私の使う小麦畑という言葉について

私はよく、小麦畑。小麦畑だ。小麦畑が増える。と言う。私が小麦畑だと意味のわからない場面で言う時がよくあっただろう。何も説明なしに使っていたことを許して欲しい。私以外に誰も知らない言葉を使い続けるのはなかなか悲しいものなのでこの場を借りて説明しておこうと思う。
まず、私の使う小麦畑の意味はあるものや匂い、場所、音などでそれではない何かを思い出す現象のことである。たとえば、雨の匂いで雨天中止になった運動会の日の朝を思い出す。昔使っていたハンドクリームの匂いでその当時の自分を思い出す。アスパルテームを見ると高校三年二学期期末化学のテストで100点を逃したことを思い出す。皆さんもこのような経験をしたことがあるだろう。私はこの現象にどうしても名前が欲しかった。ちなみに匂いの場合のみはプルースト効果と言うらしい。(今調べてみて初めて知った。)

私の小麦畑は星の王子さまの中のキツネとのエピソードから来ている。

王子さまと友達になったキツネは王子さまとのお別れの時が来て涙を流した。君が泣くなら仲良くなったっていいことはなかったと王子さまは言った。
「いや、あったよ小麦畑の色だ」とキツネは言った「ぼくはパンを食べないから小麦に用はない。でもきみは金色の髪をしている。金色に輝く小麦を見ただけで君を思い出す。」

星の王子さま愛好家の私はこれを思い出してその時の気持ちを言語化した。(共通認識のない比喩なので正確に言えば言語化では無いのだが)
ここでの話は+と±0をリンクさせることで±0をプラス側に呼び込んでいる。だが私の言う小麦畑はここまでの流れではなく、ただ単に何かと何かを紐付けてふたつの動きを連動させるまでである。
ここまでで私の小麦畑のイメージが掴めただろうか。もしそうであったら嬉しい。
私は今悪い小麦畑に襲われていてとても怖い思いをしている。美しい思い出だけでなく、思い出したくない過去を連れて日常に住み着き、私の怯えている姿を見て楽しんでいるようなのだ。いつかそいつらが凶暴化して私を襲ってくるのではないか。あるいはいつかそういうものが大きくなりすぎて、私ごと飲み込んでしまうのではないかと怖くなる。私は毎日そのような恐怖と闘いながら毎日を消費している。
もし私がすることがなにもなくなって、顔を上げる回数が増えればそういうものが絶対に私に襲いかかってくると思う。そうならないために私はいつでも忙しくありたいし、他の何かに意識的に目を向けるようにしている。
私は記憶をなにかに結び付けてしまう癖があるようだ。おそらく多くの人はそこまで多く小麦を栽培しない。定期テストの勉強くらいで十分かもしれない。美しい思い出がこの先もずっとそうだとは限らないから。

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