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カタカムナ vol.4

始元のメニミエナイチカラは、
粒子を発生させ、何回も反復して実体をつくり、
連なったナギ・ナミとなり、
粒子性と波動性を持つようになる。

それは、
始元が極限まで進んで、
生命の実体が球(タマ)となったもので、
変遷して定着した実体が自由に動いている粒子である。

その粒子は、根源から割かれて、正反に持続するもの。

また、多様に持続し、大きなまとまりになる。

それはカム(目に見えないがすべての根源のチカラ)により何回も変容を繰り返し、
そのチカラを受け継いで個々の存在となったもの(凝固凝集した微粒子)をいう。


自由に変容し持続して、
六方環境(左右・上下・前後)の正反の関わりが極限まで進行し、
アマ始元量が個々の実体にあらわれる(現象化する)。


目には見えない世界のハナシであるが、
統合・四相性を持った万物万象は、
大元の根源の本質が、
元始まりの現象粒子に極限まで移し示される。

潜象と現象の境界面から発生し増える個々の本質は、
根源から独立したカムナであり、粒子となる。

個々の粒子を発生する潜象のヌシは、
根元から六方環境(左右・上下・前後)に進行発生するカタカムナ。


万物万象は、すべて相違象である。


宇宙の万物万象の根源は、
あらゆる現象を発生させるチカラと本源的な本質であり、
その本源的な本質とは粒子のことである。

すべて1つから生まれたものは共通の性質(統合性、四相性)を持つようになる。


目に見える世界に生命が発生し続け、
刻々といっときたりとも静止することなく発生・消滅を繰り返しているこの生命の移しを「アマウツシ」と言う。

アマウツシはカムウツシの対語であり、
アマウツシ・カムウツシが同時に対向発生・消滅をとどまることなく繰り返してることが生きてることである。


メニミエナイチカラが、
現象のあらゆる存在を発生させる根である。

正反の関わりや重合統合を繰り返し、
さらに変容しながら立体化、粒子化されて、
その実体が形成されていく。

向かい合うことで対向発生が生じ、粒子化していく。


ナギは、何回も粒子が発生し続けることで、ミ(生命の実体)の潜象形。ナミは現象粒子・電子。


生命を含むあらゆる存在物は渦状に発生している。

天然自然は一瞬たりともとどまることなく
旋回、螺旋の回転、渦を巻いているのが自然のスガタである。

生命の根源(カタカムナ)が、すべての生命、物質の核であり、
統合を繰り返して変容・発生した様々な潜象粒子を内在した現象粒子から生命・物質の万物万象がつくられ、
旋回、巡回、螺旋の生命活動を維持している。


アマとカムが統合し、
現象宇宙界における統合物は六方環境から関わりを持続する。

目に見えない潜象から生命粒子がうまれ、
個々に変換、独立して正反に対向するようになる。

それに起因して正のチカラと反のチカラに分かれる。

正のチカラは目に見える現象物に変容し、
反のチカラは現象物の中に目に見えない潜象として存在するようになる。

アマ始元量が、潜象と現象によって対向すると、
始元の芽が変容して、
潜象と現象の境界面に潜象・現象を含んだ個々の粒子が発生する。

その粒子のスガタは渦状となる。


始元の芽が自由自在に変容し、
極限まで関わり続けると、
波動性を持つようになる。
そのチカラの元はカタカムナである。

根源が独立して持続することによって現象化し、
カタチが生まれる。


根源が輪の状態でチカラを発揮するときは、
極微の粒子が自由な正反のバランスをとる根源があるから。

生命現象があらわれるためには、
潜象・現象両粒子の正反のバランスが根本にある。

正反が整然と対向し、秩序正しくかかわるとき、発生がスムーズになる。


アメは、アマ(元始まりの飽和統合状態)からメ(芽、目)が出る状態のことで、潜象のアマが現象界にあらわれたとき、雨などのようにアメと転化する。

天然自然に存在するものには、
潜象・現象を問わずすべて正と反(陰と陽)が存在している。

したがって、目に見えない潜象のチカラにも正反がある。


正の潜象のチカラは現象物にあらわれるチカラ。

反の潜象のチカラは、
現象物の中に存在して現象物を保つチカラである。


慈雨のひとりごと
この世界はぜんぶあるんだから、
「あるものをつくっていこう、この世界はぜんぶあるんだから」ということに繋がっているようにもおもえる。
慈雨のコンセプトは『生きかたをアートする』である。
そこにも繋がっているような気がします。
だって、ぜんぶあるんだもの。
創造すればいいのよ。「この世は全て叶っているのだから」と言えば夢物語を言ってるようかな?
ううん、そうじゃなくて、この世界は全て完璧でできているのよ。なのでその中でできることをすればいいのよ。
おこなっていけばいいと言えばいいのかな?
交換していけばいいのよ。
全ては叶っているのだから。
まぁ、やり過ぎたら倒れるかな。
慈雨も含めて、ここ最近寝込んだりするひと多い。それはやり過ぎなひと多い。別にやらんで良いいことやらんでいいのよ。決まってる量でいい。「適量って知ってる?」って、じぶんにも声掛けたいよね。
まぁ、必ずうまくいくから大丈夫よ。
違ってもいいから、大丈夫なことは大丈夫にしていこう。
振動を整えていこう。

ありがとうございます。とても嬉しいです。歓び、循環、還元に使わせていただきます!