عن الحب

Sahnya 雪国、愛の担当者 アイコン by reiko ishiguro

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最近の記事

世界には恵まれない子ども達が沢山居る

幼い頃は酷い偏食を患っていたので、食べられないものがたくさんあった。 まず、豚肉や牛肉、鶏肉の脂身。野菜全般、特にキャベツの芯。これらは目に入るだけで嗚咽が込み上げた。 ショートケーキは口にするまでは良いが、口にしてしまうと途端に具合の悪くなる甘美な毒。 ドライブスルーで受け取るマクドナルドのバーガー、調子に乗って頬張っては頭が痛くなって、車の後部座席でよく吐いた。 口に入れる前、口に入れた後、それぞれ体が受け付けないということがとても多かった。 ある先生は、ピアスをして入

    • 潮風の家

      幼少より潮風に育まれた。辺りの浜は全て自分のものだと思っていた。日々疲れ切るまで好きなように海で遊んだ。風のように海へと続く一本道を下って竹林に入り、葉を揺らす。子供は風の子と言うが、本当に風になっていたんじゃないかと今思う。 浜の一帯にはスイバやグミの実、桑の実など口にできるものが豊かに自生していて、お腹が空いている訳でも無いけれど、気まぐれに採っては吸ったり食べたりした。口にできるものがいつも側にあるというのは、大きな安心感がある。祖母が無限に麦茶を沸かし、茶菓子を用意

      • 誰かが待っていなくても

        (写真は19歳時の私自身) バンドにいる時だけは、自分が無敵になったような気がしていた10代。小さくまとまっていた自分の姿を払拭するかのように、解放出来ずにいたエネルギーを放出するべくバンドにのめり込んだ。今思えば、誰かに自分の力を示そうと躍起になっていたのかもしれない。 この歌声を使って。 力強く地を割ろう。人の心を貫こう。 そういう猛々しい面があったことは、否定しようもない。そんな事を思いながら、いつもまるで何も気にしていないみたいな、涼しい顔をしていようと思った。な

        • 灰受けの中からよみがえる時、初めて自分の形が分かる

          電池が切れたようになることがある。そういう時は決まってゴミのように転がって、布団を一生の住処とする。ずっと動かないと思いきや、ご飯の時間になると飛び起きて、驚くほどしっかりと食べる。一日三食、それは人間に与えられた、基本的で文化的な生活スタイルだということを免罪符に黙々と食べ、布団に戻れば、睡眠薬でも打たれたようにまた何時間も眠りこけるのだ。 そうした時間を過ごしていると、自分の顔が一体どんな形だったのか、思い出せないかのような感覚に陥る。どんな日も闇は夜にやってきて、全て

        世界には恵まれない子ども達が沢山居る