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読書感想『月と六ペンス』~名作と現代人が抱える狂気の共通点~


あの頃、僕はたしかに呪われていたのだと思う。

小学生の頃、流行っている曲の歌詞をひたすらノートに書き込んでいたことがあった。誰に言われたわけでもなく、そのような生業をしていた人が取り憑いたかのようにひたすら文字を書き留めていた。

サビは赤色にしようとか、好きなところは少し字を大きくしようとかこだわりを持って、繰り返し同じ曲を聞く。覚える。曲を止める。書く。巻き戻す。また聞く。

なぜそんな事をしていたのかと聞かれれば、今でも理由はわからないけれど、まぶたが開くことを諦めるまで書いていたことだけを覚えている。

そんなあの呪われた体験を『月と六ペンス』は再び思い出させた。

本作はイギリスの小説家サマセット・モームによって、おおよそ100年前に執筆されたものの、現在にも読み続けられている大ベストセラーだ。

小説の内容は、夕食会で出会った可もなく不可もない生活を過ごしているつまらない男、ストリックランドがある日、「家には戻らない」と書き置きだけ残し忽然と姿をくらました。語り手である「わたし」はパリで彼に再会し、なぜいなくなったのか尋ねると絵を書くためだと言う。常軌を逸するほどの狂気を持った彼と彼に関わる人間を描いたお話。

絵を書くためだけに、家族を捨て、生活を捨て生きていく。気でも狂ったのかと思われるほどの行いがあらすじに書かれている。きっと手に取ったのも、今では羨ましく感じるあの呪いを感じたかったのだと思う。

名作はわかりにくい。特に海外小説は時代背景や当時の常識、地理感覚など知っていなければそこに映る情景が浮かびにくい。

けれど、そういう事を抜きにして、1人の人間が絵を書くためだけに生きた物語という点だけで読むと、100年経った今も人は変わらないのだと、当時の人々と時を越えてつながれた気がした。

たとえば語り手の「わたし」の知り合いのエイブラハム。

彼は医学校で数ある賞をすべて取り、内科と外科両方のインターン生となる。誰が見ても優秀な彼は、医師となり最高の地位に上りつめると誰もが思っていた。

しかし、彼は突然辞表を出し、地中海に面する街で暮らすことに決めた。

その彼のことを「わたし」は語る。

エイブラハムは本当に人生を棒に振ったのだろうか。彼は本当にしたいことをしたのだ。住み心地のいい所で暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に振ることだろうか。成功とは、立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女性と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生になにを求めるか、個人としてなにを求めるかで変わってくる。

サマセット・モーム(金原瑞人 訳) 『月と六ペンス』新潮社 2014年 312頁


本当の幸せとはなんだろうか。

インターネットが発達し、パソコンひとつあればどこでも働ける時代になった。加えて市場も昔よりは活性化し、さまざまな職業への門戸も常に開かれている。企業に所属しなくても、地域を固定しなくても、どこで何をしても自分次第で生きていくことが出来る。

特に最近は自分の幸せのために、自分だけの成功のために、さまざまな生き方をしている人たちが多いように思う。100年前の小説と同じように、我々は自分だけの幸せを見つめて生きるようになったのだ。

ただストリックランドは違う。
周りの評価を気にせず自分を軸に持ち生きて行くのは同じだが、その軸の根底が幸せではないのだ。

「おれは、描かなくてはいけない、といっているんだ。書かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

サマセット・モーム(金原瑞人 訳) 『月と六ペンス』新潮社 2014年 79頁

自分にはそれをすべきだ、いや、それしかできないと思い込むこと。

才能があるとか無いとかなんて関係ない。それをできなければ生きるか死ぬか。幸せではなく、まさしく呪いだ。

妻も捨て、それなりに生きていける生活すら捨て、自分がどう思われようと関係なく、絵を書くためだけに生きる姿は狂っていると感じる。
しかし狂っているところを見せられるほど、その狂気は暴虐だが幸せを追い求める理由を超えた理屈を兼ね備えているように思えてくる。

そしてむしろ彼に関わった人のほうがで、呪われているのではないかと思うのだ。

友人の画家のストル―ヴェやその妻のブランチ。
語り手の「わたし」もおそらくストリックランドが持つ狂気に魅せられ、彼についてしつこく語らざるを得なかったのだろう。

この物語は呪われた狂気を抱えた人間が与える、周りの人間への呪いの物語ではないか。

狂気とは才能を持つ人だけが魅せるものなのではない。才能に魅せられた人も持ってしまうものだ。

僕がノートにひたすら歌詞を書き続けていたのも、音楽に合わせ、言葉を紡ぐ美しさ、そこにある物語性やメッセージに魅せられ、自分でも理性では語れないほどの行いをしていたのだと思う。

僕も呪われていたのだ。

名作が今もなお読まれている理由は共通して、人間の本質にどれだけ潜り込み、より裸のままの状態を表しているからなのだと感じる。
時代も背景も国も関係なく、人間は変わらない。

今ではさまざまな生き方をできる人たちを容易に知ることが出来るようになった。絵でも文章でも動画で話したり、資産を少ない労力で得ていたり。数ある才能に手軽にアクセスできる。

つまるところ、たくさんの狂気に触れ、魅せられ、自らも狂気と化す。世は大狂気時代だ。

ただやはりストリックランドのように誰かに影響を与えてしまうほどの狂気を僕自身も持ちたいと思ってしまう。

それもまた『月と六ペンス』から100年語をを生きる今でも変わらない、人間という本質の共通点の証明なのかもしれない。


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