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【ウラヨミ】なぜ映画のジャイアンはいい奴なのか?

きっと、誰もが一度は疑問に思い、ネタにされているであろう、ドラえもんにおける七不思議の一つ(他六つは知らんが)、「映画版のジャイアンはいい奴説」について、ウラヨミしていきたいと思います!

妹思いのガキ大将

ジャイアンと言えば、ガキ大将の象徴で、いつものび太を虐めたり、「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの」が有名で代名詞となっているかと思います。

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そんなジャイアンの本名を覚えていますか?

そう。「剛田武」です。

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しかし彼は「ジャイアン」と呼ばれています。それはあだ名ではありますが、なぜそのようなあだ名なのでしょうか?
体が大きいから「ジャイアント」の略?違います。
巨人ファンだから「ジャイアンツ」の略?違います。
いや、野球好きなので、巨人ファンかもしれませんが(笑)
由来は違います。もうネタがないので答えを言います(笑)

彼の妹は「ジャイ子」。これは一応あだ名で、本名は違うそうですが、それは藤子不二雄先生が、ジャイ子と同じ名前の子が「ジャイ子」と呼ばれていじめられないような配慮だそうです。

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そう。「ジャイアン」のあだ名の由来は、「ジャイ子」なのです。
つまり、ジャイアンが先ではなく、ジャイ子が先で、ジャイ子ありきのジャイアンなのです。

そんなジャイアンをウラヨミすると、妹思いの優しい兄という姿が見えてきます。

ジャイアンは、妹が「ジャイ子」と呼ばれて馬鹿にされたり、いじめられないように、自らを「ジャイアン」として、妹を守っているのです。更に言うなら、自分が強くあれば、なおさらジャイ子を馬鹿にすることはできない。ジャイアンがガキ大将でいじめっ子になったのは、妹を守るためだった。のかもしれません(笑)

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「お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの」

「お前のものは俺のもの」発言も、小学1年の時、初めてのび太に会った時、のび太がランドセルをなくしてしまいました。それを、ジャイアンが必死になって一緒に探して見つけ出した時、

「なんでそんなにしてくれるの?」

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とのび太に聞かれ時に、答えたセリフが

「だって、お前のものは俺のもの。俺のものも俺のものだ」

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と、名言が生まれたそうです。
セリフだけを見れば、傲慢に見えますが、ジャイアンの持つ友情の深さを意味しているものでもあります。実は、相当深い名言だと思いますが、いずれ気が向いたら取り上げます(笑)

ただ、このエピソードは、元々原作にはなく、ジャイアンをただの悪者にしないように、追加したとも言われています。少なくとも、藤子不二雄さんの中には、こういう意味も含まれていたのかもしれませんね。

ジャイアンはそういった、強さの中に優しさも持ち合わせてはいますが、時にやり過ぎてしまうこともあるので、恐い母ちゃんと言う存在が必要なんですね。

映画になるといい奴になる理由

それでは、そんなジャイアンが、映画になるといい奴になる理由をウラヨミしていきます。

一つは、少年漫画によくある、敵が味方になると頼もしい感じのアレです(笑)
いつも、威張り散らしているジャイアンですが、映画においては仲間として行動する為、その強さや力がのび太達ではなく、外に向かいます。そうなることで、頼もしい存在として描かれます。

もう一つは、こちらが今回のメインテーマなんですが、共通の敵がいるということ、手を取り合わないと乗り越えられない困難に直面することです。

古くは三国志でも描かれていますが、敵や味方でないものを味方にするには、共通の敵を相手にすることが必要です。例えば、共通する相手に、どちらも苦しめられているから、手を組もうと持ちかけるわけです。

ドラえもんで例えるなら、のび太がジャイアンを倒すために、自分ほどではなくても嫌な思いをしているスネ夫に対し、
「スネ夫、君もジャイアンにものを借りパクされてるだろ?
 ちょっと力を合わせて懲らしめてやろうよ!」

な〜んて持ちかけたりするわけです。まぁ日常の場合は、その後の事があるから、スネ夫がのび太に協力することはまずないですが(笑)、それが映画版になると、その時限りだったりするので、皆で協力して乗り越えます。

以前、「世界は一つになることはできるだろうか」というコラムを取り上げましたが、一人では立ち向かえないような脅威を前に、誰かと敵対する意味はありません。

地球人類が手っ取り早く一つになるには、『地球が静止する日』『インデペンデンスデイ』で描かれたように宇宙人に攻め込まれるか、地球規模の災害が起こったり、『アルマゲドン』のような巨大隕石が来る、という映画のような状態になる時でしょう。

ジャイアンも、映画ではのび太たちと同じ脅威にさらされるので、その場でのび太をいじめる意味も必要も全く無くなります。そんなことをしていては、危機を乗り越えられないからです。

これは、アニメや映画の中だけの話ではなく、現実でも置き換える事ができるし、ものの見方を変えるということを、ジャイアンが教えてくれているんだと思います。


嫌いな部分も、嫌いだと認めると、見えてくるものがある

のび太にとっては、いじめっ子ではありますが、『STAND BY ME〜ドラえもん〜』では、ドラえもんが安心して未来に帰れるように、倒されても倒されても立ち向かう姿は、胸にくるものがあります。のび太にとってジャイアンは、いじめっ子ではあっても、乗り越えるべき壁の象徴でもあるわけです。

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常々、物事は表と裏があると述べていますが、その両面を認め、受け入れないと、全体像は見えてきません。

ジャイアンという一見悪ガキのいじめっ子であっても、映画では頼もしい仲間になる時もあり、妹思いの一面もあります。そういうところも含めて、ジャイアンなのです。だからこそ、『ドラえもん』は長く愛され、ジャイアンも存在し続けるんだと思います。

人間関係で悩まない人はいないと思うし、好きになれない嫌いな人もいると思います。私は、嫌いな人でも良い所を見つけて好きになりましょうって、表面的で薄っぺらいことは言いません(笑)。

私は、嫌いなままでの関係も成り立つと思っています。ただ、嫌いなだけだと、偏った味方になってしまうので、映画版ジャイアンのような部分があるなら、嫌いなままでいいですが、認めることも大事なんじゃないかと思います。

今回は、ふとジャイアンについてウラヨミしたので、こんな感じのコラムになりましたが(笑)、物事は、フォーカスしていくと、思いもよらないドラマがあったりするものです。ただ「嫌い」と切り捨ててしまうと、感動も切り捨ててしまうことになるので、「嫌いだ」という興味の持ち方として気にしてみると、意外な発見があるかもしれませんね!

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