大事なので面倒
昨日、僕の誕生日に知人が僕の一番欲しかったものをくれた。
大事にしないといけない
シャツ8000円、靴下1500円、Tシャツ7000円、パンツ3000円、ズボン1万円、ジャケット1万5000円、コートで2万円、それは僕の渾身の服で、昨日着ていた服でもあり、僕が着るアイテムの中で
気兼ねなく身に着けることのできる金額の上限である
それ以上の金額のものや限定ものなんかを身に着けると、汚してしまう心配や壊してしまう恐怖心が生まれてしまう。まさに服に着られているといった有様になってしまうのです。
つまり、僕は大事なものを所持していたくないということです。大事なものは大事であるほどその縛る力が強くなる、それが家にあるというだけで出かけ先にいても気になってしょうがなったりするのです。「あれは本当にあの場所に配置して安全か、なにか倒れたりきてしてはいないだろうか」なんてことが頭によぎって外出が楽しめなくなりかねない危険物です。
それこそ『一番欲しかったもの』なんてのは最悪で壊れた時に「まぁ、でも一番欲しかったやつじゃないし」という最終防衛ラインをいとも簡単に攻略してしまう兵器なのです。
『大事にする』なんて言葉をつかえばいいように聞こえますが、それは言い換えれば『大切に扱わなければならなくなる』という、行動というよりも行動制限に近い代物です。
「大事なものとは!その引力をもって僕の行動を拘束し、時間を奪っていく悪魔的物質なのだ!!」
確か知人にもそのことを力説したはずなのだが、どうやら覚えていなかったらしい。
昨日、突然呼び出され何事かと思い、駆け付けるやいなや一番欲しかったものを僕に送り付けてくるというシュールテロリズムをもろに食らった僕はその後も放心状態のままで一日を過ごし、正直後半のことはほとんど覚えていない。油断した。酒の席で知人に本当に欲しいものを力説してしまったのが運の尽きだったのだ、『金』とでも言っておけばよかった。金はいい。言ってしまえばただの数字なので使っても足せば元通りになる。しかし、高いお金をだして買ったものは忽ち僕に意味を付与するのは一体何なのだろう。
僕は大量生産品が好きなんだ。替えが効いて希少価値を持たないそんなレプリカが良いんだ。自分の身体も使い捨てで替えが効けば最高で、オンリーワンなんかクソなんだ!!
そんなことを考えながら、僕は部屋に転がる『これから大事にしなくてはならないもの』を見て、微笑んでしまった自分の顔を強めに殴った。
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