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0の過程

 ここに一つ0があるとしよう。この0は一体どういう経緯を経て出来た0だろうか。1と-1が相殺されて出来た0だろうか。それとも3億が打ち消されてできた0だろうか。ぱっとみただけではその真偽はわからない。しかし、我ら人間というのはいくつになっても大きな数に思いを馳せる生き物ではなかろうか。小さな数が産まれ消えてゆくものより、大きな数字を通って結果的に産まれた0という方がやはり格好もつくだろう。大きな波の中、自分という人間が誤差になるほどの大波の中産まれる数字こそが有難く、尊いものではないだろうか!自分が死にゆくときなんか色々あったけど人生プラスもマイナスも合わせれば0だったのほうが「なんもなかったなあってもなくてもよかったわ」の0よりいいだろ?お?なんだてめぇ?じゃあてめえは「こんなすごい恐竜いたらしいよ」みたいな話してるときに「でも今全員死んでるから0じゃん」みたいなこと言うのか?あ?そんな奴と一緒の部屋にいられるか!自分の部屋に戻らせてもらう!!

つまり、何が言いたいのかと言うと、俺の渾身の『親が3億当たったけどそのタイミングで3億の負債を抱えてトントンだった話』よりクラスの中心にいる男子の『今朝占い二個みたら片方1位で片方最下位だった話』の方が女の子に受けていたのは絶対におかしいということである。






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