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自分史は”推し”を基軸に作るべし

自分史(じぶんし)とは、自分自身の生涯あるいは半生の出来事を文章化したもの。

Wikipedia「自分史」より


2020年の10月からObsidian というメモツールを使用している。

その中でもめっぽうお気に入りの機能が、Daily notes 機能である。

大雑把に言えば、「その日に合った事を記すノート」がDailye notes, 電子版の日記、といえば伝わるであろうか。


そんなDaily notes であるが、自分が当時どの様な本を読んでいたかどの様な記事に頭をOccupied されていたかを、自分の行動・出来事と同時に記録するよう心がけている。


その当時読んでいた本・映画・趣味は、自分史にとっての「時代背景」となるからだ。


例えば2020年から202x年は「新型コロナ流行」という風に言い表せるだろう。

しかし、だからと言ってその時期に自分の取った行動すべてを「コロナのせいで生じた思考」と結論づけるのはあまりにも短絡的だと思う。


その時期に大学入学を経験した人は「オンライン授業で友達が少ない」などを経験している。

その時期に就活を経験した人は「オンライン面接」を経験している。

その時期に医師を始めとする医療従事者として働いていた人は「休みの日には家で過ごさざるを得ない」という経験をしている。

その時期に医療従事者の両親を持つ子供は「休みの日にどこかに連れて行ってもらった経験が無い」という経験をしている。


社会全体で巻き起こった事は1つの解釈の軸になるかもしれない。
しかし自分史を作成する際には、不十分となる。自分色が出ないというかなんというか。

そこで私が試しているのが、「その当時の自分の”推し”を基軸にDaily notes を残す」作戦だ。


この記事を作成している時の私(2023年1月10日)は「幸せになる勇気」という本を読んだ直後である。また、フッサールを祖とする「現象学」に関しての理解を進めている所である。

自分の思考回路はアドラー心理学に多分に影響されている。

「普通であることを悪いことだと認識するな」
「課題の分離を意識せよ」
「褒める事は、相手と自分の間に上下関係を無意識の内に植え付ける行為である」
「自分がやりたいと思った事を実行する”勇気”が挫かれている人が多いのだ」
「”運命の人”を探すのではなく、出会った人を”運命の人”にするのだ」

など。


2023年1月9日のDaily notes 
「外部からの観測」という言葉は、おそらく現象学的な意識があるのだろう。



これを1年後、2年後に振り返った時、「うわぁ‥当時の自分、なんでこんな考えしてるんだよ…」となることもあるだろう。

そんな時に”推し”記事・”推し”書籍が一緒に記録してあると、当時の自分を追体験することが出来る。

勿論同じ書籍を読んでも1回目と2回目では解釈が変わるし、ハマるChapterが変わってしまっている事は十分にある。それでも構わない。


記録しているからこそ、その変化に気が付ける。自分が変わっている事を認識できるのは、実は幸せなことなのでは無いだろうか。




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