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JOG(1354) 世界を照らす日本の光 ~ 内村鑑三の『後世への最大遺物』を読む

「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗(やみ)を照らさん」と内村鑑三は戦った。
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■1.「一隅を照らす」と「誰にでも遺すことのできる遺物」

 能登半島地震の被災者の皆さんが、雪や雨、寒さの中で大変な思いをされている姿には心が痛みますが、日本の多くの国民の支援には、心温まる思いがします。

 その一つがふるさと納税による災害支援ですが、なるほどと唸らされたのは、他自治体による代理受付です。被災地の自治体は、救援活動で受付事務などする余裕もなく、また職員自身も被災者の場合が多いでしょうから、他の自治体が受付業務を代行して、寄付金額だけ被災地自治体に送るという仕組みです。

 たとえば、「ふるさとチョイス」では、すでに15億7千万円、8万件もの寄付を集めていますが、そのうち80%近くが代理自治体によって処理されています。こういう仕組みを考えた人、実現した人々、さらにはその仕組みで寄付をした人々、、、こういう国民一人ひとりの「一隅を照らす」行為こそ、我が国らしさであり、我が国の強みである、と改めて感じ入りました。

 ちょうど、読んでいた内村鑑三の『後世への最大遺物』(「遺物」は現代語では「遺産」)では、こんな一節がありました。

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人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。[内村、637]
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 私の好きな「一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝(くにのたから)なり」という伝教大師、最澄の言葉と、「誰にでも遺すことのできる遺物」とは、深いところで繋がっていて、我が国の国柄、日本人の生き方を指し示した言葉ではないか、と感じました。

■2.「神の兵士」という武士道

「勇ましい高尚なる生涯」と、特に「勇ましい」という形容がついているところは、内村鑑三の生き方を彷彿(ほうふつ)とさせます。その生涯は、自身の信念を妥協なく深めるための、世間の批判や無理解との戦いの連続でした。

 内村鑑三はキリスト教思想家として知られていますが、キリスト教と出会ったのは、札幌農学校の二期生となってからでした。「少年よ、大志を抱け」で有名なウィリアム・クラーク博士の教育によって一期生16名全員が「イエスを信ずる者の誓約」に署名していました。意気盛んな彼らは第二期生18名全員に入信するよう、内村曰く「突撃」を行いましたが、内村は最後まで抵抗しました。

 幼い頃から神主ごっこをして遊んだというほどの敬虔な宗教心をもち、祖国の八百万の神々を信じていた内村は、16歳の時の経験を自伝『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』に、こう書いています。
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そのころ私が立たされていた窮境と孤立は今なお心に残っている。・・・
(ある日神社に詣でて)わが信じる愛国の大義のために微力をつくせるよう助けたまえ、と祈った。しかも、祈りを終わって寄宿舎へ帰れば、また、新しい教えを信じるように責めたてられたのである。
 しかし、校内世論の風当りはきつくてとうてい抗しきれなかった。[名著、p90]
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 こうして強制的にキリスト教に入信させられた内村でしたが、神と自分との関係を、主君と武士との関係と捉えることで肚落ちしたようです。神の命令によって自己を規律し、外の世界に戦いを挑んでいく「神の兵士」という生き方は、武士の家に生まれた内村にとって、なじみの深いものでした。

■3.「キリスト教が我々を助けて我々に固有の理想に近づけてくれる」

 明治14(1881)年、農学校を首席で卒業し、開拓史御用掛として3年働きましたが、官僚の腐敗ぶりを見て辞職。その後、農商務省御用掛と、人もうらやむエリートの道に入りました。当時、持て囃されたキリスト教会での青年男女の「社交」を通じて一人の女性と結婚しましたが、半年後には彼女が「心」の中で不貞を犯したという理由で離縁。

 失意の中で、内村は一人前の愛国者になるために、その翌月には農商務省を辞職し、あてもないのにアメリカに旅立ちます。しかし、そこでは盗みや人種差別、拝金主義の横行に、日本以上にキリスト教から遠い社会を見いだします。そして、「キリスト教をヨーロッパとアメリカの宗教だからという理由で弁護することは決してすまい」と決意します。

「もっと確実で深いものを基礎とすべきだ」と決心した内村は、ある養護院の院長に救われ、またニューイングランドのアマースト大学総長の世話になり、学生生活を送れるようになります。

 そこで内村はキリスト教を必死で学びますが、厳しい精神的緊張のために、慢性不眠症にかかるまでになって、帰国を決意します。この頃には、内村は自分なりのキリスト教の信仰を確立していました。キリスト教は欧米人の虎のような性質を抑えて、ごく希に非常な善人を生み出している、と内村は喝破しました。

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 中国人も日本人も、自分たちに与えられた孔子の戒めを守りさえすれば、欧米のどんなキリスト教国よりも立派なキリスト教国になれるのだ。・・・
我々がキリスト教を受け入れるのは、キリスト教が我々を助けて我々に固有の理想に近づけてくれるからである。[名著、p208]
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 欧米人よりもはるかに善良な日本人がキリスト教を学べば、欧米諸国を凌ぐ立派なキリスト教国になるだろう。そのような理想を抱いて、内村は帰国したのです。

■4.国内でも居場所がなかった

 しかし、「キリスト教愛国」者を自認する内村は、国内のキリスト教会にも、日本社会にも受け入れられませんでした。新潟の北越学館教頭の職につきましたが、外国人宣教師とそれに同調する人々は内村が「愛国」的であるとして排斥し、わずか4ヶ月で去らねばなりませんでした。

 明治23(1890)年からは、第一高等中学校の嘱託教員となりましたが、この年10月に教育勅語が発布され、翌年1月9日に行われた教育勅語奉読式において、最敬礼を行わなかったことが同僚教師や生徒たちに非難され、社会問題化しました。

 内村は、教育勅語は「拝む」ものではなく「実行する」ものだと考えていました。その思いから、他の人のように深く最敬礼をするのを戸惑い、ちょこっとお辞儀をしたのですが、それが広範囲の騒ぎを呼んだのです。その背後には、同僚たちの内村の声望に対する嫉妬、キリスト教に対する仏教界の反撃、国家主義学者の売名行為などがあったと指摘されています。[名著、p27]

 この事件で職を失い、「筆をとるよりほかに生存の道がなくなった」内村は、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』など、8冊の書物を書き上げます。

 こうした逆境の中で、『後世への最大遺物』の講演がなさたのです。「勇ましい高尚なる生涯」とは功成り名遂げた老人の懐古ではなく、現に周囲の批判、無理解と戦っていた34歳の内村の自らへの叱咤だったのではないか、と思われます。

■5.「日本の天職」

 こうした「勇ましい高尚なる生涯」の晩年、63歳の内村が大正13年に世に問うたのが、『日本国の天職』でした。「天職」とは、神から与えられた「使命」という意味です。当時、日本国は国際連盟の常任理事国として世界の大国の仲間入りし、西洋文明を後追いする段階を卒業して、自らの進むべき道を模索していました。

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 日本人は英国人のような商売人にあらず、また米国人のような、肉と物とにあこがれる民にあらざることに目覚めつつある。日本人は英米人とは全く質の異なった民である。そこに彼らの天職があり、偉大なる所があると信ずる。[名著、p466]
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 その上で、仏教界では恵心僧都源信、法然、日蓮、道元、神道界では本居宣長、平田篤胤(あつたね)らを「国の誇り、民族のほまれ」と称賛します。そしてこれらの「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗を照らさんと欲する」と主張します。

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 日本人ではあるまいか。仏教がインドにおいて亡びし後に、日本においてこれを保存し、儒教がシナにおいて衰えし後に、日本においてこれを闡明(せんめい)せし日本人が、今回はまた欧米諸国において捨てられしキリスト教を、日本において保存し、闡明し、復興して、再びこれをその新しきかたちにおいて世界に伝播(でんぱ)するのではあるまいか。[名著、p468]
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 当時は、関東大震災で帝都東京が灰燼に帰し、かつ米国では日本人移民の排斥が起こっていました。そんな中で、内村は「日本国の真の隆起は彼が悲境の極みに達した後にある」と述べます。そして、日本人の天の使命を遂げる時期について、こう結びます。

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亡国とまでは至らざるも、その第一等国たるの地位を弛(なげう)ちての後の事であると思う。神が今、日本国をむち打ちたまいつつあるは、この準備のためではあるまいか。[名著、p469]
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■6.広がりつつある「世界の暗」を照らす「道の光」

 内村鑑三は昭和5(1930)年、70歳にして世を去りました。その後の大東亜戦争と敗戦、戦後復興と高度成長、そして「失われた30年」のデフレと、「悲境の極みに達し」「第一等国たるの地位を弛(なげう)ち」ました。

 現在の欧米キリスト教国は移民問題などでかつてのキリスト教精神などは雲散霧消し、一方ではいくつかの覇権主義国が精神的道徳的価値などは無視して周囲を威圧しています。「世界の暗」はますます広がりつつあります。そういう中で、日本は「道の光」で、闇の世界を明るく照らすことなどできるのでしょうか?

 ここでヒントとなるのが、教育勅語は「拝む」ものではなく、「実行する」ものとした内村の思想です。この言い方に倣えば、キリスト教も、仏教も、組織を作ったり、神学理論を振り回すものではなく、それらの教えの中核にある「生き方」を実行するものです。

「中国人も日本人も、自分たちに与えられた孔子の戒めを守りさえすれば、欧米のどんなキリスト教国よりも立派なキリスト教国になれるのだ」とは、「勇ましい高尚なる生涯」は、宗派の違いを超えて、人類が目指すべき共通の理想である、という人生観です。

 よく「日本人は無宗教だ」と言われます。それは宗教を戒律や教義、儀式、教会組織という外飾的なものとして捉えているからでしょう。そういう飾りを取り払って、仏陀や孔子やキリストやマホメットが理想とした生き方を「実行する」事が、真の宗教であるとすれば、今日、日本人ほど宗教的な国民はそれほど多くないのではと考えられます。

 大地震の際にも被災者たちが助け合い、また来日した外国人が日本人の親切さに感謝し、さらには、サッカーなどの国際試合の後で、ゴミを片付けて帰る。そんなささいな事でも、日本人の行動が世界の感動を呼んでいます。これこそ、「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗(やみ)を照らさん」とする事ではないでしょうか。

■7.「世界の暗(やみ)を照らす」道

 歴史を振り返ってみれば、仏教が日本に伝わった頃、それはすでに大仰(おおぎょう)な外飾に包まれていました。万巻の仏教書を学び、壮麗な寺院を建て、巨大な仏像を拝み、厳しい修行を行って、ようやく仏の道に進める、という外飾が発達していました。

 それが鎌倉時代までかかって、そうした外飾がことごとく外され、「誰でも念仏を唱えさえすれば仏になれる」「人は本来みな仏である」というところまで純化されました。

「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」と述べた最澄は、仏教の総合大学とも言うべき延暦寺を建て、ここから純化に挑戦する法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍などの名僧が育っていきました。[JOG(1278)]

 この純化を目指す力は、直観的に物事の本質を捉える日本人の感性です。それは、教義も経典も組織もなく、ただ生きとし生けるものを神の命として尊んだ神道の土壌に育ったものでしょう。

 その感性から、我が祖先たちは海外から渡来する宗教や思想の外飾を取り払って、その本質のみを取り入れてきました。キリスト教は、西洋で二千年もの間に発達した、特に重い外飾にくるまれていました。しかも他宗教を邪教として否定・迫害する排他性、戦闘性まで備えていました。内村はそうした外飾を剥がして、その本質にある生き方の理想を求めて苦闘した、と言えそうです。

 各宗教の本質が制度や組織、理論といった外飾ではなく、人間の生き方にあるとすれば、一人ひとりの人間が互いに思いやりの心をもって暮らしていく、という姿が理想となります。そうした「一隅を照らす」生き方こそ、内村鑑三のいう「勇ましい高尚な生き方」である、ということになります。

 日本神話では、初代・神武天皇は次のように宣言して、即位されました。
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人々がみな幸せに仲良くくらせるようにつとめましょう。天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根(一宇)の下の大家族のように仲よくくらそうではないか。[出雲井、JOG(1249)]
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 これが我が国の建国目的であり、以来、無数の先人たちがこの祈りの実現に向けて、苦闘してきました。現在の我が国が、思いやりに満ちた国であるというのも、こうした長年の努力の蓄積の結果だと思われます。

 こういう生き方を多くの国民が行う国家共同体が現実にある、ということを国際社会に示すこと、それが内村鑑三の祈った「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗を照らさん」ということではないでしょか。我々日本国民一人ひとりの「一隅を照らす」日々の歩みは、その頂(いただき)に通じているのです。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

・JOG(1278) 最澄の仏教再生 ~ 日本人の生命観に根ざした日本人のための仏教へ
 最澄は日本人の自然観、人間観に根ざして、インド仏教を日本人のための仏教に再生した。
http://jog-memo.seesaa.net/article/490208024.html

・JOG(1249) 126代にわたって継承されている神武天皇の祈り
「一つ屋根(宇)の大御宝と知ろしめせ」の理想は、歴代天皇を通じて受け継がれ、大化の改新や明治維新の不動の基軸をなした。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202201article_2.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・出雲井晶『教科書が教えない神武天皇』★★★、産経新聞ニュースサービス、H11
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・内村鑑三『日本の名著 (38) 内村鑑三』★★、中公バックス、S59)
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