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🎬愛と哀しみのボレロ 感想

第二次世界大戦から冷戦時代を生きたフランス、アメリカ、ドイツ、ソ連の4つの家族2世代にわたる大河群像劇。

映画は当初第二次世界大戦時のフランスのユダヤ人夫婦、カラヤンをモデルにしたドイツ人音楽家、ソ連のバレエダンサーの夫婦、グレン・ミラーをモデルにしたアメリカ人スゥイングジャズバンドのリーダー、それぞれ全く別な視点で描かれていく。
登場人物たちがドラマの中で互いに交錯することはない。

ユダヤ人迫害の描写は、この映画の後にホロコーストを生々しく描いた作品がたくさん製作されているのでそれに比べるとどぎつい描写はなく控えめだが、短いカットながらガス室に送られる夫を見つめる妻の視線がその別れの残酷さや理不尽さを雄弁に物語る。

主役級の4世帯以外の人たちのことが非常に短くも印象的なカットで挿入され描かれていることも、むしろ効果的に当時の時代背景や人物を物語る。

アメリカのバンドリーダーのグレンが復員したときの家族のサプライズと二人の息子が戦死した家族の対比は、そもそも戦地に赴く人たちの立場の違いが明らかで考えさせられる。

子どもの世代になり世界は冷戦時代となるが、フランスのアルジェリア戦争からの復員など初見時にはわからなかったことが今回はよく理解できた。
ルドルフ・ヌレエフをモデルにしたソ連のバレエダンサーの亡命シーンは冷戦時代の文化的自由のあり方を象徴している。

映画は有名なチャリティーでの「ラヴェルのボレロ」のシーンで終わるのだが、さまざまな登場人物たちは唐突にそこで初めて一同に会すことになる。
そしてその場にいたりテレビなどでその様子を見ているのだが、それぞれの人生の過去や未来についての映画的解決は全くされない。

初見時は第二次世界大戦時に互いに傷つけあったり傷ついた人々や冷戦下で睨み合う立場の人たちが一同にボレロに耳を傾けるという描写に、端的に平和への希求というメッセージを読み取っていたのだが、今回ボレロのシーンを見て全く違う印象を持った。

冷戦ははるか昔に終わり、当時考えられていた平和は実現したはずなのに実際の世界はさらに混乱しているし、個人の生活や社会も複雑になって生きづらくなっている。

個人的解釈だが、クロード・ルルーシュ監督はそもそもこの映画を映画的解決に導くつもりはなかったのではないか?と今回思った。

ルルーシュ監督作品を、実は代表作の『白い恋人たち』も『男と女』も観ていないという、ちょっと恥ずかしい鑑賞履歴の私なのでここで監督の作風などに言及することなどできないのだが、監督は長尺とも思える人物たちの事実を描いた上であえて「ラヴェルのボレロ」という"音楽"と"バレエ"による抽象的な映画の着地を試みたのではないか。

映画の中では、ある特定の国の特定の体験をした人々が描かれているし、ボレロのシーンでカメラはその人たちを映すのだが、実際にカメラが映し出そうとしているのは、この映画を観ている国籍・人種・社会背景、さらに年代すら超えたすべての観客のほうで、ボレロの描写はそんな観客に向け抽象的問いを投げかけ、ボレロをどう解釈するかを観客一人ひとりに委ねたのではないか、と思えてきた。

今回鑑賞してみて、劇中語ってきた人々の物語はあくまで触媒で、観客に投げかけたボレロから観客が自分の過去や未来という人生や、あるいは世界のあり方など"繰り返されるリズム"というヒントだけを頼りに自由に思索させることがこの映画の結末、映画としての着地ではないか?
自分はなぜか涙が滲んできたのだが、それは自分の過ごしてきた過去に、あくまで自分個人が思いを馳せた結果のように思う。

人生に映画的解決など存在しない。
人生で一つの出来事に解決はあってもそれは人生そのものの解決ではない。
理不尽な戦争や、日本でも無慈悲な災害など、人生に襲いかかる苦難は終わることはない。
ボレロをそんな人生の苦難の繰り返しと解釈するか、それでも生きていれば繰り返し訪れるであろう毎日と解釈するか、それらすべてを観客の感性に委ね思索させることがこの映画の最終的な目的だったと今は個人的に思っている。
逆に「映画」という媒体を一定の時代や国籍、性別などの限定した人にだけ属するテーマから脱却させ、すべての人にとって普遍的なものにするという試みの一つだったとすると、何とも壮大だと言うしかない。
考えすぎかもしれないが、本作が映画という媒体に限りなく普遍的なメッセージ性をまとわせるという演出は間違いなく成功していると思うし、本作に限らず作り手の意図すら超えて普遍性をまとった「名作」と言われる映画が存在することを考えると、人生を生きる上での一つの指針となり得る映画の可能性をこの映画は意図的に示唆しているのかもしれない。
そんな確信を、なんとなくだが持てるのは、この映画に関しては、この映画の公開を境に「ラヴェルのボレロ」に何かしらのメッセージを込めようとする様々な分野のクリエイターや人々が急激に増えたのは事実だから。

この映画を美しく彩ったフランシス・レイとミシェル・ルグラン共作の音楽は映画史に残る。

そして、この映画と「ラヴェルのボレロ」を映画という存在すら超えた伝説へと押し上げたモーリス・ベジャールの振り付けは、神の領域と言っていいと思う。

一度は観るべき映画。


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