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夏も近づく八十八夜〜

GWも後半戦へ、、

新茶はまだいただけていません。
姉の嫁ぎ先が静岡のお茶農家でしたので
毎年必ず新茶を飲んで長生きするように
送ってくれていましたが、もうかなり前に
茶畑を手放したこととお姑さんの老老介護
の日々で余裕なく暮らしているのでしょう。
きょうだいでも家庭を持つとお互いの優先順位がはっきり変わってしまうので仕様がありません。姉として姉らしいことを意識する方だったので本人が1番気になっているはずです。その辺をこちらからご機嫌伺いすべきなのでしょうが微妙な心持ちでいます。
先日も、学生時代からの友達が年賀状じまいから始まってLINEグループから脱会したりと
変化があったので…何かしら身軽にしたい年齢になったことを気づかせてくれました。
みうらじゅんさんが
宗教の概念を自分なりに解釈したことを述べていたのですが、無から生まれて来たのが無に帰るだけなのが死であるということです。
仏像マニアでも有名なので調べていくうちに
そういう心境になったということです。
しかし生きてるうちは煩悩から解き放されることはなく、さらに人に生かされていると思えば思うほど出会った人との御縁を大切にしたい気持ちの方が強くなるのも真実とおもいます。どこで自分をフェイドアウトするのかは勇気が必要でしょうが…その時までギリのギリで踏んばるのも自分らしいのではないか?などと思いはじめても゙います。自分終いは、
人それぞれの歩んできた人生の゙有り様ですから色々あって良いんです。

新茶の香(か)真昼の眠り転じたり
                一茶

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