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「1千万円やるからお前やってくれないか」家族の死の真相を語らぬまま面会室で首を吊った男|栃木保険金殺人事件・小林廣

2007年6月、小林廣とその部下ら4人が倉庫に放火した容疑で逮捕された。7月には火災保険金を詐取したとして再逮捕、同年2月に妻はるみさんが首を吊り死亡した件でも殺害容疑で再逮捕される。小林は部下らに殺人を指示し、数百万円の報酬を約束していたという。一貫して否認を続けた小林だったが、8月6日、面会室で弁護士と接見後、首吊り自殺した。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

「俺は手を掛けてねーよ」

「放火容疑で男を逮捕 保険金狙いか? 妻首つり 次男事故死」
 2007年6月14日の新聞各社は、サスペンスドラマを彷彿させる見出しを打った。「非現住建造物等放火」の疑いで逮捕されたのは栃木県さくら市内に住む自動車販売修理業・小林廣(58)と知人の4人。4年前の1月7日未明に小林が所有していた物置から出火、全焼した。その後、火災保険金約6百万円を得ていた。県警担当記者の話。
「今回の逮捕は、2月に自宅と棟続きの工場で首をつって死亡していた妻のはるみさん(41)の捜査のため。また3年前の2月、当時住んでいた県営住宅4階から転落死した次男(7)の再捜査です」
 小林がはるみさんと再婚したのは03年4月、火災から3ヶ月後だった。翌年の2月、はるみさんの連れ子の次男がベランダから転落。凧揚げ中に誤っての事故死、として処理され生命保険金約8千万円を小林は手に入れていた。約1千5百万円を掛け自宅兼工場を新築、05年に県営住宅を出た。県警担当記者が続ける。
「再婚直後から生命保険を掛け始め、はるみさんには9千万円、養子縁組した長男と次男にそれぞれ3千万円と8千万円が掛けられ、総額2億円にも上ります」

 2月28日未明、はるみさんは遺体で発見された。発見者は夫だった。頸部にロープ以外の絞めた跡があり、県警は自殺と判断せず保険会社も支払いを留保した。
 わたしはさくら市に入り、小林廣の為人(ひととなり)を追った。市内に住むはるみさんの実母は、わたしの名刺を見るなり「小林という字を目にするとゾッとするのよ」と素直に本音を口にしたが、取材に応じてくれた。
「はるみの左頬にはひっかき傷があり、頭はボコボコになっていて出血もありました。『俺は手を掛けてねーよ。解剖してよく調べるから』って自分から言い出したので変だと思いました。それに、はるみは筆まめなのに遺書がないのはおかしい、と小林を問い詰めると『そんなものねーよ』って。気が強いはるみが自殺するわけがないのです」
 小林の評判を聞いていた母は、結婚に反対していたが「もう後戻りは出来ない」と娘に押し切られた。評判の美容師だったはるみさんは次男の妊娠を機に退職。しかし、覚醒剤中毒だった前夫と離婚、復職した。当時勤めていた美容院店主が語る。
「パーマを掛けにきた小林と、うちの店で知り合ったのです。『俺の悪口を言っているそうだな。日本刀を持ってお前の店を潰してやる』と脅されました」

送検される小林。面会室での自殺直前、「妻と次男の眠る墓に早く入りたい」と語っていたという

 さくら市生まれの小林廣は専門学校を卒業後、地元の農協に就職。農機具などの販売を担当、85年に自動車販売修理業者として独立した。当初、順風満帆だった事業も次第に悪化、それとともによからぬ人物との交遊も始まったという。知人が言う。
「人当たりが好くて良い奴なのですが、気に入らないと激高する二面性のある性格です」
 小林は98年に最初の妻と離婚調停が成立している。元妻の再婚相手が取材に応じた。
「今回のことで妻は寝込んでしまいました。当時、妻が保険金で狙われたということはなかったようです。その頃、小林には覚醒剤の噂があったと聞いています」
 カネに困った小林が火災保険の次に狙ったのが、母子家庭のはるみさん親子だったのだろうか。わたしは、小林から殺人依頼を受けたという男性から話を聞くことが出来た。
「『交通事故をやって欲しいという人がいる。1千万円やるからお前やってくれないか。業務上過失致死だから1年で(刑務所から)出てこられる』。誰をやるのかと聞いたら『知り合い』だと、時期的に奥さんだと思います」

 2008年8月6日午後9時過ぎ、宇都宮中央署3階面会室のドアに紐をかけ首をつった小林廣が発見された。自供前の自殺。栃木県警の大失態である。はるみさんの実母の嘆きを栃木県警はどう聞く。
「孫の事件の時に、もっと騒いで(捜査して)くれたら、はるみは死なないで済んだかも知れない」
 母と子の死の真相は、永遠に分からない。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。