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『坂下あたると、しじょうの宇宙』町屋良平著 ー芥川賞作家が描く現代詩案内ー

頭の中にあるものを外に出したいと思うときってありませんか?

例えば本を読んでいると、ある1文がふと現れて、自分の感情をぐわーっと頭まで押し上げてしまうような瞬間。

「どういうことだ?」
「ああ、こういうことかも!」
「そういえばこういうことあったな」
「あれでも、このパターンだとこういう考え方もできるな?」
「うーんわからん!」
みたいな。

目は次の文を追いつつも、全然違うことを考えてしまって、またもとの文の位置に戻る。

そういう本に出会えた時、ほわほわした幸福感に包まれます。その代わりに気づけば頭はひどく疲れているのだけれど。

『坂下あたると、しじょうの宇宙』というタイトルにもある、男の子の坂下あたるもそんな人です。

坂下あたるは、小説を書きながら詩や批評をネット上の新興のサイトに投稿している。サイト上でも評価を受ける、まさに天才と言わんばかりの高校生。彼の友人である、佐藤毅はあたるに感化され、自分も詩を書いているが、なかなか芽が出ず、あたるに密かに嫉妬していた。

そんなある日、サイト上であたるの文章が盗作される事件が起きる。その盗作の出来の良さにあたるは書くことをやめてしまう…。

「文学」に高校生活を捧げる、熱意のこもった2人の青春小説です。

作中には多くの現代詩が登場します。
正直に言って、僕は詩なぞわかりません。

学生時代に教科書で読んだもの以外にもいくつか詩を読もうと思って詩集を手に取った時期はあったけれど、そのたびに何を言っているんだ、と思っていました。

ただ、本作の物語の断片として登場する詩は、なんとなく分かる。いや、分かるというより登場人物たちの言葉にならない感情が、わからない言葉としてわかった気がした。(この文章もよくわからない(笑))

ただ、そうあるべき詩がそこにある。

文庫版には著者の町屋さんと、詩人の最果タヒさんの対談が掲載されている。そこで最果タヒさんはこう語ります。

私にとって、十六~十八歳は、詩そのものとして生きるような年齢です。大人みたいに割り切れなくて、だから、言葉が整理されないままになって。でも、知ることも考えることも増え、感情や言いたいことだけが膨らんでいく。宇宙の膨張に言葉が追いつかなくなって、心が詩そのものになるような、そんな年齢ですね。

町屋良平『坂下あたると、しじょうの宇宙』集英社 2023年 270頁

実際、作中では坂下あたるが4ページにも渡って語る場面がある。

何を言っているかわからない、その時頭にあるものを脊髄で吐き出しているように彼は語り続ける。その勢いや熱量を感じるだけでも、この本は読んでいて楽しい。

本作を読むと、考えている時や感じた時、頭の中は宇宙になっているんだと思う。先が見えなくて、どこまでも行けそうで、早くひとつひとつを形にしないと溺れてしまいそうになるような。

だから、詩は人が見せる宇宙なのではないか。
明確に理解できる言葉になる前に、飛び出てきた言葉の文字列が詩なのではないか。だから分かるようで分からない。分からないけど、なんとなく分かる。

そういうグラデーションとしての言葉を読むことが詩の楽しみなのではないか。本作を読んで、そんなふうに思わざるを得なかったです。



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