、1月27日に行われた毎日新聞のオンラインイベント「ことば茶話」第3回について、感想を述べていきます。

前回の記事はコチラ

ことば茶話とは

毎日新聞校閲センターが運営するサイト「毎日ことばplus」は8月29日、有料会員制度をスタートさせました。隔月開催で辞書編集者や日本語研究者ら「ことば」にまつわるゲストを招き、校閲記者がお話を伺うオンラインイベント「ことば茶話」を有料会員向けに開催します。

毎日新聞ホームページ

今回のテーマ

円満字さんと歩く漢字の世界

今回のゲストと聞き手

ゲスト:円満字二郎(えんまんじ・じろう)さん

1967年、兵庫県西宮市生まれ。出版社で漢和辞典などの担当編集者として働いた後、退職してフリーに。著書に、「昭和を騒がせた漢字たち 当用漢字の事件簿」(吉川弘文館)、「漢字ときあかし辞典」「漢字の使い分けときあかし辞典」(以上、研究社)、「難読漢字の奥義書」(草思社)、「漢字の動物苑 鳥・虫・けものと季節のうつろい」(岩波書店)など。

毎日ことばplus

円満字さんは、毎日ことばplusで連載があります。
会員登録(無料)で読むことができます。

聞き手:平山泉(ひらやま・いずみ)さん

大津市生まれ、京都・東京育ち。1992年毎日新聞社入社。2006~08年の大阪本社時代も含め一貫して校閲記者を務める。現在は校閲センター兼用語委員会用語幹事。18年にイベント「国語辞典ナイト」に出演したり、国語辞典が刊行される度に取材したりと、校閲と国語辞典との関係について発信している。共著に「校閲記者の目」「校閲記者も迷う日本語表現」など。

毎日ことばplus

感想

漢和辞典は「集めてくる」辞書?

円満字さん:国語辞典とか英語辞典とか、そういう近代的な言語学の辞書っていうのはそのことばの世界を分割していくわけですよね。最終的に単語単位に分割をして、その単語単位に明晰的な意味や明晰的な用法っていうのを分析して記述していくっていうことがやっぱりいちばん重要になる。それは科学的な辞書の在り方だっていうことになるわけであって、それは非常に重要なことだと思うんですけれども……。
(中略)
そうじゃなくて、というのはこれはもう50年以上前に外山滋比古先生がエディターシップというものの中でおっしゃってたことなんですけど、切り離していくんじゃなくて繋げるっていうのが編集なんだっていう。切り離していくばっかりじゃなくて繋げることっていうのも、学問のひとつの在り方なんじゃないか、みたいなことを外山滋比古先生が若いころに「英語青年」※の編集をされていて、そこで考えられたことなんだろうと思うんですけど。そんなことをお書きになっている本があって、まさしくそのそういうことでいくといわゆることばの辞書っていうのは、切り離していく、分析していくっていうほうに主眼があるんだけど、多分漢和辞典っていうのは、集めてくる、繋いだところに何が見えるのかっていう、そっちを示しうる世界なんじゃないかなと思っているわけなんです。
※「英語青年」……研究社から刊行されている雑誌。英語・英米文学関連の論説や、随想、書評などが掲載されている。2009年以降オンライン・マガジン「Web英語青年」となる。

お話の中で登場した外山滋比古先生の「エディターシップ」とは、これですね。

さて、この場面では漢和辞典の基本的なスタンスに触れています。

実は私、辞書ヲタクを名乗っておきながら、漢和辞典に触れたことがほとんどなく……。
漢和辞典ってなんだろう?というところからのスタートでした。

たしかに国語辞典を見てみると、①②③……と意味が細かく分類されています。
(たまにそれ分ける必要ある?というのもありますが)
これにより、ユーザーが知りたい意味を、比較的すぐ見つけ出せるようにできています。
細かく分けていれば、「この文脈ではこの意味があてはまるのかな」みたいなことも少なくて済みますしね。
わりと共通認識として、細分されている=詳細であるような気がしてきます。
辞書って親切にできているなあと。

一方漢和辞典はどうでしょうか。

対談内でもあったとおり、「由」「神」「験」そして「源義」というように、別の場面で使われるような熟語に共通して「」ということばが当てられていることが分かります。
これこそが「繋いだところに何が見えるのか」ということです。

実際に漢和辞典を引いてみましょう。

【経】
[字義]①たていと。織物の縦糸。⇄緯。②たて(縦)。(ア) 西に対して、南北の方向。(イ)平面に対して、上下の方向。③ みち。(ア)すじ。すじみち。道理。(イ)道路。④のり(法)。法則。 ⑤つね(常)。一定不変の理。「経常」⑥さかい(境)。また、境を定める。「経界」⑦おさめる(治)。統治する。「経国」⑧いとなむ(営)。⑨はかる。測量する。⑩へる。経過する。通る。また、 めぐる。「経由」⑪くびれる。首をくくる。「経死」⑫かかる。ぶら さがる。かける。⑬めぐり。月経。⑭かつて。今まで。「曾経」 ⑮ふみ。文書。(ア)儒教で、聖人の言行や教えを書いた書物。 経書。(イ)仏教で、仏の言行や教えを書いた書物。経文。(ウ)学問や宗教上のよりどころとなる基本的な書物。

『新版漢語林』、大修館、1998

「経」一字にたくさんの意味が含まれていることが分かります。
一見共通点がないように見える先ほどの語たちも、ここに記述されている意味によってつながりがだんだんと見えてきます。

ふだん国語辞典を読んでいると、
「このことばの意味にあの意味が載っていない!」だとか
「この意味とこの意味は微妙に違うのだから、分けるべきだ!」
みたいなことを言いがちですが、これは「切り離す」前提の話ですね。

どちらがすごい!どちらがえらい!みたいなことはもちろんありませんが、両方の視点をもっていることが重要だと考えます。

一緒に考えるための辞書

円満字さん:もちろん私としてはそれを書いた時点ではいちばん私なりにおすすめの結論を書いているんだけれども、それに納得できないという人もいると思うんですよ。見て当然だと思うんですけど、私がたどった考えの道筋をお示ししているので同じようにいろいろ考えてもらって、いろんな例を考えてもらってその結果として私と違う結論に辿り着いたというようになれば、それはそれで素晴らしいことだと思うので考えてほしいというところがあるんです。

逆にこちらは国語辞典にも共通していえることだと思います。

「辞書や辞典に載っていることは正しい」と思われがちですが、実際はその限りではありません。

国語辞典の大家である見坊豪紀は、次のようなことばを残しました。

辞書は“かがみ”である--これは、著者の変わらぬ信条であります。  
辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑(かがみ)”であります。

『三省堂国語辞典』第三版

これは「辞書かがみ論」と言われ、辞書を語るうえでは外せません。

「鏡」は、今のことばのありようをそのまま記述するという姿勢、「鑑」はことばの広く正しいとされる用法、規範を示すという姿勢です。

一般に、辞書を使う人々(ユーザー)は、辞書に「鑑」の役割を期待します。しかし、辞書を作る人々(製作者)は、辞書は「鏡」だと説く印象があります。

ここに、辞書に対する認識の乖離があるような気がします。
これを解决するには、以下が重要になります。

第一に、辞書はあくまで「無難な表現を探すためのツール」であることを周知すること(辞書全体の課題)。

第二に、辞書は「鏡」「鑑」の両側面があることから、そこに書いてある意味をうのみにしないこと。書いてあることをもとに自分で考える必要があること(ユーザーの課題)。

第三に、辞書製作者は辞書が「鑑」として期待されているという現状を再認識し、「鏡」とのバランスを保ちつつ反映させること(製作者の課題)。

どこから手をつけたらいいのか分かりませんが、これらが改善されればもっと辞書はよいツールとして人々に受け入れてもらえるはずです。
辞書の未来はどうなるんだ。

おわりに

いかがだったでしょうか。
漢和辞典を通して、国語辞典そして辞書全体のありようを見つめ直す機会になりました。

辞書のユーザーの大半は辞書を使い慣れていない「素人」です。
辞書ヲタクではありません。
辞書がより使いやすいツールとなるには、辞書はどういうものだと認識されているかを問い直す必要がありそうです。

さて、今回の記事で私ふずくは引退となります。
代表業もLakkaのほうに引き継ぎます。
これまでご愛読いただきましてありがとうございます。
ではでは、またどこかで。


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