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30代になって『老人と海』が沁みた

福岡から新千歳に向かう飛行機のなかで、ヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
アウトローだったこの作家に、ノーベル文学賞という最高の栄誉をもたらした作品。
もともとヘミングウェイの文章が大好きで、この小説も「いいなぁ」くらいには思っていたのですが、32歳になって読み返してみると桁違いに沁みたので、雑感とあわせて感想を書きます。(みんなも読んで。短いよ。表紙が可愛い!)

めっちゃ太ったからヘミングウェイの気持ちが分かる

2年ほど前から(思えば30になってからか!)、めっちゃ太ったんですよ。
もうあっという間に10kgくらい太って、そこから多分また10kgくらい太ったんじゃないかな。
で、今回思ったのは、「おれめっちゃ太ったからヘミングウェイの言いたいことが分かるようになったんだ」ということ。
デブになったことを正当化してると思われたくないので、順を追って説明しますね。

『老人と海』のあらすじ

『老人と海』は、キューバ・ハバナの小さな漁村の老いた漁師を主人公とする話です。
漁師たちは巨大なカジキマグロをメインの獲物として、それぞれに鎬を削りながら腕を競っている。
主人公のサンチアゴはかつて村一番の漁師でありながら、老いにともなって段々と釣果が悪くなり、ついに「87日間連続ボウズ」という、記録的な不漁に見舞われて、自信を失いかけている。ー

ここまで書くとちょっと切なすぎてしみったれた話ですが、老人には彼を慕ってやまない愛弟子の少年・マノーリンがいる。
マノーリンだけは何があっても老人を尊敬し、何くれと身の回りの世話を焼きながら、サンチアゴに漁を教えてくれとせがみます。
老人は「釣れてもいないのに少年を預かることはできない」という想いから88日目も船を出し、ついに伝説的な巨大魚を針にかける。
しかし老体ひとつでは簡単に仕留められず、老人は大魚に引っ張られるまま1週間もたった一人で沖をさまようことになる。サメや、日照りに襲われながら。ー

ざっと上記が、老人と海のあらすじです。

たったひとり海の上で

これがこの小説のすごいところで、一週間を海の上でひたすら大魚に気を配りながらさまようので、老人は船上で様々なことを考える。

老い。漁。孤独について。運について。自分の死。少年。時にはメジャーリーグの勝敗予想をしながら。

ヘミングウェイは船上の老人の言葉を借りて、人間の一生の、ありとあることについて考えさせてくれる。

一番印象的だったのが、老人が自分の「老い」を他者と捉えて、語りかけているところ。

「いまだ。手よ、頑張ってくれ」

上記のように、老人は事あるごとに年老いた手や、背中や、自分の頬にまで語りかける。
この感覚、昔は全く理解できず、「年寄り特有の感傷なのかな?」と思っていたのですが、今は痛いほど理解できます。
なぜなら、めっちゃ太ったから。

僕は急速に10kg以上太ったので、自分の感覚がデブになった自分に追いついていないんですね。
こないだ背中で両手を組もうとしたら、組めなかった。
柔軟性がどうとかじゃなくて、肉がつきすぎて挟まって痛いんです。単純に届かない。
あと、キッチンでちょっとストレッチしたら気絶しそうになった。

これは歴とした事実で、太っているから腕が回らないという普通のことなんですが、僕の中では昔の感覚が抜けないから、

「おいおいおいおい。腕よ。背中よ。どうしたんだよ〜ハハッ」

みたいな感じになるんですよね。

それからやっと、
「ああ、自分は老いたんだ。好きなものを食っていては自然と肥え、筋肉が衰えるようになってしまったんだ。」
と気づく。

自分の意思とは全く関係なく、気が付いたらそこにあるからでしょうかね?僕は「老い」を、「喫茶店で隣に座ってきた人」のように感じています。

決して自分の状態変化とは思われない。
いつの間にか、静かな隣人とふたりで生きることになったみたいな感じ。

ノーベル文学賞も納得

だらっと書いてしまったのですが、とにかくこの小説面白いです。
面白いというか、いい。

老人は孤独な舟の上で、大魚に語りかけ、負傷した手に語りかけ、少年に語りかけながら必死に漁をするなかで、「無私」の境地に達していると思いました。

自分がどう思われてるかな、どうしたらもっといい想いができる?どこへ向かってポジションをとれば、キラキラできる?

そうした一切の悩みは老人を去っており、できないことが増えていくなかで、懸命に、そしてごく自然に少年のためにできることをしていく。自分のために。

人間の、ある美しい、偉大な生き方が135ページのなかにやさしく凝縮された、傑作の短編小説です。

まだの方、ぜひ!

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