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【基礎教養部】ケーキが切れない非行少年を読んで

少年で犯罪を犯してしまった者には多くが、現実の認知に不具合が生じていることを知った。このような世界の見え方が違うことを自覚することは難しく、犯罪を犯して少年院に入所して発覚するケースが多い。また、罪を犯してしまった少年は先のことを見通す力が弱いことが多く、これをしてしまったら後々どうなるかということが考えられない。そういったことで社会において犯罪を犯してしまうというのが現状である。
これらの少年は実際に小学校や中学校で生活をしていく過程で、自らサインを発しているケースがある。それらのサインを周りが見落としてしまった結果、社会で適応できず非行に走ってしまう。こういった少年を救うにはどうしたら良いのだろうか。


ヤンキーと非行少年

僕の出身にも例に漏れずヤンキーと呼ばれる人たちは存在した。中学校の時点で窃盗や喫煙、原付バイクで登校等々、一歩間違えれば少年院に送られてしまってもおかしくないような人たちであった。そんな彼等は今何をしているか、先日飲み会で知り得た情報によると意外と真っ当に生きていた。

aさんの場合
aさんは高校卒業後、看護学校に入るも半年で退学、その後バーの夜勤と昼間の建設業をやりながら今は昼の建設業一本で働いている。実家にもお金を入れながら趣味の車やバイクにもお金を使い、充実した生活を送っている感じであった。


地方のヤンキーと都会のいじめられっ子

掲示板などインターネットでたまに話題にあがるのが、田舎のヤンキーが若くして車や家庭を持ち充実した生活を送る中、いじめられっ子は都会のブラック企業でこき使われ、悲壮感ある生活を送っている。田舎のヤンキーの方が幸せではというものだ。
aさんの例をみると、この田舎のヤンキーのように充実した生活を送っているように見える。

それではこの田舎のヤンキーとケーキが切れない非行少年の違いは何だろうか。

非行少年たちの多くがケーキが切れない、いわゆる認知のゆがみ、先の物事を考えられないような人たちと考えていたが、充実した生活を送っている非行少年はこれらの障害を抱えているか否かで違いがあるのではないかと思った。

本に挙げられていた非行少年の多くが、これらの障害のせいで社会生活にストレスを抱え、それらを発散するまたは自分の逃げ場所として非行に走ってしまった例が多く挙げられていた。一方aさんのような非行少年は非行に走っていた当時の社会生活(家庭環境や学校生活など)は特に問題を抱えているようには見えなかった。(当事者ではないため実際はわからないため、あくまでも第三者目線)
どちらかというと、思春期によくある悪いことがかっこいい、そんな理由で非行に走っているといった印象だった。

そうすると非行少年が充実した社会生活を送れるかどうかは、自身の能力次第ということになってしまうと思う。よく幼少期は田舎のスラムで生活しその後成功を収めた、というような話を聞いたことがあるだろう。スラムでギャングになるか成功者になるか、結局は本人の能力ということなのだろうか。

現実の認知に不具合が生じている、先の物事を考えられないといったことが非行に走り、少年院でこれらのことが発覚するといったことが問題である。
そのため、少年が非行に走る前に見つけることが必要になってくる。そんなことは多分教育現場や行政などわかっていることであろう。
しかしながら現実問題、社会に適合できず少年院に行ってしまう少年が後を絶たない。


消極的非行少年?これらを助けよう

社会生活にストレスを抱え、それらを発散するまたは自分の逃げ場所として非行に走ってしまった少年を、自ら積極的に非行に走る少年と区別するためここでは消極的非行少年としよう。最近都知事が視察に来ていたトー横とかそういったところには消極的非行少年が多く存在してそう。
国は不登校特例校を学びの多様化学校にするとかなんかやっている。こういうのって実際当事者はどう感じているのだろうか。本では社会に適合できていないと感じる少年が、支援を求めてサインを出していたが周りの大人はそれに気づかず、結果的に非行に走ってしまった事例を紹介していた。だからといって何でもかんでもフリースクールのようなところに送りこんでしまっても、自分は結局こういうところでしか生活できないという劣等感をいだきかねない。(←でもこれはフリースクール=社会から脱落した底辺といった私の偏見を含んでいるかも)

社会を生きる上でその場所に適合できなかったとき、他の生きる場所を用意するのが国や行政の仕事だろう。またこれらの場所を周知して自身が社会に適合できなかったとき、逃げるという表現は適切ではないかもしれないがいつでもそういった場所に逃げれるような社会をつくる。さらに周りの人が今の環境に適合できていない人を見つけて、適切に支援してあげられるような社会を作らないと誰しもが生きやすい社会を築くことは難しいのかもしれない。






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