ともしび

児童、ハンディキャップのある方、高齢者の方の相談や支援等、福祉に関する仕事に携わってき…

ともしび

児童、ハンディキャップのある方、高齢者の方の相談や支援等、福祉に関する仕事に携わってきました。保育士・介護支援専門員(ケアマネ)・社会福祉士・精神保健福祉士等の資格も取得しています。今、困っている方や迷っている方が、気軽にご相談できる窓口になれば幸いです。

最近の記事

あかんたれ様の記事、[ASD]は[障害]か[個性]かについて

こちらの記事を拝読して、先ず児童、否あらゆる人間に対して【障がい】か【個性】かという区別は必要なことではないと思います。 その子どもさんの日常の活動や行動・行為等の特徴・個性・特性を見つめながら、〇〇ちゃんの動きや興味、関心とかの特徴に目を向けていくことが大事なことだと思います。 人間は皆、同じではありません。音楽が得意な人、スポ―ツに秀でている人、研究に秀でている人等々、皆が同じではありません。 人間の一人ひとりの個性を認め、尊重していくことが大事なことだと考えていま

    • 女児2人の会話:援助交際・パパ活

      ここでは、施設のことは敢えて明らかにしません。 小学高学年の女児達が、小声でもなく、普通に話しているのが聴こえてくる。 内容は[パパ活]の話だった。女児は悪いこととは思っていないらしく、平然と2人の会話が続く。 私は当時、相談員だったので、子どものことに関して指導はしないようにと決められていた。 女児2人の話は続く。結局、お金を得る話のようだった。 パパ活が一番簡単よと話している。 よく、ある程度の地位の男性が、未成年と知りながら┅といった事件が取り上げられる。

      • noteから人生がみえる

        noteの記事を読んだり、書いたりしていると、一人ひとりの人生があり、一人ひとりの人生がみえるような気がします。 誰一人同じ人生ではなく、似通った人生のようでも、誰もが異なった道を歩いていることに気付かされます。 似たような人生でも、その人その人によって全く異なった道になっている。 ある人は険しい道でも、当たり前のように、その道を受け止めて前に前にと進んで行く。 ある人は険しい道を受け止めることができないで立ち止まる。行くか戻るか思い悩む。 ある人は、その険しい道を

        • ”子どもの自殺„ 陰湿な暴力と苛め

          私達の小・中学校の頃、子どもが自殺する…といったことはなかったと思うし聞いたこともない。先ず、自分がそんなことをしたら、と思うと両親の哀しむ姿が目に浮かんだ。 誰にでも、一度や二度は死にたいといった思いを持ったことはあったかも知れない。が、それを実行に移すといったことは聞いたこともなかったと思う。 現在は、苛めの質も変わっているようだ。メディアが報じている苛めの実態を観ると、明らかに苛めの範疇を越えて、犯罪だと思う。 学校は、何故対応しないのか?と思うと同時に、教諭も如

        あかんたれ様の記事、[ASD]は[障害]か[個性]かについて

          ”自閉症スペクトラム?„ Cちゃんのケ―ス

          Cちゃん(男児)は、3~4歳頃に、お母さん、お兄ちゃんと一緒に(障がい児)通園施設に通って来るようになりました。 殆ど言葉を発することはなかったような気がします。要求する時は態度で示します。必要時に、お母さんの側に来るといった状況でした。母親に、何も言わずに外に出ようとするので、母親は本児の行動に、いつも悩んでありました。 ただ、本児の行動・行為によって、本児のしたいこと等、意思の疎通はありました。指導員の呼び掛けにも反応しました。 暴力的な面はありません。ただ本児が遣り

          ”自閉症スペクトラム?„ Cちゃんのケ―ス

          ”日常生活自立支援事業„ 利用のBさん

          B(高齢男性)さんは、市の生活保護課のケ―スワ―カ―からの相談により契約した方です。 一人暮らしの高齢者でした。コ―ヒ―を飲みたくなり、自販機で缶コ―ヒ―購入時に、脳梗塞を発症し救急搬送された方です。後遺症があり、退院後は施設入所になりました。 ある日、病院の医療SWから、入院費の未払いの請求がありました。医療SWから直接、治療費の請求があるのは珍しいことです。 入院時は生活保護ではなかったのでしょう。脳梗塞を発症し片麻痺が後遺症として残ったことに因り、施設入所に至った

          ”日常生活自立支援事業„ 利用のBさん

          【日常生活自立支援事業】は厚生労働省の所管です

          社会福祉協議会の【日常生活自立支援事業】は、厚労省の所管です。 この事業は、金銭管理等が困難な軽度の認知症高齢者・知的障がい者・精神障がい者の方が対象です。 1人の専門員が100人ほどの利用者さんを担当しています。 専門員は、対象者と3回ほど面談し、対象者の利用の意思決定により契約し、支援計画を立てます。 生活支援員が支援計画に沿って、生活費等を、ご本人に届けます。 詳細については、ここでは省きます。 Aさんは、介護事業所のケアマネからの相談により面談し、ケアマネ同

          【日常生活自立支援事業】は厚生労働省の所管です

          共同作業所のパン屋さん

          まだ、就労継続支援事業といった制度がなかった頃に、保護者達が協力し、ハンディがある子ども達に《就労の場を…》と…全国的?に、就労の場が作られました。共同・共働作業所といった名称で。 場所作りとして、社会福祉協議会の1室を借りたり、保護者が資金を出しあって、家を借りて開所する形が多かったと思います。 現在は、共同作業所から就労継続A・B型事業及び生活介護型に移行しましたが。 ある事業所ではパン屋を営業(パン作りも)しています。 私が働く社会福祉協議会に、週2回ほど作業所

          共同作業所のパン屋さん

          【障がい者の働く場】共同(共働)作業所

          現在は、就労継続支援A・B・(生活介護)型事業として、障がい者の方の働く場が制度化されていますが、それまでは、障がい者の就労の場がなく、卒業後は家の中に居るしかない状況におかれていました。 保護者や関係者が立ち上がり《就労の場》として、共同作業所(共働作業所)作り運動が全国的に拡がりました。 私の住む市でも、当初は数人の利用者や保護者により、《共同作業所》として開設されました。 自治体や社会福祉協議会等の協力は大きかったと思います。 その作業所では、クッキー作りを始め

          【障がい者の働く場】共同(共働)作業所

          児童養護施設の仕事を挫折して…

          私は乳児院の保育士として働くことが希望、いえ理想でした。しかし乳児院の就労先はなく、児童養護施設の仕事に就きました。 私は乳児院の仕事を探しましたが、この時、乳児院の求人はありませんでした。 その頃の乳児院は、乳児が2歳になるまでが対象(原則)で、その後は児童養護施設にて養育することになっていました。 幼児が2歳という年齢で、他施設に移行することには、幼児にとって大変なプレッシャーになるのでは?と疑問でした。 *児童養護施設も最近は変化しています。養護施設内に乳児院

          児童養護施設の仕事を挫折して…

          ”共同作業所„ 通所者のエピソード

          私が勤務していた(障がい児)通園施設の階下に、(障がい者の)共同作業所がありました。 障がいの種別・軽重とは無関係に、通所者はみんな楽しそうです。 主に通所者のお母さん達が支援されていました。お母さん達とも親しくなり、色々な話をするようになりました。 成人の息子さんや娘さんのお母さんは、子どもの全てをそのまま受け入れてありました。動揺も悩み事も過去に置いてきた…といった感じでした。が、やはり親の死後のことが 一番心配だったのではないでしょうか? 私達2人の

          ”共同作業所„ 通所者のエピソード

          ”自閉症スペクトラム„ Bちゃんのケ―ス

          (障がい児)通園施設の通園児のケ―スについて、様々の症状や行動について書きたいと思います。 Bちゃんのケ―ス:男児(3~4歳)は数字、仮名や漢字等には同年齢の児童と比較すると大変優れています。確か、難しい漢字なんかも読むことが出来ていました。 Bちゃんのお母さんは【自閉症】という障がい名には抵抗があったみたいで、【多分、アスペルガーでは…】と言っていました。 本児は、殊に数字には興味・関心があり、長けていました。具体的な決まった学習には、すごい能力を発揮しました。拘りは

          ”自閉症スペクトラム„ Bちゃんのケ―ス

          ”障がい児を受けてくれた幼稚園„

          (障がい児)通園施設に勤務していた頃のことです。 今では殆どの幼稚園、保育園でハンディのある子どもを受け入れていますが、当時は中々理解してもらえませんでした。 私の住む市では、福祉の面等々に理解を示していたので、私は当然、幼稚園や保育園は受け入れていると思っていました。 私の仕事先は隣市でしたが、割と閉鎖的で封建的な考えの市でした。 公立保育園が殆どです。公立保育園では、余り好い手応えはありませんでした。 ある幼稚園の園長先生に、この話を致しました。「理事長に話してみま

          ”障がい児を受けてくれた幼稚園„

          ”自閉症スペクトラム„幼児のケ―ス

          最近、成人の自閉症スペクトラム症状やADHDのケ―スをよく耳にします。 私達が、公的通園施設で療育に当たっていた頃、その障がい名に該当する子ども(男児)の症状について述べたいと思います。 Aちゃんのケ―ス:3~4歳だったでしょうか?言葉を発することはありません。施設には、お母さんや弟と一緒に通ってきました。 遊具も色々あったので、指導員に頼ってくることも少なく、自分の世界の中で、好きな遊びを黙々としていたような記憶があります。 絵の時間に白い画用紙に、黒のクレパスのみ

          ”自閉症スペクトラム„幼児のケ―ス

          花の便りが届く季節は近いのに

          近くの家の庭に、白木蓮の木がある。蕾が少しだけ顔を覗かせていた。また別の家には、山茶花が咲いている。 これから蝋梅や沈丁花とか、次々と花の便りが届けられる季節を迎える。本来は、心弾む季節が訪れる筈でした。 今年は、心弾むような気分にはなれない。年明け早々に、石川県能登半島の地震災害が起きて、多数の人々に被害が及んだ。 亡くなられた方も多い。 家族と共に、妻の実家に一家5人で帰省されていた夫は、妻と子ども3人を亡くされている。一瞬にして。 災害は、今では何処で起きても不思

          花の便りが届く季節は近いのに

          “産まれた子どもはダウン症„

          (障がい児)通園施設の指導員として勤めていた頃、自閉症(当時)、未熟児、脳性麻痺、ダウン症、原因不明の発達障がい児等、様々な何らかの療育が必要な児童が通っていました。 その場所は、育児に悩む保護者の安らぐ居場所でもありました。 〇〇ちゃんはダウン症でした。 〇〇せんせ~いと、いつも明るく愛嬌のある笑顔でやって来ました。 今でも、その児童の笑顔や姿は、そのまま目に浮かびます。 祖父母、両親、兄姉の7人家族です。兄や姉も、とても可愛がっていました。勿論お父さんも。 お

          “産まれた子どもはダウン症„