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104: 愛なき惑星

宇宙暦41235.25
ターシャことナターシャ・ヤー保安部長がリゴン2号星の長・ルタンによって誘拐される。ターシャはルタンの妻ヤリーナと命をかけて決闘させられることになる。決闘はターシャの勝利となるが、ヤリーナは即座にエンタープライズに転送収容され、解毒・蘇生させられる。
大まかなストーリーは以上である。詳細な話の筋は本編をご覧になってほしい。

最初に言ってしまうのだが、私はこのエピソードがどうしても好きになれない。

リゴン星

女性を誘拐して結婚(花嫁候補に)するという設定は、現在でもキルギス地方でおこなわれる誘拐婚の「アラ・カチュー」をヒントにしているのではないかと思われる節がある。

それに地球人とリゴン人が対面した時の挨拶として、掌を相手に向けた状態で両手を顔の横にあげる仕草もなんだか、ネイティブアメリカンやアフリカ大陸系の民族を連想させる。

リゴン星での宴席や決闘シーンにおけるお囃子のような楽器類もアフリカ大陸を連想させるものになっているなど、至るところに「未発達の文明」「文明からは程遠い」という言葉を連想させるステレオタイプなイメージが織り込まれている。

ミス・キャスティング

こういったシーンがたっぷりの脚本のストーリー自体は、多少つまらないという程度でターシャの保安部長としての実力紹介と捉えればどうということはないが、この惑星リゴンの文化程度の設定にして、リゴン人のキャスティングを全員黒人にしたところに、無意識のうちの偏見を垣間見るような気がして気分が沈み気味になってしまう。

そこに来てラストには誇り高いリゴン人自身に「(地球人よりも)文化的である」と、負け犬の遠吠え的な、救いようのない自画自賛のセリフを言わせてしまう。それを聞いたピカード艦長はじめエンタープライズのクルーたちにセリフを与えていないが、まさに絶句したという印象だ。(ここに来てまだそんな負け惜しみを言うのか…)と言う絶望的な雰囲気であるというのが私の印象なのだが、皆さんはどう思われただろうか。

このエピソードに偏見や差別を感じてしまうのは今の時代の感覚なのだろうか。
私自身も1980年代を生きてきたわけだが、あの時代ならこのエピソードを当たり前のものとして自然に楽しんでいたのだろうか。記憶としては良くも悪くも強烈な印象が残っていないのでなんとも言えない。単につまらなかったと思っただけなのかもしれない。
時代のせいといえば時代のせいなのかもしれないが、人間ドラマとして普遍性のあるテーマを扱うことも多いスタートレックにしては、残念ながらお粗末なストーリとミスキャスティングだったと思わざるを得ない。

星一つにも足らず

原題は「Code of Honor」となっており、「名誉の基準」とでも訳せるだろうか。確かに誘拐が勇敢な行為であったり、名誉・誇りの基準が違う世界ではあるが、歴史が地球人と酷似しているとしてああいった設定にしたのは、私としてはまったく納得いかない。

そんなわけで私としては星評価するならば星一つにも満たない、酷評すべきエピソードである。

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