神域のカンピオーネス3巻・用語集

 恒例、一作家の奇特な読者さまたちに向けた企画です。
 集英社DX文庫より発売の『神域のカンピオーネス3巻・黄泉比良坂』。
 その副読本となる用語集。いつもどおり無駄知識づくしの雑文、お楽しみいただければ幸いです。

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【1章】
●八咫烏、熊野から出て何処へ行く?
 ヒロインの梨於奈は『八咫烏の生まれ変わり』と主張している。
 そして『八咫烏=賀茂氏の祖カモタケツヌミである』とも。賀茂氏は今で言う奈良・京都を勢力圏とした古代の豪族である――。
 さて。
 和歌山県は熊野の観光協会や有名神社(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社など、いわゆる熊野三山)の公式ページを見てみると、賀茂氏がらみの情報は特に出ていないような……。
 さらに、熊野の民話にいわく。
 八咫烏は熊野権現の使い、熊野牛王(スサノオの別名)に仕える者なのだとか。
 何か思うところがあるのかもしれませんなあ――
 なんて戯言は、もちろん作者の脳内妄想に過ぎません。
 そもそも熊野速玉大社のなかにある八咫烏神社、ばっちり建角見命(カモタケツヌミ)を祭神としております。
 この辺はまあ、たまたまなのでしょう。たぶん。
 八咫烏を巡る熊野vs奈良の構図、あくまでフィクションとご認識ください。

●八咫烏の本場
 本編中で梨於奈は「八咫烏の本場は奈良!」と力説しておりますが。
 作者は「いや熊野でしょ、やっぱり!」と彼女に言っておきたい。あちらは何しろ観光バスにまで八咫烏マークが描かれるお土地柄。
 とはいえ、京都・奈良に八咫烏や賀茂氏系の神社が多いのも事実。
 そして神社のことを持ち出すなら『熊野神社』は日本全国に存在するのもまた事実。なかには八咫烏ゆかりの何かが確認できるところもちらほら……。
 今回、地元がらみの梨於奈コメント、あまり信用してはいけません。

(あと余談ながら、八咫烏について最もフラットな情報をネット上で掲載している神社は東京西新宿の熊野神社かな、というのが作者の個人的感想。まるで中立地のような……)
http://design-signal.co.jp/tokyo-meibutsu/kumano/

●熊野信仰
 遥か古代から熊野は聖地であった。
 この地ではぐくまれた熊野信仰は非常に複雑かつ巨大で、神道・仏教・修験道・陰陽道・祖霊崇拝・自然崇拝が混交したものである。
 熊野信仰で奉じられる神々の総称が《熊野大権現》。
 その中心とされるのが阿弥陀如来と習合したスサノオ、千手観音と習合したイザナミ、薬師如来と習合したイザナギなのだけれども。
 ここを書き出すと、それだけで一冊かけたくなるディープなお題目。
 そのため、本編ではかなりスルー気味……。

【2章】
●生駒山
 奈良県生駒市の霊峰。大阪府との県境に位置している。
 神武東征の舞台のひとつ。その昔、のちに神武天皇となるカムヤマトイワレビコは生駒山で長髄彦と戦った(とされる)。
 この戦いでは、金色の鵄が飛んできて、神武の弓に止まった。
 金鵄の輝きを直視した長髄彦の軍、目がくらんでしまい、神武軍に敗北する。
 いわく「忽然にして天陰く、金色のあやしき鵄きたりて皇弓に止まれり。その鵄、光りかがやき、流電のごとし」。
 この金鵄は八咫烏と同一の存在とされる。

●東日流外三郡誌
 古代、東北地方にはアラハバキ族の文明が栄えていた――。
 というスケールの大きな『古代東北、真実の歴史!』で有名な歴史書。
 江戸時代の後期に編纂された。……にもかかわらず昭和以降に生まれた語句が使用され、発見されたテキストの筆跡が所蔵者の和田喜八郎氏のそれと酷似など、多くの問題点が指摘されている。
 現在では、偽史書の代表格として知名度を得ている。

●賀茂氏の神々
 京都の下鴨神社と上賀茂神社、合わせて『賀茂社』と呼ばれる。
 前者はおなじみ八咫烏ことカモタケツヌミと、その娘・玉依姫を祭神とする。そして後者は玉依姫の息子を祭神とする。
 玉依姫は縁結び、安産、育児の神。
 彼女の息子・賀茂別雷(カモワケイカヅチ)は『雷を分けてしまうほど力強い神』だとされる。主な御利益は厄除け、雷除け。彼にはまた『雷鳴と共に天へ昇った』逸話もある(雷神ではないそうなのだが)。
 賀茂氏は日本神話において、なかなかのエリート一族なのである。
 尚、玉依姫は『巫女』を意味する語でもあったらしい。

【3章】
●穢れ
 この言葉の語源を『気枯れ』とする説、ネットでも見る機会が多い。
 しかし、穢れた存在の多くは無秩序かつ爆発的なエネルギーを秘めており、しばしば現世の者を大いに混乱させ、破滅に追い込む。
(黄泉国のゾンビたちがイザナギを追いつめたときのように)
 そのバイタリティ、『気枯れ』という語句の対極だとさえ言える。かように、穢れの概念はシンプルならざるものなのである。

●桂川・渡月橋・保津川
 これは作者からではなく、校正者からの豆知識。
『渡月橋から下流は桂川。しかし渡月橋の上流は保津川と呼ばれる』なのだとか。教えられるまで知らなかった。
 が、本編中では語りすぎになると判断して、ここで紹介する次第です。

●黄泉国のイザナギとオルフェウス
 神話に明るい方も、そうでない方も、ギリシア神話のオルフェウス伝説をどこかで一度は耳にしているのではないだろうか。
 亡き妻を甦らせるため、黄泉の国へ旅立つ詩人。
 日本神話のイザナギ・イザナミ譚と酷似しているエピソード。
 その符合、当シリーズ的にはもちろん『おいしいネタ』であり、本来なら物語をふくらませるガジェットとして活用させていただくところ――
 しかし、今回“は”あえてスルー。
 とはいえ、オルフェウスとくらべて、日本のイザナギがかなり身勝手な夫に見える点は書いておくべきかもしれない。

●イザナギひどい
「愛しい妻がいなくなって超さびしい!」
 と、亡き妻を取りもどすため、黄泉に降ったイザナギ。
 しかし、その行動はかなりひどい。醜くなった姿を見られたくない女心を無視して、勝手に盗み見して、ゾンビとなった妻に怒り狂う。
 あげく妻を置き去りにして、全力で逃げ出す。
 追いかける妻は実力行使で足止めして、黄泉の国に閉じ込める……。
 さらに地上へ出たら、
「わたしはなんと汚い国にいたのだろう!」
 川に入って、せこせこ身を清める。
 こんな男をどうして国父と崇めなければならんのか――。古事記の編纂者に文句を言いたくなるほどに器が小さい。
 時代が違うと言えばそれまでだが、もうちょっと豪傑でもいいんじゃないかと……。

●魔除けの呪具
 夫を捕らえる追っ手として、死せるイザナミは和製ゾンビをけしかけた。
 逃げるイザナギは『蔓』『櫛』『桃の実』を投げつけ、死人たちをひるませる。特に桃の実は彼女らを撃退する鍵となる。
 これらの品、魔除けの呪具として重宝される呪術のアイテムでもある。

【4章】
●兄妹
 イザナギ・イザナミ夫婦は兄妹である――?
 実は、はっきり明言はされていない。
 古事記の冒頭は『天地初めてひらけし時、高天原に成りし神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神』。
 創世直後に誕生した造化三神の名が述べられている。
 そして『葦カビのごとく萌えあがるものによりて成りし神の名は――』とふたたび神名の列記がはじまり、その最後にイザナギとイザナミの名が記される。
 いわく、
『次に成りし神は宇比地邇神、次に妹須比智邇神、次に角杙神、次に妹活杙神、次に意富斗能地神、次に妹大斗乃辨神、次に淤母陀琉神、次に妹阿夜訶志古泥神、次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神』。
 兄妹とまでは明記していないのだ。
 が、同時発生したのだから、やはり兄妹であろうというのが兄妹説の論拠のひとつ。そして最初に生まれたのは不具の子供《水蛭子》であった。これは世界の近親婚神話に共通する要素であり、この夫婦が兄妹であることの間接証拠とも見られる。
 何より古代日本において、兄妹婚は決してタブーではなかった。
 現代の倫理観から、ことさら兄妹説を否定する方がむしろ不自然ではないだろうか。

【5章】
●役行者
 奈良時代、七世紀末に活躍した修験道の開祖。
 霊峰・葛城山で修行し、験力を得た。本名は役君小角(えのきみのおづぬ)。役一族は賀茂氏より出た氏族である。
 鬼神を使役し、歩いて海を渡り、空を飛ぶなど、数々の伝説を持つ。
 ちなみに《前鬼・後鬼》は生駒山で悪事を重ねていた鬼の夫婦。役行者によって捕らえられたあと改心し、彼に仕えた。

●ケーブル
 以下、アメコミ・アメコミ映画に興味ない方はスルー推奨。
 ネタバレを避けたい方もそうされたし。
 アメコミヒーローは同じチーム内でも、強キャラと弱キャラがはっきり分かれる。
 たとえばアベンジャーズではソー、アイアンマン、ハルクが『強』。キャプテンアメリカやホークアイは『弱』である(が、弱いからキャップは要らないと絶対にならないところがあのチームの妙でもある)。
 X-MENのミュータントたちもその辺は露骨。
 アポカリプスを別格とすれば、あの世界の最強級ミュータントはまずマグニートー、プロフェッサーX、ジーン・グレイ。
 サイクロプスやウルヴァリンはまあごにょごにょ。
 そしてケーブル。『ジーン・グレイとサイクロプスの遺伝子を掛け合わせると最高のミュータントが生まれる!』とさんざんあおられながら誕生した息子ケーブル。ターミネーターよろしく未来からやってくる男。彼もやはり最強クラス。
 しかし能力の発動を制限するテクノ・ウイルスに冒されており、恵まれたパワーを全開にできない設定なのだ!
(ちなみに映画『デッドプール2』に登場したケーブルは、どうも原作設定を踏襲していないようで……)

●賀茂氏と物部氏
 作中、「賀茂氏≠物部氏」という体で話が進んでおりますが。
 この辺はちょっと真偽あやしい――いや、むしろトンデモ寄りの説だと申告せねばなりますまい。いえね、梨於奈と聖徳太子をからませるネタに使えると思いついて、実際に書いてみたら、なかなか気に入ってしまいましてね……。

●安倍晴明
 創作界隈では大人気の安倍晴明。
 虚像と実像の乖離という点では、織田信長と肩をならべる。
 今日、イケメンの天才陰陽師と描かれる機会の多い彼は四〇歳でようやく陰陽寮の学生(!)となった。
 頭角を現していくのは中年(当時としては老人)になってからなのだ。
 晴明伝説のネタ元は『今昔物語集』『宇治拾遺物語』など全てフィクション。
 むしろ同時代の貴族の日記などに記された安倍晴明の方が、彼の実像を解きあかすのに有益であろう。
 信長と同様、リアルを志向しすぎると途端に華がなくなる人物。
 さて、今回のテーマは『安倍晴明の出生』。
 晴明の出生地、梨於奈は「大阪の阿倍野村」と言っているが、実は香川県説、茨城県説も存在する(ちなみに奈良県説も)。
 そして、阿倍御主人(あべのみうし)を祖とする家系図はおそらく捏造。
 阿倍家は『御主人―広庭―嶋丸―粳虫―道守―(中略)―晴明』となっているのだが、途中で実在も定かでない名前がいくつも出てくる。
 とにかく彼の出生譚、諸説ありまくるのである。

【6章】
●妣の国
 本編中、スサノオは母イザナミを『妣』と呼ぶ。
 これは『死んでしまった母』の意味。亡き母がいる国は冥府であり常世である。古事記のなかで、若きスサノオは慟哭する。
「僕は妣の国、根の堅州国に罷らんと欲ふがゆえに哭く!」
 彼の言う『根の堅州国(ねのかたすくに)』とは、もちろん黄泉の国である。
 最後に民俗学者・折口信夫の名文をひとつ紹介。
『とにもかくにも、生みの子を捐(す)てゝ帰つた母を慕ふ心が「妣の国」と言ふ陰影深い語となつて現れたのであらう』……。

●スサノオの母は誰?
 実は『スサノオの母はイザナミではない』説も存在する。
 というのも彼が生まれたとき、すでにイザナミは死亡していたのだ。
 ――国生みの父イザナギは黄泉の国で醜く変貌した妻イザナミに失望し、地上まで逃げ帰ってきた。そして「わたしはなんと汚い国にいたのだろう!」と川に入り、身を清める。このときイザナギの体から、ぼろぼろ子供たちが生まれ落ちてくる――。
 誕生した神は数十柱にもおよぶ。
 最後にイザナギが顔を洗ったとき、右目から生まれたのが天照大神。左目から生まれたのが月読。鼻から生まれたのがおなじみスサノオ。
 ……たしかに、母親なしに誕生している。
 とはいえ「死んだ母のいる常世へ僕も行く!」と泣き叫ぶほど、スサノオは母イザナミを慕っていた。また父イザナギが亡き妻と再会した直後に誕生しているのも事実。やはり、スサノオはイザナミの息子と考えるべきなのだろう。


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