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指定難病 20年以上に及ぶ肺高血圧症との付き合い方

指定難病って?

指定難病とは,難病法に定められている条件を満たす疾患であり(下記リンクpdfの2頁目に記載),これに登録されている疾患は特定疾患受給者証を申請することで,月々の医療費を安く抑えることが出来ます.

https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/nanbyou/dl/140618-01.pdf

たとえば,私の場合は,多いときには年間数千万円の医療費が発生していますが,自己負担は月々最大でも1-2万円程度です.
対象疾患は治療法が確立されていないため,長期にわたる付き合いが必要であり,また予後不良のものが多く存在します.

わたしはこの指定難病のうち,肺高血圧症と20年以上付き合っています.
この記事が,同じく肺高血圧症の方々,そのご家族等の参考になれば幸いです.

また,高校編以降では少し激しい描写を含むので,ごく低料金を設定させていただきR15指定といたします.ご了承ください

また,肺高血圧症患者・ご家族の相談にはいつでも応じますので,お気軽にTwitterへDMください.

肺高血圧症の症状・疾患

肺高血圧症とは,心臓から肺に血液を送る血管,肺動脈の血流が悪化することで、肺動脈の血圧が高くなる疾患です。 肺動脈の血圧が高くなると、心臓に負担がかかり、息切れやだるさ、足のむくみ、失神、喀血といった症状が出るようになります。
通常,高血圧と言われると腕に巻く血圧計を想像されるでしょう.これの正常値は100-130,そして140mmHgを超えると高血圧と診断されますが,肺動脈の正常圧力はそんなに高くありません.
概ね10-18mmHgが平均値とされており,これが20mmHgを超えてくると肺高血圧症の疑いが出てきます.

腕のように,肺に血圧計を巻くことは出来ないので,足の付け根や首にある太い静脈から肺動脈までカテーテルを挿入し,侵襲的に直接測定して診断,および経過観察を行います.(検査自体は1,2時間で終了)

血圧が高くなると酸素交換効率が下がり,徐々に症状が進行していきます.その程度には,例えばWHO肺高血圧症機能分類表では,I度からIV度まで分類されており,初期状態ではI度,症状が進むとIV度へとステージが上がっていきます.
当初は,少し疲れやすい・息切れしやすい程度ですが,症状が進むと息切れ・疲労の程度が強くなったり,喀血を起こすようになり,更に症状が進むと起き上がっていることですらつらい状態へとなっていきます.

※現在,この機能分類の評価方法に主観的な評価が広く用いられている事が問題視されており,6分間歩行のような定量的な検査方法を確立しようとしていますが,個人的にはこの検査方法も再現性の高い方法では無いと思っていますので,どうにかしたいと考えているところです.

※喀血とは,肺の血管が破れて気管支を通じて口から血を吐いたりする事を指します.

私と肺高血圧症

発症当時-中学生

発症は小学校2年生の頃です.
小学校の階段をいつものように登っていたら急にひどく息苦しくなり,階段踊り場で倒れました.
その後の記憶はありませんが,気がつけば病院で肺高血圧症と診断されました.
この少し前に,家族とハワイ旅行に行ったので,その時の気圧変化が切欠となったのではないかと思っています.

ただ当時,肺高血圧症には実績の多い薬が殆ど無く,私は特に何も治療を受けず,せいぜい体育・運動を禁止される程度で小学生生活を過ごしました.

中学生一年生担ったとき,初夏頃に大きな決断を迫られました.
この時には肺高血圧症の進行を抑える有効薬としてフローランが誕生していたので,これを始めないか,と主治医から提案されていたのです.
ただし,この薬は24時間静脈注射が必要なので,中学という活動的な時期に常に点滴ポンプを傍らに提げる必要があること,また薬剤の冷蔵がmustだったので,保冷剤も常に薬剤を挟み込む形で点滴鞄に入れる必要がありました.重量が増えるのはともかくとして,608時間おきに保冷剤を交換する必要が発生します.
そして勿論,静脈注射ですから中心静脈(CV)カテーテルを留置することになります.これに関しては,幼少期から別の疾患が原因で高カロリー輸液のためにCVカテーテルを留置していたので抵抗はありませんでした.

決断を迫られた,と書きましたし親からも持ちかけられたましたが,常に鞄を提げている姿を同級生達に見せたくないと言う以外に強い拒否理由もなく,投薬を開始することにしました.
フローランさえなければ,点滴バッグを提げませんから健常者との外見での見分けは一切付かなかったのですが,そう見えてしまうようになるのがとても,当時中学生だった私の心情としては辛かったです.

夏休み中に投薬を開始しました.
毎日決まった時間に自分で薬剤を調合する必要があるので,投薬量を調整し続けている入院期間中,毎日ナースステーションに通い看護師指導のもと調合の手ほどきを受けたのは楽しかったです.普段,ナースステーションの出入り口まで入ることはあっても,看護師が実際に薬剤調合などをしている作業机のあるところまで入って,プロと一緒に作業するのは貴重な経験だったと思います.
子供は吸収が早いですし,今でも私ほど早くフローランを調合できる人間はいないと自負しています.(2.8バイアルといった細かい調合を最短5分で完了できます)

夏休みが明ける前には退院し,二学期からフローランとともに通学です.
セメスター開始時の体育館での全体朝礼時に,校長に前に呼び出され
「この青い鞄の中に点滴ポンプが入っていて,胸元までチューブが繋がっています.決して強くぶつかったりしないように」
と,全体に声かけされたのは当時の私には大分抵抗がありましたが,今ではとても大事なことだったと認識しています.
そのおかげで,他学年の人にも広く認識してもらい,数年前も社会人になってから楽しい再会(私は向こうを知りませんでしたが…)があったりしました.

毎晩のフローラン調合は,それでもストレスです.連日40度の熱があっても,吐下血して緊急入院が必要な時も,疲れ果てて寝落ちしてしまったときも,必ずほぼ決まった時間には起きて調合していました.正直,健常者よりも体力があるのではないかと思うくらいハードです.
そうでなくとも退屈ですから,少しでも楽しくしようと,ストップウォッチを動かしてタイムトライアルしたり(このおかげで爆速になった),全ての調合部材はsingle use onlyですが,これを集めて注射器でプリンを作ったり,キャップをつなぎ合わせて妹とチャンバラごっこしたのは良い思い出です.
時には投げ出したくなりますが,母親の調合はまどろっこしいですし,一度私が倒れた場合に備えて父親を指導しようとしたことがあるのですが,緊張で滝のような汗を流すので逆に不衛生ということで以後は一度もお願いしませんでした.

中学校生活・通学

私の通う中学校には,幸いエレベータがありましたので,余程のことが無い限り,基本的にはエレベータを使ってフロア移動しました.当時は若く,肺高血圧症の症状もほとんどなかったので階段昇降も苦ではなかったのでついつい階段を使おうとしてしまいましたが,のんびり屋の友人が一緒に搭乗しようとしてくれていたおかげでエレベータを使うのも嫌じゃなくなりました.今思うと,この毎日の負荷低減は大きかったと思います.
また,通常が学年が上がると教室のあるフロアが一つずつあがるのですが,私の教室は常に1Fに設置されました.これも大きかったと思います.

通学校は最寄り駅から徒歩20分の場所にあり,しかも正門からは5-10分ほど急な登り坂を登らなければ校舎にたどり着けません.
さすがにこれを毎日徒歩で登下校するのは許容されない,と主治医に言われ,ありがたいことに親が毎日の車送迎をしてくれることになりました.
これについては本当に,感謝しかありません.
来られないときにはタクシーで登下校したのですが,唯一親から離れて友人と登下校できる機会なので,親は申し訳なさそうにしていましたが私はとても嬉しかったのを覚えています.
よく車内で喧嘩したし,運転中いろいろなことを細々と言ってくるので正直うっとうしいと思うときも多かったですが,「どんなに喧嘩していても下車するときにはありがとうを言うね」と当時親から優しく言われたのを覚えています.正直手がかかりまくったと思いますし,これは高校でも続きます.

高校生活-喀血

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