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いだてん45話から感じた本質

ちょっと長くなりそうだったので、二つに分けることにしたのですが、本当に伝えたいことは今回のコラムです(笑)。田畑さんの人柄や、「道楽的」な考え方に通じることがあるので、詳しく取り上げたいと思います。

表舞台を去った田畑

事務総長の座を奪われ、一番お気に入りのおもちゃを取り上げられたかのような田畑さんは、家で寂しく過ごし、今まで全く顧みなかった家庭サービスでもしようかと、日々を虚しく過ごします。
こんな俺についてきてくれた奥様に対し、聞いていたないと思って独り言で感謝を述べていると、仲間だった表舞台に残った人たちが家に押し寄せる。

田畑さんが「俺のオリンピック」と呼んでいた会場の模型を持ってやってきたんですが、田畑夫人は、「主人の為にも、ぜひ家に来てください!」とお願いすると、「じゃあ、今日からここは裏委員会だ!」と、田畑家で裏会議が行われることとなりました。重要な書類や出来上がったポスターも、表委員会よりも先に裏委員会に持ってきたり、オリンピック成功に向けた作戦の多くは、裏委員会で立てられることとなりました。

田畑政治さんは、表舞台は強制退場させられても、裏に潜むことで、今まで通り、いや、責任がない分、今まで以上に笑顔で楽しそうに、どんちゃん騒ぎをしながら準備を進めるのです。そうなれたのは、「もう誰がやっても成功できるレールを、俺が敷いたから」だと言えます。不思議なもので、意思を継いだ嘉納さんと同じような道を辿ることになりましたが、同じ末路を辿らなかったのは、本当に良かったと思います。

裏だからこそできたこと

田畑さんがやってきたことやその情熱というのは、例え政治によって消されて、本人も意気消沈したとしても、その火を受け継いだ仲間は、その存在を誰よりも認めているのです。そして、責任ある立場では、発言を気にしたりしますが、時として人は、自分以上に自分のことを見ていてくれたりするものです。田畑さんのように、辞めさせられて距離を置かれても、人が集まってくるのは、本物の関係だと思います。

本物の関係であれば、仕事だからとか、立場だからとかは関係なく、何の得にもならないことなのに「まず田畑さんに見てほしい」と言われ、何よりも優先されてしまうのは、すごいことだと思います。

そして、田畑さんのように、家庭や沢山のものを擲って、オリンピックに懸けてきたほどの本気は、辞めさせられても、人が来るのです。

正攻法でオリンピックに関わることはもうできなくても、裏に潜むことで関わるどころか、黒幕のような中心人物として関わることもできます。

正攻法だけが道じゃない

今回のことから感じたことは、本当の本気であれば正攻法は関係なく、むしろその裏を取る方が、実質的には目的を果たせるのかもしれません。田畑さんの場合は、それまでの功績があるから、名前は残りますが、表舞台で活躍しないと、名前が残らなかったり、誰にも知られないかもしれません。でも、それはある意味「承認欲求」や自分の名前を残したい「欲」であり、表舞台では、面倒なしがらみや規制があるのも事実です。であるならば、表舞台だけにこだわるのが成功ではなく、裏に潜んで、何にも縛られず、自由に振る舞うことができる方が、よっぽど幸せなのではないかと思います。

事務総長を辞めさせられた田畑さんが、観ていてとても辛かったですが、真剣にオリンピックと向き合い命をかけてきたことは、何も無駄になることはなく、「俺は辞めてくないんだ」と悪あがきをしても、その本気を知り、理解している仲間がいれば、救いになることは沢山あるんだと思います。

ちなみに、私は先生になりたかったわけではないですが、曲がりなりに子供達から「先生」と呼ばれることがあります。資格も何もないのに、「先生」と呼ばれるわけですが、保育士や幼稚園教諭を目指す方からしたら、羨ましがられるかもしれません。もちろん、「先生」と呼ばれることに意味はないので、それでどうということはありませんが、無理して頑張って勉強したりしなくても、自分のやりたいことをやって「先生」と呼ばれることもあるということです。

道草を楽しむことの意義

田畑さんは事務総長を辞めさせられ、望んで道草を楽しんだわけではないんですが、

「もうやれることはやった。あとは誰がやっても成功できるし、信頼する仲間がうまくやってくれる」

と割り切れて、今までできなかった家庭サービスでもしようかと思った所に、同志がやってきて、夫人も

「体だけが帰ってきても意味がないんです。心が帰ってこないなら、いない方がマシです!」

と、田畑政治という一人の人間を、最も理解し愛していたことで、自宅を解放して裏委員会が実現しました。
事務総長として、東京オリンピックを迎えるというのは、責任感でもあり、欲でもあります。政治的な思惑とはいえ、辞めさせられましたが、悔しがりながらも、踏ん切りをつけたことが、道草を楽しもうとして、表舞台よりもしがらみのない裏委員会が実現したのです。

これこそが、道草を楽しむことの意義であり、目の前に起こったことを受け入れたからこそ、変化していった現実だと思います。

道楽に生きるということは、こういう予想もつかないことが起こってくるもので、それが間違いなく自分の人生にとって必要で、結果的にはその方が良い事になることが起こり得ます。それは、私自身が一番実感しているからこそ、「道楽」を発信しているし、「道楽舎」を立ち上げ、同じように楽しめる仲間を増やしたいと思いました。

『いだてん』も残す所あと3話となりましたが、またその魅力をお伝えしていきますし、「道楽」についても配信していきますので、お楽しみいただければ幸いです(^^)

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