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迷子は不安だ。だけど自由だ。


ぼくたちは時に迷子になる。

先日、心地よい秋晴れの下、取引先の会社へイヤホンをつけながら歩いていると、シャッフルのプレイリストの中からBUMP OF CHICKENの『記念撮影』が流れた。


この曲久しぶりに聞くなあと思いながら、耳を傾けているとある歌詞がずどんと心の真ん中を突き刺した。

迷子のままでも大丈夫。ぼくらはどこへでも行けると思う

霧の中で目の前が急に明るくなるように、なにか開けた気がした。開けただけではなくて、持っていた重い荷物すらも代わりに持ってくれたような、体も心も軽くなる瞬間だった。

***

ぼくは迷子だ。

仕事をしながら文章を書くスキルを身につけて、いつか仕事にする。そう決めたはずなのに、なかなか納得いくものができず、手が止まる。

向いていないんじゃないか、そもそもなぜやりたかったのか、いつかの自分に問いかける。どんなに問いかけていても答えは出てこない。立ち止まってどうすればいいのかわからなくなっていた。

それでもうるせえ声で書きたい気持ちが心をかき回す。

気づくとぼくは人生の迷子になっていた。

迷子は不安だ。どこに行けばいいのかわからない。ここがどこなのかわからない。誰かが迎えにきてくれるわけじゃないから自分でなんとかするしかない。でもどちらに足を向けたらいいのかわからない。

ぼくたちは事あるたびに迷っては立ち止まって、どこに行けばいいか考えてしまう。

そんな迷子で前にも後ろにも進めないぼくたちに勇気をくれるのが『記念撮影』の歌詞だった。

***


行くべき方向がわからない、それは言い換えればどの方向へも行けることだ。

どこに進みたいのかわからなくても日々は続いてく。ならいっそのことどこかへ進んでしまってもいいのだと思える。

そう思ってしまえば、とりあえず進んでいくことが大事なのかもしれない。とりあえずどこかへ進んでいけば、いつか大通りに出て方向を示す看板が見えてくるかもしれない。

障害物が目の前にあってもたただ前に進むことだけが正しいとは限らないし、一度来た道を戻ってみてもいい。

迷子はどこへだっていける。だから、歩むことだけをやめない。


迷子は不安だ。だけど自由だ。


たぶんぼくたちはこれから何度だって悩んで迷ってわからなくなる。
けれど歩むことだけをやめないでいることが、たどり着きたい場所へ行くための一番の方法なのかもね。

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