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【短編小説】変えたくないもの


二〇一九年十二月三一日
二三時五十分

あと十分で今年も終わる。年末のテレビ番組の出演者もどこか上の空で、ソワソワした顔を時折見せながら、今か今かとその時を待ちわびている。
ぼくは年末が好きじゃない。年を越すその日はまるで急に与えられた締切のように、焦る気持ちを追い立てる。

年末は誰しもが主人公だ。
振り返ったところでこれといって大したエピソードなんて出てこないのだろうけど、みんながみんな自分の生きてきた一年をそっと撫でるように思い出す。

そんなぼくも毎年、もう今年も終わりか、なんて思ってしまうたび、迫りくる新年に向けて今年にまだ未練があるのかもしれない、と自分の一年を単焦点で見つめてしまう。
この曖昧な気持ちのまま年を越すのは本当にやるせない。

だからもちろん今年も、その気持ちには逆らえずにいた。


気持ちを鎮めるためタバコを吸いにベランダに出ると、昼間に窓を打ち鳴らしていた強風も役目を果たしたように寝静まり、鱗雲がゆっくりと三階建てのアパートの上を覆っていた。

エアコンの室外機の上に腰を下ろし、ソフトパッケージのタバコに火をつける。

落ち着けるように息を吐き出すと、空に流れる煙がこの一年の毒素を流していくように思えた。

回想に浸ろうとまたタバコを口に近づける。すると同時に後ろの窓の扉が開き、お風呂上がりで潤いを保った手にマグカップを持った彼女が訝しげにぼくを見ていた。

「はい、ホットミルク」
「え、ありがと」
「中で年越しなよ、寒いよ」
「なんかさちょっとだけ振り返っとこっかなって思って」
「そんなことする人だっけ?」
「いやさ、二〇二〇年ってなんとなく区切りの年って気がするじゃん。こういう日くらいちゃんと思い出しとこっかなって」
「ふ〜ん、じゃあ今年はどんな年だったの?」
「、、、いやごめん、結局そんなたいしたことはなくてさ、なんか良くも悪くも変わらない年だったってことに気がついたわ」
「なにそれ、つまんないなあ」
「けどさ、だからこそなんだよ、続けているものとか、やめられないものとか、なんとなく区切りをつけないといけないと思うんだよ、来年は。切りもいいじゃん、始めるのも終わるのもこういう時じゃないとなかなか決められないし」

ベランダから見えるアパートの一階には、飲料の自動販売機がぽつんと佇んでいる。今日くらい誰も使わないことは明白なのに、これがやるべきことだと言い張るようにボタンの光を放つ。上、真ん中、下、それぞれのドリンクをせわしなく目立たせるその様子は、年末に向けるぼくの心の忙しさを表しているような気がした。

「そんなの考えなくてもさ、いつでもいいと思うよ。区切りって、つけたいと思った時ってなかなか踏ん切りつかなくていつまでも引きずっちゃうけど、意外となんでもないときにあっさりつけれちゃうもんだよ。それに時間が経つにつれていつの間にかついてしまってる時もあるしさ。てかさ、ちょっと携帯の時計見てみなよ」


〇時〇三分。

すでに一つの年も終わっていて、新しい時間が動き始めていた。

「えっ!?もう過ぎてるじゃん!気づいてたならなんで言ってくれなかったの!」
「だって、なんか必死になって話してるからさ、止めるのも悪いと思って。けど言ったでしょ。区切りなんてつけようと思ったときじゃなくて自然についてることもあるんだって」

したり顔で微笑む彼女を見て、返す言葉が見つからなかった。


「まあ君は何も変わらず、私のそばにいればいいと思うけどね。
ほら早く部屋の中入ろ、風邪ひいたら初詣いけなくなるよ」

彼女に急かされるように吸っていたタバコを灰皿に押し付ける。ふとアパートの方へ目をやると、ドリンクのボタンそれぞれを時間差で光らせていた自動販売機は何か諦めをつけたようにすべてを光らせるようになっていた。


変わらないものはぼくを不安にさせる。
けれど、ぼくの人生の中で、目の前で微笑む彼女の笑顔だけは唯一変えたくないと思った。

「今年もよろしくね」
「うん、よろしくね。まあとりあえず年越し蕎麦早く食べよ」

歯切れの悪いぼくの気持ちは、蕎麦よりも早く綺麗さっぱり切り捨てられた。

そうさせてくれる彼女の笑顔を今年も大事にしていこう。今年の抱負を寒空のもとで誓い、蕎麦のつゆの匂いが立ち込める温かな部屋の中へ体を潜り込ませた。

著  じょん

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