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【道楽コラム】坂本龍馬と道楽・下

前回は、坂本龍馬の生涯を振り返って、「道楽家・龍馬」の姿を解明していきました。今回は、その引き続きとして、さらに踏み込んで、坂本龍馬と道楽、あと量子力学も絡めて、お送りしてまいります。

龍馬の夢

「大政奉還」によって徳川幕府は倒れ、新たな政府の要職を決める会議にて、龍馬が提案した組織図には、自信の名前はなかった。驚く一同に向けて放った言葉は、

「そうじゃのう。世界の海援隊でもやりますかいのぅ」

というものでした。後の外務大臣・陸奥宗光は、後に自慢げにこのエピソードを語っていたそうですが、龍馬の倒幕の一番の目的は、実はこれだったのではないかとも思うんですよ。世界の海を股にかけ、ではないですが、龍馬は船が好きだったそうで、剣道を修行しても、一人として斬り倒したことはないそうです。時代が時代、身分が身分だったので、剣道修行をしたのだと思うのですが、元来性には合わなかったのでしょう。龍馬にとって倒幕は「手段」に過ぎず、本当の目的は、「まだ見ぬ世界を見たかった」というものなのかもしれません。

ただ、その目的を語っていたって、誰もついては来ないでしょうし、その時代においては許されなかったでしょう。だから、本当の目的は胸の内に隠し、皆にとっては「目的」で、龍馬にとっては「手段」である倒幕の為に動いていたのでしょう。

150年前のことだし、本当のところはわかるわけはありませんが、坂本龍馬に関する文献や作品、考察などを調べた上で、私が行き着いた答えはこれです。

龍馬が人気である理由

まさに、龍馬という人は「道楽家」そのものだと思うんですよ。普通であれば、「倒幕」や「攘夷」を目的としていて、その為に武力を集めたり、勢力を増やしたりしました。ただ、「倒幕」を目的としていたなら、実際に幕府を倒した後、どうしていくのか?ということが問題になります。明治政府の重役を担った方々は、そこまで考えていたかもしれませんが、「倒幕」という「結果」に捉われていたのは間違いないと思います。しかし龍馬は、その時々の流れを読んで、一直線に倒幕には向かいませんでした。幕臣である勝海舟の弟子になったり、幕府の重鎮ともコネを作ったり、龍馬が提唱した「大政奉還」も、倒幕派にとっては、幕府の救済処置でしかなく、今まで共に戦ってきた仲間にとっても、龍馬は敵のような扱いを受け、面白いもので敵だった幕府に守られることにもなりました。

何ものにも捉われず、自分の意思で、判断で生きていくところに、龍馬の魅力があるんだと思います。自由で柔軟な思考の持ち主だったからこそ、龍馬は人気があり、高知には龍馬の名前がついた空港を始め、施設がたくさんあるんだと思います。ただ、高知の方にとっては、高知の為に活躍しなかったので、あまり支持はしていないようですが(^^;

歴史で振り返る「量子力学」

人生や歴史というのは、どうなっていくのかはわかりません、私は歴史が好きなのですが、歴史というものを振り返ると、「なるべくしてなった」としか思えません。今という時代があるのも、戦争はもちろん、発明や科学の進歩によってのものです。これを「原因結果の法則」と見ることもできますが、量子力学的な見方で言うと、「今という結果のために、過去の原因があった」とも捉えることができます。そして、未来という原因があり、今という結果になったと捉えることができます。

現状、色んな不満があったり、納得いかないことやうまくいかないことは沢山あると思います。私も、今日は久々に徹夜でふらふらになりながらこんな長いコラムを作成していますが(笑)、これは過去の原因によるものに見えて、実は未来に何らかの原因があり、徹夜という結果を産んだのかもしれません。

それは、何の保証も証拠もありません。ただ、先ほど述べたように、「歴史がなるべくしてなった」のなら、既に未来は知らないところで決まっていて、それが原因となって、未来に導く今が展開しているのかもしれません。これは、量子力学的な考え方だと言えますが、とても「道楽的」でもあります。

「倒幕という結果」という言葉を取り上げましたが、結果にこだわる、執われるというのは、物事を「原因・結果」で捉えているからで、それでは、予想外の未来は起こりません。しかし、量子力学的に「どんな未来かは知らないけど、その未来の為に今や過去がある」と考えてみたら、理不尽のように感じる目の前の「今」も、実は意味があり、未来から流れてきた道筋なのかもしれません。そう考えれば、たとえ今は、「今」の意味や理由がわからなくても、「だからあの時があったのか!」と気付く時が来るでしょう。過去に捉われ、不満を持って生きていっても、「あの時があったせいで」と後ろ向きに捉えてしまうでしょう。

「せい」は「おかげ」に変えられる

私は常々、「"せい"は"おかげ"に変えられる」と発言していますが、その実とは、こういうことなんだと思います。原因結果で物事を見れば、「あの"せい"で」と捉えてしまいますが、量子力学的に、道楽的に考えたら「あの"おかげ"でこうなったのか!」と考えられるはずです。

龍馬は、自身の夢である「世界の海援隊」を実現させることはできませんでしたが、倒幕での戦争によって大きな被害を出したり、外国の植民地になるという悲惨な未来は防ぎました。それは、龍馬にとっても大きな目的だったはずです。可能ならば、世界の海を駆けて欲しかったですが、もしかしたら、そうなれば大きな不幸になったのかもしれません。

量子力学的には、「暗殺はされたけど、その"おかげ"で、日本の英雄になれた」と言えるかもしれません。

ちょっと思っていた以上に長くなってしまったので、上・下に分けさせていただきましたが、今や、歴史の教科書から、龍馬の名前が消えているものもあるそうです。私を含め、私たちが認識している坂本龍馬が、本当はどのような人物なのかはわかりません。「薩長同盟」「大政奉還」など、どこまでが龍馬が立役者なのかはわからないし、その証拠が弱いことで、歴史の教科書から名前が消されかけているのかもしれません。

歴史は、時間と共に変わったりします。「聖徳太子」は肩書きで、そういう名前の人はいなかったとか、有名な武将の肖像画は全くの別人だったとか、色々言われています。今は龍馬の名前が消されても、もっと未来には、決定的な証拠が出て、さらに龍馬の名声が高まる可能性だってあります。

まぁ歴史というのは、常に書き換えられたり変わったりするものです。そして、真実にも、それほど意味はないのかもしれません。実際には大したことでもなかったり、意味合いや、文字通り認識を書き換えられている可能性だってあります。

何を信じるかは自分次第。龍馬はきっとそんな自分を信じて生きたのではないでしょうか。それこそが、一番の魅力なのかもしれませんね。

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