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サマー・オブ・ラブ

あっちぃー!と叫びながら小学生たちがプール道具のはいった袋をふりまわして駆けてゆく。夏だね。

近所のスポーツジムでは毎週土曜の朝がスイミングスクールのレッスン日と決まっているらしい。ジムの前を通り過ぎるとき、自動ドアの向こうからうっすらと漂ってくる塩素の匂いがすきだ。

もてあますような長期の休みなんてないくせに、夏になったらあれをしたいとかこれをしたいとか考えてしまう。そのくせ、夏はすぐ体調を崩すのでここのところずっと調子がよくない。屋外にいると頭がいたくなるし室内にいるとお腹がいたくなる。半屋外、みたいな場所があったらきっとそこはわたしにぴったりだ。学生のころよく時間をつぶしていた、5号館の裏庭をなつかしく思う。木々に囲まれた場所が涼しいというのはほんとうで、講義のあとはそこを訪れては隅のほうにさみしげに設けられた喫煙所でたばこをふかして気取っていた。

暑い季節がくるたび、そうやって一瞬だったり永遠だったりした時間のことを考えてしまう。とりわけ8月だけがゆるくなったゴムひもみたいにびよんと伸びて、4月や10月にくらべたら倍以上あるんじゃないのというくらいにながくながく感じられた夏休みは、蜃気楼にも似ていたかもしれない。いま、会社員としての休日はまぎれもなくみじかいと思ってしまうのに。

じぶんの部屋の冷房はどういうわけか、昼すぎになるとあまり効きがよくならない。つめたい飲みものでもつくろうと思って、すこしまえに香港で買ったざくろのお茶を淹れてみた。パッケージの説明通りにきちんと煮出してみれば、ルビー色のステンドグラスを融かしたようなすてきな液体ができあがった。カクテルでよく使われるグレナデン・シロップと似た香りがするなと思っていたら、まさにそれがざくろ由来のシロップだということをはじめて知った。とろりと透きとおって赤くて、砂糖やお酒を加えてもいいかもしれないと、たのしみがふえる。買ってよかった。海外で手に入れたおいしいおみやげを紹介する記事をいつか書いてみたい。

からからとグラスの氷を鳴らしながらインターネットをながめると、いつものようにうんざりするようなニュースばかり目にはいる。他人についての情報というのはそう毎日必要なものではない。さっさと接続を切ってしまえばいいのにそれをしないのはなぜだろう。たのしいことにだけ囲まれて生きていきたいとか、口にはするけど、ほんとうのところは何かと向き合ったり考え続けたりしなくてはならない気がしている。だれに頼まれたわけでもないのに。

うんざりするようなニュースにはうんざりするようなコメントが蜘蛛の糸にむらがる罪人たちのようにたくさんぶらさがっていて、おしゃかさま、いっそ根元からぱちんと切り落としてくださいと思う。じぶんの意見がいつでもぜったいに正しいと思えるのは、しあわせなことなのかもしれない。あくまでその人自身にかぎったことだけれど。

夕方からは、缶ビールと鶏のからあげをたずさえて河川敷へ花火をみにいった。夏だね。

どどんと打ちあがる光のつぶをながめながら、おーとかうわーとかいって無数の人々が歓声をあげているようすがおもしろい。どこからか「たまやー!」と張りあげる舌足らずな子どもの声がきこえてきて、今どきでもそういう言葉をどこかで教わったりするのだなとほほえましくなった。

すくなくともここに集まっている人は、いま同じものをみてきれいとかたのしいとか感じているのかもしれないと思うことで、すこしだけ安心する。

夜の河川敷は涼しくて、湿った風がだれかのビニール袋をさらっていった。花火がおわったあとの人波をふりかえれば広がっている、余熱を冷ますような静けさがすきだ。



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