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雨風のボーダーライン

 僕は開き直るときの感覚が好きだ。
 
 子供の頃、遊んでるときなんかに突然雨が降り始めて少し濡れたりすると気分は最悪だった。「また母親に怒られる」なんて思うと憂鬱で仕方なかった。しかし、もう防ぎようのないほどの雨風が吹き始めれば話は違う、「ここまで濡らすならもっと濡らしてみろ!かかってきやがれ」みたいな気持ちになって、その上持っていた傘が壊れたりなんかすれば気分は『最高潮で有頂天』なんて感じになってくる。何らかの防衛本能なのか、気分がよくなってくるのです。

 きっと、どこかボーダーラインがあってそれ以上になると、所謂『感情の慣性』みたいなものが向きを変えるんだと思います。平穏、平常から由来する緊張感や恐怖心のダムが決壊して自由が漏れ出てくるようなそんな感覚が昔から愛おしかったのです。いつもよりも状況は悪くなっているはずなのに気分だけは上がっていくその不思議な感覚のギャップみたいなものが好きでした。あの瞬間は何者でもあり何者でもなくなる感じがして、どこかで緊急事態を待つ自分がいました。

 中高生になると流石に少しそんなことが恥ずかしくなり想像や妄想で補うようになります。所謂中二病ですね。(僕の場合は強めに中二病を発症してしまったのでかえって小学生の頃より恥ずかしい事態になったりしたのですが…)

 大人になると雨ではしゃぐわけにもいけません。台風でテンションが上がっていることも公に口にしづらくなります。ダムの設備は頑丈になり、相当な大雨じゃない限り決壊は起きなくなりました。だからこそ大人というものは酒を呑んだり、お金を使ったり、ギャンブルをすることなんかによってその感覚を味わおうとしているのかもしれません。少しの水を放出することによって決壊の相似形を疑似的に作り出して…

 僕は今もイレギュラーな事態を探している。何か大雨や暴風が起きてはくれなだろうか心の中で祈ったりしているのです。

 そんなことを思いながら少し冷めたのご飯を口へ運んだ。今ではそこそこのお店のご飯も食べられるようになった、満足ではないがこれといった不満もない。しかし、このままというは少し癪だ。良くも悪くも何か大きな状況の変化があれば僕は開き直ってやろう。あの頃の大雨のような何かがあればその時は…
 
 その時が来るまで僕はこの場所から抜け出せない気がした。この熱くも冷たくもない温度が僕から牙や爪を完全に奪う前に僕の人生に台風が来てほしい。常温が僕を腐らせる前にせめてもう一度
 
 「傘をぶっ壊してしまいたい」

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