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クロワッサンのサンドイッチのこと

私の住むこの国が経済危機に陥り、給油できず、通勤のための手段が本当に限られてしまった時期があった。まだその時から1年たっていないのに、人はすぐ忘れる。そんな危機があったことなど遠い昔だったかのようにみんな生きている。それどころではない人生を送らざるを得ない人もたくさんいる。
普段私は月契約した通勤用バス(スクールバスのようなもの)に乗って街まで出ているが、そのバスにいよいよ給油ができなくなり、バスが無くなった。汽車で行くか、公共のバスで行くか、の選択肢しかない。自家用車にガソリンは残っていたけれど、緊急時のために残しておかなくてはならない。
公共のバスも本数はかなり減らされていてどれもこれも満員御礼。満員以上の乗客が乗りバスが傾いているなんてことは当たり前の光景だった。
そんな満員バスに揺られてその日のエネルギーを朝にすべて使い果たすことを私はどうしても避けたくて、日の出前の真っ暗な中、自宅を出て、まだ乗客の少ないバスに飛び乗って、座席を確保して街まで出ていた。

私の仕事は銀行とのやり取りがメインで、そのため銀行に週に最低1度は行く必要がある。普段は社用車を使って銀行に送迎してもらっているが、社用車の給油もままならない状況、どうやってそこそこ距離のある銀行まで行くか、そこでひらめいた。通勤に使うバスの終点のその先に銀行があるから、事務所に出社せず直接銀行に行って用事を済ませて、そこから何とかして事務所に向かえばいいじゃないか、と。

自分の思い付きに気分を良くした私は、いつも通りまだ暗い時間にバスに乗り込み、そして終点の街についた。朝7時。銀行が開いているわけがない。
どこかで時間をつぶそうにも、ガスも不足しているこの経済危機、普段開いているような場所もことごとく閉まっている。
銀行が開くまでの時間どこで過ごそうかなあ、と思いつつとりあえず銀行方面にゆっくり歩きだす。そこで思いつく。

わたし外国人じゃん!

銀行のそばにある五つ星ホテル、そこは私が20年以上前に結婚式を挙げたところ。そのホテルのラウンジで時間をつぶす、それが今の私には許されるはず。別に外国人じゃなくても許されるけれども、私には私への理由が必要だった。こんな大変な状況にこんな贅沢をする、それを自分自身に許さなくてはならない。外国人としてだったら違和感がないに違いない。
そう思って背筋をいつもよりも少しだけ伸ばして、なるべく堂々と見えるようにホテルに入る。かっこつけてグッモーニンとか言いながら。

そしてそこでクロワッサンのサンドイッチと温かいコーヒーをオーダーした。家の近所に売っているお弁当だったら家族五人がおなか一杯になりそうな金額だったけど、かっこつけてオーダーした。

元気なふりをしていたけれど、本当は消耗していた。いつ終わるかわからない経済危機、家のガスだってなくなったら薪で調理しなくてはならない。ガソリンがなければ夫の仕事だってままならない。子供の学校もガソリン不足で再びオンラインになってしまった。そんなこんなのストレスで些細なことで家族内でも口論になってしまう。職場に行ってもみな、出勤してきた時点で疲れ果てている。燃料不足により長時間の停電も当たり前。感じる心をシャットダウンしないと、国の状況に飲まれてしまう。

そんな時に食べたクロワッサンのサンドイッチ。これが本当に本当においしかった。ああ、求めていたのはこういう味!という味だった。家でもガスをふんだんに使うような料理は避けていたし、食べたいものを食べるというよりは、その時に食べられるものを食べる、作れるものを作る、そんな暮らしになっていた。
ナイフとフォークを使ってクロワッサンのサンドイッチを食べながら、まだ、私頑張れるかも、そう思った。今でもあの味は簡単に思い出せる。ああおいしい、と心から思えた自分がうれしかったのもある。

銀行が開く時間になったのでホテルを出て、そして仕事を開始した。
多分この先も何かきつい状況が起きたとき、あのサンドイッチの味を思い出すような気がする。
いつかまた食べに行きたいな。

あの時と同じ感動が味わえるかな。

#元気をもらったあの食事

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