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あかんたれ様の記事、[ASD]は[障害]か[個性]かについて


こちらの記事を拝読して、先ず児童、否あらゆる人間に対して【障がい】か【個性】かという区別は必要なことではないと思います。

その子どもさんの日常の活動や行動・行為等の特徴・個性・特性を見つめながら、〇〇ちゃんの動きや興味、関心とかの特徴に目を向けていくことが大事なことだと思います。

人間は皆、同じではありません。音楽が得意な人、スポ―ツに秀でている人、研究に秀でている人等々、皆が同じではありません。

人間の一人ひとりの個性を認め、尊重していくことが大事なことだと考えています。

子どもさん自身の成長を見つめていくことの方が大事なことだと、私は思います。

そういった枠にはめて子どもを見ると、子どもの成長そのものよりも、【何ができない】とかといったマイナスの部分ばかりに目がいきます。そういった目で見るのではなく、【できなかったことが出来るようになった]】といったことに目を向けて欲しいと願います。

知人のことを思い出しました。

その知人は、脳性麻痺でした。
その頃、障害者の人権について、しきりに議論・討論がなされていた時期でした。

その頃、障害者にも働く場や居場所をと、ハンディキャップがある人々自らが声を上げ始めました。
卒業すると、家の中で唯々じっとしているだけの生活しかないと…

グループの中の1人が、その知人に「障害(当時は障がい者といった表現はしていない)では無いよ、個性だよ」と、声掛けしました。

その知人は、電動車椅子を利用して外出し、料理は包丁を足の指に挟んで、野菜を切っていました。
個性という言葉に、知人が反論しました。私に向かって、同意を求めるように「個性ではないよね」と絞り出すような言葉で言いました。

或る母親は、手指や上下肢に欠損のある子どもさんのことを「原因を追及することよりも、子どもの将来について、成長していく度に、何が必要か…といったことに目を向けていきたいと言われました。

皆が同じではありません。子どもさんの成長を見つめ、その成長に応じた選択をされることが、その子どもさんにとっても幸せなことではないでしょうか。

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