行った通りに報いを受ける、ということ
ふと好きな聖句を思い出した。長いが以下引用しておく。
ヨシュア記1章1-9節
1 主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、2 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。
3 あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
〜中略〜
6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
〜中略〜
9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。
後半の精神論についても大事なのだが、まず1章3節が好きだ。
そこだけ抜き出してもう一度引用すると、
3 あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
状況を詳しく書くととにかく長くなるので端折るが、ヨシュアに神様が言っているところで、「あなたが踏む土地は全てあなたのものにする」と言う話。
昔は土地が大事だったが、今に当てはめれば土地そのものだけでなく「自分の領域」という話で、仕事でも趣味でもなんでも捉えることができる。与えてくれることも大きいのだが、知らない土地・知らない領域でも「踏み出しさえすれば」与えてくださるという思想がグッとくる。
逆に「神頼み」と言って祈ってばかりいてもダメ。
必ず踏み出さなければ得られることはない。
これも真理。
毎週日曜日は教会に行ってサービスに参加しているのだが、先週の御言葉が「行った通りに報いよう」というタイトルだったので、1週間過ごす中で思い出すようになった。
その後の精神論も少しだけ見ると、1章9節、
9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。
「強く、また雄々しくあれ」という言葉がこの1〜9節までで3回も出ている。よほど恐ろしい状況だったのかもしれない。神様が行きなさいと行ったカナンの地は元々イスラエル民族(つまりヨシュア側)が住んでいたが、奴隷でエジプトに連れて行かれている間にカナンには31部族が住み着いてしまい、それも大男だったりヤバい感じだったみたいだ。
そういう状況に置かれることも時にはあるだろう。
そんな時に「強く、また雄々しくあれ」。
これもまた覚えておくと神様が共にするので、良い。
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