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カタカムナ vol.2

宇宙の万物万象の根元が2つ集まり、
この2つの素量が逆渦で統合すると、
回転エネルギーによって、
イカツミ・マクミ・カラミの三素量(マリ)となり、
生命の本質が誕生する。


アマとは、現象宇宙界、すべての現象(物)、全宇宙のこと。
又、その宇宙を構成する究極的な超極微粒子をいい、
カムとは、現象の奥に潜む潜象のことをいう。


そのふたつが統合することによって、
現象の粒子が発生し、
さらに大きな宇宙空間に広がる目に見えない潜象の世界に
何回も最大限まで『満たされた状態』を繰り返し変容していく。


宇宙全体も微小世界もすべて1つの球をなしていて、
宇宙すべてのものは、正と反の旋転(自転)と循環(公転)の動きによる球の性質(マリ性)を持っている。

ヒフミヨは宇宙の半球の「正」をあらわし、イムナヤは「反」を意味している。


目に見えないけれども、
潜象のチカラは左回り・右回りの極微の渦をまいていて、
宇宙環境に遍満している。


始元の奥に発生したチカラは様々な変化変容を辿り、
正(サヌキ)と反(アワ)が相対して向かい合うと、一定の場(トコロ)が生じる。


対向発生したものが何万兆回ものトキを重なり合うことによって
あたらしいものが発生する。


トキもトコロもココロも現象にあらわれたものは分離や統合を繰り返し万物に変容していくのだが、
その極微の渦は、大・小さまざまな差があり、
その差によって様々なカタチがうまれ、
分離し、
多様な粒子が発生する。

なのでこの世界には多様な物質と状態が
存在していることとなる。


無限にマワリテメグル(自転と公転の動き)が続きながら、
大きな宇宙的空間(左右、前後、上下)に広がった世界に立体化をなすことになる。

そこから、
何回も何回も変化し、
互いに取替えし重なり合うことを極限飽和安定まで繰り返し、
その極限に達すると、
還元しないかぎり繰り返し統合を続けつつ、
より次元の高い生命や物質に発展していく。

この経過の中で、
互換重合、分裂増殖、還元消滅、生命の湧出・発生、増殖、潜む、興る、収まるなどの諸現象があらわれることになる。


わたしたちの生命(ミコト)は、
生命体を構成する『現象の生命体』と
生命活動を営む『潜像の生命力』とによって維持されていて。

それらを発生する根源は、
アマノミナカヌシであり、
それが、アマ(現象宇宙界)とカム(潜象)の始元量が統合して生まれた変容物。

アマノミナカヌシは、
アマ(現象宇宙界)の中心核的な存在であり、
目に見えないミスマルのタマである。


ミスマルノタマとは生命の根元で、ミが目に見えないまま進行して粒子にとどまり、変容した球(タマ)。

※カムナとは、潜象と現象が統合してあたらしい生命が発生する際の、現実の個々の生命に直接関わる潜像の存在のこと。潜象のチカラの個々のヌシをいう。

※アマナとは、個々の現象物の側にあってカムナを受け取るもののこと。アマのヌシとして現象物質の中に存在し、カムのチカラの受け渡しをする主体である。


慈雨のひとりごと
先日、友人と、与える・受け取るのおはなしをしました。
多分だけど、
(目に見えない)カムナは、与えるチカラであって、
そこには受け取るアマナも必要であって。
それら(カムナとアマナ)が重なり合ってあたらしいものが発生するんじゃないかなぁって。
エネルギー的なもの?要素的な。
そこには『変容』も含まれるんじゃないかなぁって。なにかしら変わっていくんだもの。

これまでもだけど、これからは循環や統合、創造、役割みたいなことが大切になってくるんだと思います。
分け合うこと、重なり合うこと、何かをつくっていくこと。それが昨今言われている縄文的なことなのかな。
余ったものとか、余分なものは分けたり、同じとこ(世界)を見たり、自然と「こういうことをしていこう」となったり、ひとつになっていくこと。
自然との調和、、、も同じことですよね。

「じぶんが!じぶんが!」とか「余計に」とかは流行ってこないと思います(競争とか争いとか奪い合うというエネルギー。いつか奪われます)。

これからは『明け渡す』みたいな感覚なのかなぁ。
じぶんも自然の一部なんだよということを理解したら良いんじゃないかな。
繰り返し繰り返し行ってたらいいんだよ。次第に行われていくことになるから。

あ、そうそう。与える量とかは大小関係ないよね。そのとき必要なだけとなってくるから。任せればいいんだと思う。頑張らなくてもいいとおもう。そうなっていくから。
あと、どんな人が存在してても構わない。
すべてあって、すべていい。


ありがとうございます。とても嬉しいです。歓び、循環、還元に使わせていただきます!