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「消えた天才」に見る「自分を信じるということ、人から認められること」

不定期にお送りしている「消えた天才シリーズ」ですが、本日は「消えた天才」の放送日ということで、松岡修造さんが叶わなかった天才のエピソードをお送りしてまいります!

松岡修造が叶わなかった辻野隆三

男子プロテニスのパイオニアである松岡修造が勝てなかった、錦織圭クラスの才能を持つ天才、辻野隆三
辻野さんは、当時の世界ランキング2位の選手を相手に互角の戦いを見せたこともあり、松岡修造がずっとライバル視していて、目標にしていた相手でした。
今でこそ、日本でも多くの選手が指導を受けている「IMG」というマネジメント機関に、当時日本人として初めて契約したほどの選手でした。しかし、当時の世界ランキング最高位だったのは松岡修造の46位で、辻野選手は354位でした。

松岡修造を超える才能を持ち、なぜ才能を発揮することができず、引退してしまったのか。

IMGと契約をし、アメリカに渡り、世界のトップ選手と渡り合って練習をしていると、小柄な日本人だった頃もあり、周りの選手に圧倒され、体力の違いをまざまざと突きつけられた。コーチからも、「もっと頑張れ!もっとやれ!」と追い込まれることで、体力の限界を超えていて、「これ以上はもうできない」と諦めてしまいました。

その後も、プロとして活動していましたが、ハードな練習による怪我などで現役を引退することになりましたが、今もテニスに関わり、解説者を務めたり、横浜でテニススクールを経営しています。そしてなんと、歌手の荻野目洋子さんと結婚しており、充実した日々を送っているそうです。

自分を信じるということ

辻野さん曰く、なぜ自分よりも劣っていた松岡修造が、ウィンブルドンで活躍し、錦織圭選手が現れるまで、日本人最高位と記録を保持していたのか。それは、「自分を信じる」ということだそうです。辻野さんは、IMGでハードな練習をすることで、高い壁を目の当たりにして現実を突きつけられましたが、松岡修造は、自分のペースでプロの道を歩み、自分を信じ続けて、日本人最高の選手へとなりました。

必ずしも、最高の環境に行くから成功するとは限らないということなのかもしれません。辻野さんは、最高の環境に行ったわけですが、辻野さんにとっての最適な環境ではなかったのかもしれません。そういう意味では、松岡修造が選んだのは最適な環境だったのかもしれません。

最高の環境が必ずしも最適とは限らない

辻野さんのように、最高の環境に行くことが、自分にとって最適とは限りません。これは、一流の学校に行くことや、一流の会社に入ることが、自分にとって最適とは限らないということです。最高の環境に行くことが目的になってはいけないということです。環境は自分を育てるものであり、手段に過ぎません。そして環境というものは、とても影響力の強いものなので、慎重に選ぶべきなのかもしれませんね。スピリチュアル的に言えば、進んだ環境がどんなものであれ、自分に必要なものとして現れるとも言えます。結局は、本当の目的を見失わず、目の前にあるものとどれだけ向き合えるかということが、重要なんでしょうね。

本当の自信とは

松岡修造にしてみたら、「自分を信じろよ!お前ならできる!!」と励ませたなら、共に世界のトップを目指して活躍できたかもしれない、そうなれば最高の幸せだと思い、何もできなかったことを悔やんでいるそうですが、これも消えた天才シリーズで何度も述べている、消えた天才の存在が、松岡修造の礎になったとも言えるのかもしれません。

辻野さんがIMGと契約する前に、世界1位の選手の前で、松岡VS辻野の試合があり、その勝負では松岡修造が勝利しました。祝福の声を掛けられた松岡修造でしたが、アドバイスやコーチングをしたのは辻野さんでした。つまり、世界トップに才能を認められたのは辻野さんだったのです。松岡修造としては、「勝ったのは俺なのになんで!?」と思ったそうですが、世界のトップからも、IMGからも、才能を認められていました。松岡修造は、それでも自分を信じ続け、地道に努力していって、世界で活躍しました。

本当の自信とは、他人に認められることではなく、まず自分を信じることで、他人に認められるのはその次なのかもしれませんね。
他人に認められたい気持ちは誰にもありますが、それを軸にするのではなくて、まず信じられる自分を発見するためにとことん向き合い、自分を信じることを突き詰めていくことが、一番大事なんだと思います。

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