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信者を作るから儲かる

信者を作るから儲かる

意味:大金を落とす、信者のようなディープなコアファンを作るから、儲かる

対義:信者を作らなければ儲からない

(例)いやぁ、今まで大金を落としてきたけど、自分は「信者」だったんだなって気付いたよ。思い返せば、確かに信じていた宗教にもめちゃくちゃお金も時間もかけたけど、俺みたいな信者がいっぱいいたら、そりゃ宗教も儲かるわな(笑)まさに、「信者を作るから儲かる」ってことだね。

宗教に限らず、「信者」と言われるほどディープなファンを作ることは、とても大きな収入源になります。ミュージシャンで言うと、「長渕信者」「矢沢信者」と呼ばれるディープなコアファンがいますが、そう言う信者は、一人でCDを何枚も買ったり、グッズを買いまくったり、車のナンバーを「830」にしたりするほど、お金をかけたりします。売る側からしたら、それだけお金をかけてくれたら儲かりますよね。「信者」クラスになると、一度ならず、何年も何十年にも渡って、お金を落とし続けます。そして、面白いもので、人間は「一番になりたい欲求」があるので、信者同士でも、「自分の方がより信者だ」と、よりお金をかけたりします。そうなれば、儲かって笑いが止まらないですよね(笑)

かく言う私は、『HUNTER×HUNTER』の作者・冨樫や宮藤官九郎ことクドカンの信者ではありますが、大してお金を落としていないので、信者失格かもしれませんね(笑)

ちなみに「儲かる」という漢字の語源はいくつかあり、「信+者」だったり「人+諸」だったり、「人+言+者」だったりと言われています。そのどれかが正しいと言うつもりは全くないですが、今回は、「信+者」という観点で進めて行きます。

搾取されている信者

視点を変えて、信者側ではなく、お金を落とされる側から見てみます。
ビジネスは、儲ける為にやります。宗教をビジネスと言うと、誤解を招くかもしれませんが、そういった面があるのは間違いありません。信者が集まらなければ、宗教は成り立たないし、顧客がいなければビジネスは成り立ちません。ビジネスにおいても、大お得意様と呼べる「信者」を作らないと、儲かるまではいかないものです。信者を獲得する為には、それだけのものを提供しなければなりません。それができれば、何れにせよ、信者を獲得して儲かるでしょう。

信者になってしまうと、自分が「搾取」されていることに気付かないものです。世の中には、「世のため人のため」と思っている人がいるのは事実です。しかし、本当に儲けている人、意図して信者を獲得しようとしている人は、表向きにはそう言っていても、本心は裏腹だったりします。役に立っているのであれば、信者との関係は成り立っているから儲かると思いますが、信者というのは、ある種洗脳されていたり、盲信しているものです。本人は自ら望んでお金を差し出していても、客観的に見たら、搾取されているように見えます。

搾取されていると気付いたら、勇気を持って切り捨てる

本人が気付いていてもいなくても、お金を払うことで満足することもあるので、それで成り立っているうちはいいですが、怖いのはそのカラクリに気付いた時です。騙すとまでは言わなくても、裏腹に気付いたら、裏切られた、と思うでしょう。巷ではとく「アンチ」と言われる存在がいますが、それは、「信者の成れの果て」とも言えるし、大きく言えば「信者」とくくれるかもしれません。

信者であろうがなかろうが、生きている以上、私たちは何かしらに搾取されていると言えます。大事なのは、それをわかった上でお金を出しているか?ということです。盲信して、表面的なことを信じてお金を出していたら、簡単に信者化されて、転がされるのがオチです。

道楽家としては、信者を作って儲けるのではなく、信者を作らず、少なくとも「人+諸」や「人+言+者」というスタンスで儲けたいと思います。

私のように、クドカンが好きで『あまちゃん』DVD-BOXを買うのは、わかった上で買っています。しかし、盲信していたり、搾取されていることに気付かないでお金を落としていて、それに気付いた時、待っているのは絶望です。ギャンブルでもよくありますが、もう引き返せない程BETしていると、大損したりします。それは人生も同じで、お金や時間をかければかけるほど、後には引けないものです。

自分が無駄なものに時間もお金も掛け続けてきてしまい、気付いても時すでに遅し。もう後には引けない状態だったとしても、そのままお金も時間もかけて生きるのはもったいないです。なので、例え自分を愚かだと思っても、絶望してしまっても、情けない過去を、勇気を持って切り捨てる必要があります。

道楽的脱却方法

これについては、詳しくコラムにした方がいいのではないかと思いますが、簡単に言えば、どんなに馬鹿なことをしても、無駄なことにお金と時間をかけてきたとしても、それが無駄になってしまったとしても、道楽的に見れば、全てが無駄になりません。むしろ、ネタが増えて、人生は豊かにすることができます。

それは、「道中を楽しむ」という考え方を持った道楽家だからこそ、道中に起こる失敗も嫌なこともヤラカシたことも、全て大切なものとして価値に変えることができる方です。
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何も起こらない方が面白くなく、答えや結果を簡単に手に入れても、面白くもなんともありません。人生を面白くするには、一見無駄で馬鹿なことにでもフォーカスして、味わうことが大事です。
リアクション芸人を見て笑ってしまうのも、そういうことだと思います。辛いのがわかった上で食べてリアクションするから面白いんです。辛いと知らず食べてリアクションしても、驚いたり心配してします。道楽家としては、そういうリアクション芸人のように、分かりきったことを敢えてやる、というのも、面白さを生み出すことになると考えます。

もう後には引き返せないと思っても、それこそが「道中・道草を楽しむ」という道楽道の真髄と言えるかもしれません。そんな所まで進んでしまって、遠回りしてもゴールした方が、感動も大きくなるというものです。

そんな道楽家の私は、「道楽舎」に所属しています。ぜひこちらをチェックして、フォローしてくださいね!!


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