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大学発スタートアップに寄生する大企業出身の「やんごとなきおじさん」という病巣

「ポスドク」という職業がある。博士号(ドクター)を取得した「あと(=ポスト)」の身分なのでポストドクター、略してポスドク、と呼ばれる。要は非正規雇用の研究者を指す用語だ。

これまでの5回の記事において、私は東大卒業後にポスドクとしてスタートした自分のキャリアをもとに、ポスドクの民間企業への転職の実態を書いてきた。その中で、伝統的な日本企業の雇用慣習、具体的には貴族的とも言える「大企業の正社員」という特権階級との対比を通して、ポスドクのありうるキャリア戦略について述べた。具体的には、日本型のメンバーシップ型雇用はあきらめ、外資型のジョブ型雇用でのキャリアビルディングを目指すことが現実的であるとし、しかしながら生涯賃金においては1億円程度の差がついてしまうこと(つまり博士号取得により1億円損する)を解説した。

ここで、これまで触れてこなかったポスドクのもう一つのキャリアプランについて述べたい。それはスタートアップへの転職である。

「産学連携」という言葉が古くから使われているように、大学で生まれた知的財産をいかに産業界に橋渡しするかというのは、国家における重要課題と考えられてきた。最近では特に「スタートアップ育成」という呼び名のもと、大学発ベンチャーに一層の支援が注がれようとしている。

大学などのアカデミアで研究者としてのキャリアを築いてきたポスドクにあっては、このようなスタートアップ企業への転職というのは有力な選択肢となりえる。研究者として培ってきたスキルがそのまま使えるという意味において、ジョブ型雇用のキャリアビルディングの戦略にも合致する。このように良いところだらけに見えるスタートアップであるが、見逃すことができない大きな問題をはらんでいることがある。それが、スタートアップに潜む「やんごとなきおじさん」問題である。

やんごとなきおじさん問題とはなにか。それは、伝統的な日本型大企業においてキャリアを全うしたシニア世代が、第二の人生としてスタートアップに転職し、そこで働いている現役世代の研究者とのあいだで種々の摩擦を引き起こす問題、と表現できる。大企業において貴族的な働き方をしてきているため、言動や考え方までもが「やんごとなき(高貴な)」人になってしまっていることから、このような名前がついている。

やたらと年齢層の高い人々が会社の中心にいることに大いに戸惑っている。大学初スタートアップに転職した多くの元ポスドクから、こんな相談を受けることが頻繁にある。おそらく、この界隈における普遍的な問題となっているのであろう。やんごとなきおじさんとランチに行くとかならず2,000円近いコースになるので、正直困っているとは、とある元ポスドクの言葉である。大企業の社員として、それもシニアまで勤め上げた人材として、ランチに2,000円近い金額を出すのは自然なことなのかもしれない。

ランチ代の金銭感覚の違いだけなら笑い事で済まされるかもしれないが、やんごとなきおじさんがもたらす問題は根深い。それがもっとも典型的に表れるのが、人事関連のタスクに対する過剰な介入である。

そもそもスタートアップ企業に求められる人材というのは即戦力であることが前提である。大企業を定年退職したシニア人材が入社してくるのは、豊富な知識と業界に対する幅広い経験を期待されてのことである。ところが実のところ、ジョブローテーションを繰り返しながら出世していくシニア人材がスタートアップで求められるスキルをもっているかというと、かなり怪しい。シニア人材が現役だった20年ほど前の知識がそのまま使える業界ならいざしらず、最先端の知を産業界にもたらそうとしているスタートアップにおいて、そのようなことが起こることはあまりない。

そうすると、やんごとなきおじさんはスタートアップで何をするか。これといった専門性のないシニアが取る行動はほぼ決まっている。それは、人材育成のような教育関連のタスクや、人事評価制度の整備といった、いずれも人事関連の業務に対する過剰な介入である。

外資系でみられるジョブ型雇用システムにおいては、人事は「Human Resource (HR)」という部署が実施する、極めて専門性の高いジョブである。これに対して日本の人事部というのは、従業員のキャリアそのものに対する決定権を持つ、経営サイドに近い重要な部署であるとされることが多い。そのような生殺与奪の権利を持った人事部に翻弄されたシニア達が、まるで意趣返しをするかのごとく、スタートアップという小さな世界において今度は自分たちが選ぶ側の人間になったといきごみ、せっせと人事制度をいじくりまわしているというのが、多くの大学発スタートアップでみられる光景である。いわく、会社員としてどのような態度で就業すべきか、理想の会社、あるいは世界を作るため、どのような行動が望ましいか、そのような言説を毎日のように聞かされて疲弊していく元ポスドクの悲鳴のような声が、私の耳に幾度となく届いている。

そもそもシニアたちは現役世代のうちに十分な金額の賃金を得ており、定年後に残された人生においては、金銭ではなく精神的な充足を得ようとしてスタートアップにジョインしている。これに対して現役世代の研究者たちというのはシニア達のような恵まれた賃金や福利厚生を得られる見込みは極めて低い。やんごとなきおじさん問題というのは詰まるところ、メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用のそれぞれの就業者が合流する地点で生まれる軋轢と整理することができるであろう。

ところで、なぜスタートアップは「やんごとなきおじさん」を雇ってしまうのか。この問題に対して、私なりの説明を試みたい。

そもそも国がやろうとしている「スタートアップ育成計画」というのは、岸田政権になって登場した「新しい資本主義」の政策の一つである。

イノベーションが登場するのは旧来型の大企業ではなく、スタートアップである。これはアメリカで登場したGAFAを見ても明らかだ。したがって我が国日本においてもスタートアップ支援が重要である。これが国がスタートアップを支援するということの根拠となっている。しかしながら、わたしはこのロジックがいまいちよく理解できない。そもそも就業メカニズムひとつ取ってみても、メンバーシップ型雇用が主流の大手日本企業と、ジョブ型雇用が一般的な欧米各国で全く異なる。そのような産業構造の違いを無視して、単純にスタートアップ支援を打ち出してイノベーションが加速するのか、甚だ疑問である。

この点については実は「新しい資本主義」でも触れられており、政策実現のためには「労働市場改革」が表裏一体であるというふうに論じられている。詳しくは各種資料を読んでいただくとして、要はメンバーシップ型の貴族的で不平等な社員の首を切りやすくし、その受け皿としてジョブ型のスタートアップを手厚くしようという政策である。そもそも産業界というのはいつの時代においてもメンバーシップ型雇用の維持には消極的であり(窓際族のおじさんを首にできない今の仕組みに不満を持っている)、ジョブ型雇用への切り替えに積極的であるという背景がある(このあたりの歴史的事情については、「日本社会の仕組み(小熊英二著)」がわかりやすい)。

ところが現実問題として、ジョブ型雇用への切り替えは既得権益を既存するものであるから、大企業の社員側から出てくる提案となりえない。結局労使問題としての決着点として、非正規労働者の拡大という流れが続いており、今後もこの仕組みが変わることはないであろう。

そうすると、スタートアップ支援というお題目だけが残る。特権的身分である現役世代の大企業正社員がわざわざスタートアップへ転職するインセンティブは限りなく低く、結局のところシニア世代の第二の人生の花道としての役割が拡大されることになる。高齢者の就業問題というのは重要な政策課題でもあるため、これはこれとして結果オーライともいえる。私の見立てでは、この流れはこれからますます拡大するであろう。そうしたダイナミックな時代の流れの中で、本来の意味でスキルを持った現役世代の元ポスドクたちが、ある種の不利益を甘受しつつ働いているのだ。2,000円のランチコースを前にして向かい合っている二者は、こうした問題の縮図ともいえる。

以上で私なりに考えた「ポスドク問題」の論考を終えたい。次回はまとめとして、リアルにポスドクとして人生設計に悩んでいる人に向けた、キャリア戦略の指針を整理したいと思う。

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