見出し画像

酒とかいう悪友との上手な付き合い方が未だにわからない

座っていると睡魔が顔を出しそうなので、立ちながらパソコンを叩く。水曜日の朝、私はオフィスで二日酔いと戦っていた。昨日、平日にも関わらず飲みすぎたせいだ。なんとかタクシーで帰ったが、如何せん体調が悪い。

深酒した翌日は決まって後悔するのに、何度も同じ過ちを繰り返してしまうのは何故だろう。おそらく、そんなのは古今東西で手垢のつくほど思考されてきた、陳腐な問いなのだろうけど。

その「後悔」というのが、睡魔とか二日酔いといった、身体的弊害によるものだけだったらさして問題ではない。しかしここ最近私は、飲みすぎた翌日、漠然とした抑うつ感に襲われることが多くなっていた。このままだとやんわり破滅していきそうだな......となけなしの生存本能にSOSを出されている気がしたので、酒との付き合い方について一度考えることにした。

---

前提として、私はどちらかというと酒に強い方だ。そのため、酔いを回らせるにはそれなりの量のアルコールを摂取する必要がある。それに加えて、思い返せばここ最近の飲みの席では、自ら意識的に酔っ払いにいくことが多かった。早く酒の力を借りて理性の手綱を緩められるように、深いことを考えずにこの場を楽しめるように。そんな痛切な願いを胸に、1杯目のビールを胃に流し込んでいた。

2軒目に行った辺りで、少しずつ酔いが回ってきた頃ですら、まだ私は頭の片隅で自分のことを客観視している。(あぁ、私は今酒の力を借りてるな)とか(普段だったらこの人に気軽に話しかける勇気すらないのにな)などと俯瞰しては、そんな自分の虚しさに辟易としている。そして、そんな雑念から早く開放されたいがためにアルコールを流し込む。

3軒目に行った辺りで、ようやく脳の機能が低下してくると、俯瞰で見ていた自分が姿を消す。それからが楽しい夜の幕開けだった。その頃には、飲めば飲むほど楽しくなり、口にグラスを運ぶ手が止まらなくなっている。アル中の一歩手前か、ひょっとしたら片足くらいは突っ込んでいるかもしれない。

---

そして、そんな日の翌朝は、決まってベッドの中で鬱屈とした気持ちに襲われるのだった。昨晩の自分の言動を一つ一つ反芻し、

--あのときの自分は周りからどう見られていたかな?
--馬鹿だなって軽蔑されてたかな
--こんな自分好きじゃないなぁ
--私はこんな中身カスカスな人間じゃないのに

などと堂々巡りの思考をしている。どうすれば翌日含め最初から最後まで楽しく酒を飲めるんだろう?やはり2軒目くらいで止めておくのが一番いいのだろうか?こんなに悩むくらいなら下戸の方が良かったのではないだろうか?一瞬そう考えるも、これまでの私の人生から酒を取ったら、楽しかった記憶はどれくらい残るだろうと考えて恐ろしくなる。

---

長かった一日が終わり、今日こそはしっかり寝ようと定時で退社した。家に着き、早々にベッドに入ろうとしたとき、昨晩一緒に飲んでいた男からLINEが入った。

「ゆりかちゃん二日酔い大丈夫?俺は結局今日も飲んでるよ😂」

あぁ、この人は自分と全く別の人種なんだな、と思った。私が今日一日抱えていた鬱屈さを、この人は微塵も感じていないのだろうな。ここまで健全に酒を飲めたらどれだけ幸せだろう、という羨ましさすらあった。しかし同時に、私はどうしたってそちら側の人間にはなれないのだろうなとどこかで確信もしている。

いっそのこと断酒するか、「酒の力を借りないと場を楽しめない虚しい自分」を諦めて受け入れるかであれば、どちらが簡単なことだろう?それともそんなのはどちらも不可能で、ずっとこの自己嫌悪に苛まれながらも私は酒を飲み続けるのだろうか。それとも、酒の力を大して借りずとも、ほどよく飲みの場を楽しめる日が来るのだろうか。

いつかそんな日が来るといいな……。答えの出ない思考を巡らせながら、私はビールのプルタブに手をかけた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?