誹謗中傷は厳罰化では無くならない

侮辱罪の厳罰化などを盛り込んだ刑法改正案が6月13日、参議院本会議で賛成多数により可決したそうだが、厳罰化で誹謗中傷が減るのは、本人に罪の意識があるときのみだと思う。

例えば、スピード違反で捕まると分かっている人には守らせる効果はあるかもしれない。
一方で、スピード違反だと分かっていない人には何も効果がない。

検挙したところで、再発防止にはなるかもしれないが、すでにスピード違反という行為は行われている状態。

誹謗中傷に言い換えれば、自分の行為が誹謗中傷だと思っていない人には、いくら厳罰化したところで、何の効果もない。厳罰を科したところで、すでに誹謗中傷で傷ついている人がいるという状態になるだけ。

「厳罰化」の根本的な間違い

厳罰化は罰を重くして抑え込もうという考え方だが、そもそもその発想こそ大きな間違いではないか。抑え込んでも誹謗中傷を書き込んだ、書き込もうとした人の考え方は変わらない。差別などがまさにそうだが、SNS上で減っても、差別感情が人に残る限り差別は無くならない。同じように誹謗中傷も、SNS上で減っても、その原因となりうる火元は残り続ける。

それよりも考えを改めてもらう方が現実的だと思う。

そのために必要なのは、自分の行った行為が誹謗中傷にあたると認識させること。

例えば、誹謗中傷の書き込みを行なった場合、
①SNSサービスからの警告
②公的機関からの警告(郵送で自宅に警告書を送る)
③事件として立件

というような段階を踏めばいいのではないか。

①で認識を改めてくれればいいし、②の警告書が家族などに見られれば、当然問題になるだろう。現実に送られてくるという事実が、ネット上の自分の行為を見つめなおすきっかけになるのではないか。
それでも自分の行為を間違っていないと思っている人には、そもそも厳罰化をしようが段階を踏もうが意味が無いと思う。

いじめと同じように、発生自体をゼロにするのは極めで難しいと思う。いじめを厳罰化したところで、いじめる側に”悪いことをしている”意識がなければ、いじめは減らないし無くならないのも同じだと思う。

厳罰化は罪を重くして”価値観を押し付ける圧”を強めただけに過ぎない。それで人の価値観自体が変わるわけではない。

自分の行為で苦しむ人がいるのを理解してもらう事に力点を置くべきだと思う。

罰を与える=すでに傷ついた人がいる わけで、それでは遅い。

厳罰化に期待を寄せる人には悪いが、厳罰化では何も解決しない。減ったとしても表面上よくなっただけで、現実は何も良くなっていない、なんて最悪のことが起きかねないと危惧している。

誹謗中傷はさせない事ではなく、しようと思わないことを目指すべき。

そのためには、あなたの言葉で苦しむ人がいると”気づかせる”必要があると思う。

厳罰化は”気づかせる”というより、気づいた時にはもう遅いという思いを強くするだけではないか。

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