見出し画像

「古典」と「懐かしい」の間

『鉄道模型趣味』最新号(通巻987号:2024年4月号)で「いま…なぜ”古典”に惹かれるのか」という特集が組まれた。
編集長が編集後記で「あらたなトレンド」と語る”古典”の鉄道模型を、若手モデラーにフォーカスしてとりあげている。

「古典」に分類されるような古い車両は、Nゲージの量産製品として発売されることが少ない。
マイクロエースの1号機関車と7100形義経・弁慶ぐらいだろうか。

いずれも、製造元のイギリスから見れば、100年以上も昔の数あるマイナーな狭軌向け輸出機関車の一つに過ぎない。
ワタシたち日本人にとっても、自分史と地続きの世界だと感じられるのはごく限られた人だけだろう。

1号も義経・弁慶も製品化されるほどの知名度になっているのは、日本初・北海道初という肩書きがつくからこそだ。

一方、マスコミなどでは古けりゃ何でもかんでも「懐かしい」という枕詞をつければいい、みたいな風潮もある。
ただ、辞書をひもとけば「懐かしい」は「懐く」という動詞をもとにした言葉だ。そこに「自分とのつながり」がなければ本来の意味はなさない。

いま日本のNゲージで製品化される古い車両の多くは、そんな本来の意味での「懐かしさ」が多くのユーザーに共有されている題材ばかりである。

TOMIXやKATOなどの大手メーカーから発売されている車両のほとんどは戦後の列車だ。

すでに太平洋戦争の開戦から80年以上の時がたっている。それ以前の鉄道に慣れ親しみ、それを思い出として記憶にとどめている方々の多くは90歳を越えている。
戦前以前の車両の模型が商業的に成立するかと問われれば、厳しいと言わざるをえない。

そして十年二十年と経てば、国鉄時代そのものが「懐かしい」の外側の世界になってしまうのだろう。
「古典」と「懐かしい」の間にある時代は取り残される運命なのだろうか?

ヨーロッパに視線を移せば、そうとも言い切れない。
例えばドイツでは、戦前の時代区分にあたるエポック1・2のモデルが、いまもHOの新製品としてリリースされる。

もちろん、国の成り立ちや鉄道模型事情は日本と大きく異なる。そういった背景の影響を無視することはできない。

ただ、確実に言えるのは、自分と地続きでない時代の鉄道車両を模型として楽しむ文化が、かの地にはあるということだ。
「自分とのつながり」抜きでこのようなモチーフにアプローチするための何かが。

冒頭に挙げた、古典の鉄道模型に関するトレンドはそのヒントになるのかもしれない。

作って楽しいものは、「地続き」の外へ踏み出した先にある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?