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学級担任として:教室のルールをどうしたらいいか?


アドラー心理学の「課題の分離」と「民主的な問題解決」を学んだことを踏まえて、教員として学級全体への指導についてどのように伝えるべきか考えています。

例えば、「給食の時間」に放送委員会の放送をどう扱うかという点です。
コロナ時代は放送がなく、静かに食べるよう指導していました。しかし、コロナが明けた今では、ある程度のおしゃべりが許されるようになりました。

放送が流れているときに、大声で話をする児童もいて、教師が、騒がしい状態だと感じているとします。
中には放送を聞きたいと思う生徒もいるでしょう。しかし、放送の内容は、クイズや豆知識など、緊急性のあるものではありません。普段の給食の放送のことで、朝会や緊急放送ではきちんと聞いています。

これまでの担任時代の私は「みんな、放送の時間だから静かに聞くんだよ。」と繰り返し言ってきました。しかし、その時だけ静かになり、その後再び騒がしくなるという状況が続きました。結果、怒って「⚪︎さん、うるさいよ。静かにして。」と言うこともありました。これにより、教師も疲れ、子供たちは言われた時だけ静かにすればいいという態度を取っていました。

しかし、「放送を聞きたいかどうか」を尋ねると、意見はバラバラでした。やんちゃな高学年の子供たちは放送がつまらないと感じ、聞きたがっていません。反対に聞きたい子供たちは静かに手を挙げました。

そこで、私は「放送を聞きたい子もいるから、放送が聞こえる程度の声量で話すのはいいんじゃないかな?」と提案しました。これにより納得する生徒もいました。しかし、現在も、私からすると、大きな声が出ている状態です。ただ、不思議なことに、その中でも放送を聞いている子供たちがおり、クイズの答えに楽しそうに反応するなどしています。

教師として、教室にいる立場としては、うるさいと感じるものの、子供たちにはそれが問題になっていないようです。このまま「様子を見る」のが適切なのでしょうか。

一方で、「うるさいなあ。放送を聞きたいなあ」と思って、給食中、耐えている子がいる可能性があります。その子たちはかわいそうなのでしょうか?

その子達は意思表示をしていません。だから、そういった子供たちがいると教師が勝手に仮定し、勝手に守り始めるのは、過保護なのではないかと考えるようになりました。

「給食中うるさい」と感じる子供がいる場合、彼らに何らかの形で意思表示をするよう促すべきです。その意思表示方法をどうするかは、子供自身の課題です。全員に伝えるのも良いし、教師に相談するのも良いです。その手段は教えておくべきですが(大抵は知っています)、本人自身もその問題をどう解決すべきかを考える必要があります。

教師が、子供からの相談もないのに、勝手にルールを設け始めると、納得しない子供、教師に任せればいいやと依存する子供、反発する子供が出てくるかもしれません。

起こった問題に対して、子供が課題意識を持つことで、解決を目指し、どうしたら良いかまで、彼らが考えていかなければいけないことなのだ、と思うようになりました。

また、教師自身が発言するならば、教師としてではなく一人の人間として「私は放送が聞きたいのですが、うるさくて聞こえないので困っています。」と言うのが良いかもしれません。

命にかかわるわけではないものの、教室には多くのルールが存在します。これらの問題をどのようにクリアするかが学級担任の課題だと思っています。

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