見出し画像

続編:現代を生きる人への「アリとキリギリス」

以下の話の続編です。
■ 現代を生きる人への「アリとキリギリス」
https://note.com/joe_kamita/n/nf5cfd3b87299

試行錯誤

アリは、音楽を好きだと感じたことがなかった。
でも、あまりにもキリギリスが熱心に勧めるので、自分の脚をばたつかせながら、その振動を音に変えようとした。
10分ほど試行錯誤を繰り返したが、一向に音を出すという感覚がつかめない。

「やっぱり私には無理だよ。どんなに素早く脚を動かしても、音なんて出ない。」

キリギリスも苦労していた。これまで、オスの仲間たちに教えるのは比較的ラクだった。彼らはもともと、音を鳴らすことは出来ていたのだ。
しかし、自分と全く体のつくりが異なるアリに対しては、どうすれば音を出せるのか自体が分からなかった。良いアドバイスも思いつかなかった。
ただ、せっかく前向きになってくれたアリの気持ちを大事にしたい。

「そうだね。確かに僕と君では体のつくりが違う。脚を速く動かす以外にも、別の方法があるかもしれないね。」

さらに頭を巡らせる。
アリは重いものを運ぶことができるのだから、枝や枯れ葉などを持ち上げて何かにぶつけることで音を立てられるかもしれない。
試してみたが、かすかな摩擦音が出るだけでとても音楽とは言えない。

「大丈夫だよ。僕もそうだった。最初の日は色々考えるんだけど、全てがうまく行かないんだ。そんなものだよ。」

キリギリスは、自分自身に言い聞かせるかのようにアリを慰めた。
その言葉は、アリの心には響かなかった。

逡巡

アリは、自分の巣に帰ることにした。
サムライアリの急襲で我を忘れて興奮していた仲間のアリたちも、ようやく落ち着いてはいたが、事態を直視できず悲嘆にくれていた。

「これから、どうしようか。」

「どうもこうもないよ。全てが終わったんだ。野たれ死ぬ以外に、何があるってんだ。」

仲間たちは、もう完全に生きる気力を失っている。
キリギリスと話をしたアリだけが、反論した。

「ほんとに終わってしまったのかなあ。確かに私たちが守ってきたものはなくなったよ。でも、私たちは生き残ったじゃないか。」

「生き残ったよ。でも、もう楽しい日々は帰ってこない。帰るべき巣をなくしたアリなんて、糸がちぎれた凧のようなものだ。風に流されて成仏するのを待つだけだ。」

「違うんだよ。」

アリは、先ほど教えてもらったことを伝えた。
自分がやりたいことに熱中する時間が大事、というキリギリスの言葉とともに。
でも、仲間には全く理解されなかった。

「キリギリスとアリは全然違う。彼らの生き方なんて真似できないよ。」

「遊び人の言うことを真に受けるなんて、頭がどうかしたんじゃないか。」

ひどい言われようだった。

やけばちの果てに

アリは、あきらめなかった。

「いいじゃないか。どうせ、もう終わりだと思ってるんだろ。じゃあ、何もしないよりも、バカなことでもいいからやってみようよ。」

「何をやるのさ。脚を動かして音楽をつくるなんて言わないでくれよ。そんなの、私たちにできるわけがない。」

「とにかく、キリギリスさんの言葉には説得力があった。みんなで、キリギリスさんの話を聞きに行こう。」

仲間のアリたちも、それ以上に反論する理屈がなかった。
どうせ、何もすることはないのだ。夜が明ければキリギリスの話を聞きにいくということで、話がまとまった。

その日の晩も、草原にはキリギリスたちの美しい音楽が鳴り響いた。
アリたちは巣の中で、その音楽を聴いた。

「今までもぼんやりとは聴いていたけれど。改めて聴いてみると、きれいな音を奏でているね。」

「でも、さっきの曲のほうが良かったね。いまの曲は、チョン、チョンとリズムをとる音が大きすぎて、旋律の流れが断ち切られている。」

「意見が合うねえ。同じことを感じていたよ。本人はカッコいいと思ってやってるのかもしれないけど、ちょっと悪目立ちしてるよね。バランスが悪いよ。」

今までちゃんと意識したことがなかったキリギリスたちの音楽だが、いったんそれを音楽として意識すると、ただ美しいだけではなく改善すべき点も見えてきたのだ。

研鑽

翌朝、アリたちはキリギリスのところへ向かった。
キリギリスは、たくさんのアリたちがやってきたことに驚いたが、昨日と同じように音楽の楽しさを伝えた。うれしそうにしゃべるキリギリスの話は、アリたちの悲しみを少し和らげてくれた。
アリたちは、昨日の音楽についての論評を伝えた。

「昨夜の音楽も素晴らしかったよ。でも、1つだけ気になったことがあるんだ。リズムを取る、チョンという音。あの音が大きすぎて、旋律の流れを断ち切っているように思うんだよね。」

キリギリスは真顔になった。
チョンという音は、ドラムのようなものだ。空気を切り裂くような大きな音を立てるのは気持ちよく、つい大き目に鳴らしてしまっていた。
そのことを、ズバリと言い当てられてしまったのだ。

「確かに。それは思い当たるところがあるよ。ありがとう。他にも気になったところはある?」

アリたちは、口々に意見を言った。

「曲の前半はスローテンポなんだけど、後半になるにつれて微妙にテンポが上がっているよ。」

「キリギリスさんのソロパートのところ。高音の時は素晴らしいんだけど、低音になったときに、どうしてもかすれた音になってるんだよね。低音部分でも肉厚な音を出せれば、迫力が段違いになると思う。」

不思議なほどに、アリたちの論評は鋭かった。
それもそのはず。キリギリスとアリの聴覚は、構造的にかなり違うのだ。
キリギリスの耳は、遠くからやってくる音を聞き分けることに長けている。一方で、アリの耳は地面近くの振動を感知することに長けている。
キリギリス自身では気づけなかったことが、次々に指摘されたのだ。

「すごいね。びっくりしたよ。何もかもその通りだ。そこに注意すれば、今晩はもっと素晴らしい音楽を奏でられると思うよ。」

キリギリスとの対話を通じて、アリたちも音楽の奥深さを知った。
特に、クィーという美しい音を目の前で披露してもらった時には、体中が震えるような感動を覚えた。敵から身を守るために感知するという実用的な音ではなく、工夫の限りが尽くされた芸術的な音というものの凄さを、身に染みて体感したのだ。

協働

キリギリスとアリたちは、毎日のように議論を交わすようになった。
昼間にアリから得たアドバイスを、夜にキリギリスが試してみる。
リズムを取る音量のバランスに気を付け、テンポの維持に気を付け、低音がかすれないように細心の注意を払った。
キリギリスの演奏技術はさらに進化して達人の域に入ったが、アリたちの指摘は続いた。音程を微妙に揺らすことによる情感の増大、倍音を使った新しい表現など、アリの要求はどんどん高度なものとなった。キリギリスも卓越した技術でそれに応えた。

アリたちの長所は、同じことをコツコツと地道に継続できることだ。
キリギリスの演奏の長所と短所を克明に記録し、仲間で話し合い、的確なフィードバックを行った。アリ自身が音楽を奏でることはできなかったが、指揮者のような視点から音楽を改善していくことに楽しさを感じていた。

草原は毎晩、大盛況だった。
ショパンの夜想曲のような静かな序盤から始まる。
中盤は、キリギリスの独り舞台。パガニーニのバイオリンのような超絶技巧を駆使した、この世の物とは思えない音楽が鳴り響く。
終盤は、草原の奏者全員による大合唱。ベートーベンが作曲した9つの交響曲を全て演奏するがごとく、交互に打ち寄せる大波と小波のように夜を通して音楽が鳴り響いた。

変化

卓越した演奏技術を持つキリギリスは、メスの羨望の的だった。
多くのメスがキリギリスに言い寄ったが、キリギリスはいつも首を横に振った。メスと仲良くなることよりも、音楽に集中することに時間を使いたかったのだ。

ある晴れた夕方、脚がスラリと長いメスがやってきた。初めてみる顔だ。
急にキリギリスの胸が高鳴った。今まで一度も感じたことがない気持ちだ。
その脚長のキリギリスは、良い音楽を聴き分ける鋭い感受性を持っていた。音程のビブラートの細やかさや、スタッカートの小気味良さを絶賛してくれた。最後に、こう言い残して跳び立っていった
「あなたの超絶技巧は素晴らしいね。でも、ずっと聞いていると疲れてしまう。あなたの演奏技術で、ゆったりとしたバラードを聴いてみたい。」

キリギリスは考えた。
今までも色々な種類の曲を奏でていた。必ずしも超絶技巧の曲だけではない。ショパンの夜想曲のようなゆったりとした音楽も奏でていた。
でも、それでは物足りないということか。どうすればいいんだろう。

その日の晩は、月光をイメージした曲を奏でてみた。
次の日の晩は、雨だれをイメージた曲を奏でてみた。
どの曲も美しく、自分自身では完璧な演奏だと感じた。しかし、脚長のキリギリスは現れない。
自分の力の限界を感じたキリギリスは、アリたちに相談した。

「もう一度、あの脚長のキリギリスに会いたいんだ。そのためには、彼女が聴き惚れるような音楽が必要なんだ。」

「それは、一世一代の重要な局面だね。私たちの総力を挙げて考えてみるよ。」

これまでにない難題だ。
アリたちは、夜な夜なキリギリスの奏でる音楽を聴きながら、女神を射止める方法を真剣に議論した。
キリギリスの音楽は完璧で美しくはあるが、もの悲しさをまとっている。そして、脚長のキリギリスに会いたいという切なさが募るほど、失恋の狂おしさまでが音楽に表現されてしまっていたのだ。

「キリギリスさんの演奏は、上手すぎるんだ。テンポも音程も完璧すぎる。揺らぎを入れたり、タメを入れるのがいいんじゃないか。」

「いや、そういう技術論じゃないと思う。曲そのものの方向性だよ。風景を描写したような静物的なテーマではなくて、自分の感情を訴えかける甘いメロディーにしないと。」

「甘いメロディにするには、制約と開放の両方が大事。同じ音程を続けるという制約を繰り返した後で、大事なポイントでさらに高い音程を入れる。そこに感情を込めるんだ。」

アリたちの議論は熱を帯びた。彼らの議論は、実践の中で培われた知識が中心ではあったが、高度な専門性も兼ね備えていた。キリギリスと出会ってから、良い音楽を追求することに夢中になっていたおかげだ。
そして、議論の結果を1つの曲としてとりまとめ、「愛の夢」というタイトルをつけた。

キリギリスは、心の底から驚いた。
一見すると、これまでと同じ曲調に思える。ショパンの夜想曲のようだ。
しかし、実際に演奏してみると、自分の感情がどんどんと音になって飛び出していく。演奏している自分自身もどんどん感情が高ぶっていく。感情と音楽が共鳴して反響しあうように広がっていくのだ。
今までにこんな曲を聴いたことがないし、こんな音楽が存在するということ自体が信じられなかった。
アリたちに何度もお礼を言い、キリギリスはこの曲の練習に励んだ。

その日の晩も、草原のオーケストラはいつもと同じように演奏を始めた。
中盤は、キリギリスのソロパート。
アリたちも巣の中で固唾を飲んで、曲が始まるのを待つ。
長い静寂のあとで、ゆっくりとメロディが流れ始めた。
寄せては返す波のように一定のリズムで繰り返される導入部分。その波間を縫うような形で、主旋律が徐々に形を現す。低い音階の範囲で揺れ動きながら、徐々に高い音が姿を現す。それは、キリギリスの感情そのものだ。もう一度会いたい、会って話をしてみたい。恋慕の情念が音として放たれ、空気を震わせる。その振動がキリギリスの感情をさらに高ぶらせる。
そして、感情が爆発するパート。音が一気に階段を急上昇し、最高地点の音階で小休止する。かと思えば、雪崩のように音階が下っていく。急上昇と急降下の後は、バネのようにゆっくりと余韻の揺らぎが始まる。

それは、もはやアリが考えた音楽ではなかった。
アリが作ったのは、あくまで音楽の型枠だけ。その型枠をベースとしてはいるが、キリギリスの演奏はアリの想像をはるかに超えていた。キリギリスは、ついに音楽の神様になったかのようだった。

そして、後半の演奏が始まった時だった。
美しい旋律の途中で、音楽が突然鳴りやんだ。
どうしたのだろう。何かトラブルがあったのだろうか。
アリたちの中にも緊張が走る。
しばらく待っても、静寂が続いたままだった。

1匹のアリが叫んだ。最初にキリギリスと話をしたアリだ。

「来たんだよ、女神が。キリギリスさんの音楽が届いたんだ!」

アリたちは一斉に歓声を上げた。みんなで涙を流しながら何度もハイタッチを重ね、お祭り騒ぎのように喜びを分かち合った。

アリの生き方

次の日、キリギリスはアリたち全員に握手をしながら、心からの感謝を伝えた。
アリたちも、とても誇らしい気分だった。音楽の神様の一世一代の舞台を、自分たちで作ることができたのだ。

しばらくの時が過ぎた。
昨晩からあまりに興奮していていて忘れていたが、アリたちは急にお腹がすいてきた。そろそろ、食べ物を探しに行こう。
みんなで連れだって、いつもの巡回路を歩き始めた。

「キリギリスさんが幸せになって良かったけど、私たちだって幸せにしてもらったよね。」

「そうそう。サムライアリに襲われた後は絶望しかなかったけど。でも、キリギリスさんのおかげで音楽が楽しいということを理解できたし、音楽に詳しくなることができた。」

「最初は、自分の脚をバタバタ動かして、音を出そうと苦労してたよね。」

「その話は言わないでよ。恥ずかしいから。あれは、ちょっと無理筋だったね。」

「それにしても、昨晩の演奏は最高だった。愛の夢。歴史に残る名曲だね。」

「間違いない。間違いない。」

どんな話をしても、結局昨晩の話に舞い戻ってしまうのだった。
そういう幸せな雑談を繰り返しながら、アリたちはいつものように食べ物を見つけ出し、それを巣の中に運び入れた。

「これから、どうしようか。」

「音楽の楽しさを知ったから、もっとその道を究めたい気もするけど。でも、他にも楽しいことがあるかもしれない。迷うねえ。」

「昔は、朝から晩まで働くことで精一杯で、自分が何をしたいかなんて考えたこともなかったけど。私たち、かなり変わったよね。」

「それはもちろん、キリギリスさんのおかげ。でも、それだけじゃないかな。私たちも、身の回りに発生したことに真剣に向き合ってきた。キリギリスさんの音楽を改善する方法を毎晩考えたし、プロポーズの曲に至っては全員の力を結集したよね。」

「そうか。真剣に向き合っていたから、いつの間にか私たちも音楽を聴き分ける才能が開花したし、音楽を楽しいと思えるようになった。」

「人生、働くだけじゃ、つまらない。一方で、自分が楽しめることも簡単には見つからない。そういうナイナイづくしの状態になることもある。そういう時に、身の回りの物事に真剣に取り組んだり、新しい出会いを大事にしていれば、ヒントをたくさんもらえるってことがよく分かったよ。」

「そうだね。じゃあ、今度は料理の道を究めようかな。実は、前々から巣の中でキノコを栽培できないかと考えていて。」

「キノコ!? また、新しいところを突いてきたねえ。いい感じ。私は、じゃあ、自然探検に行こうかな。食べ物を探すためじゃなく、美しい植物を探しに行きたいと思っていてね。」

アリの巣の中は、爽やかな活気に包まれていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?