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京住日誌 16日目

 いつものように?5時代に起床。ホテルのカーテンを開けると部屋に明るい日差しが差し込む。今日も良い天気のようだ。京都に来てからほとんど雨が降ってないのは連日市中を彷徨する者としてはありがたい。デジタル新聞更新まで時間があったのでまずは朝食の準備。もちろんカレーだが、味変?のためパスタと合わせてみた。我ながらパスタの茹で加減が絶妙で美味しくいただく。

○○様の作ったカレーだよ!亜くんをはじめ下々のモノも食べにこい!

 その後は新聞3誌斜め読みに続いてシャワーを浴び、お部屋でお勉強タイム開始だ。
  昨日の日誌にも書いたが応仁の乱の根底には家督権を巡る問題がある。何事も一旦約束したことを反故にすれば争いが起きのがモノの道理だがそれが家督権ならより泥沼化する可能性が高い。足利家、畠山家とも約束した家督権を反故にしたことで、文字通り血を血で洗う争いまでになってしまった。これは何も室町時代だけの話ではなく、現代においても(血で血を争うまでいかなくても)よく耳にする話ではある。例えば、今から十数年前の話であるが京都の某メーカーで起こった相続争いもそうだった。当時マスメディアで面白おかしく報道されたのでご存じの方も多いことだろう。
 争いの原因は2通の自筆証書遺言の存在である。1通目と2通目の内容が異なっていたため、特に2通目の遺言の真偽を巡って兄弟が争った。まとめ方がやや乱暴だけど、遺言上では足利家と畠山家の場合と同様、亡くなった父親が約束した家督権(この場合は会社の営業権)を反故にしたとも考えられる。室町時代とは異なり暴力抗争にはならなかったが会社の営業権だから兄弟にとって死活問題であり、血で血を争うのと何ら変わりないだろう。
 とここまで書いて考えたことは、足利義政も畠山持国も遺言書を書いたのかということ。家督の継承という重大でセンシティブな問題をまさか口約束だけで済ませるとは思えない。特に畠山家の場合、足利将軍家の承認が必要だったから何らかの文書を残したと考えるのが自然だろう。調べるべきことは多いですな。

 午後からは京都在住1年の脇さんからランチに誘われてる。烏丸駅で待ち合わせて、地下通路を通って三条河原方面に移動。
 人気店らしく並んでいる。少し待って入店。注文したのは名物の?天津飯と餃子。先般この店の近くです世界一不味い天津飯を食べたばかりだから、恐る恐るレンゲを入れたが、もちろん美味しい。餡は京都らしく薄味で優しい味だ。飲める天津飯である。

ご馳走様でした!

その後は白川近くにあるこれまた甘味の有名店へ。いつもなら並んでいるそうだが、並ばずに入店。年季の入った畳みの座敷に案内される。ややあって、注文した、宇治抹茶氷、わらび餅、抹茶が登場。 

脇さんは宇治抹茶ミルク金時を注文。

 ふわふわのかき氷で美味しくいただく。予想外だったのは氷がボリューム満点だったこと。満腹のお腹をさすりながら、ホテルに帰り、勉強の続きをした。夕食はいらないと思えるほとんどボリューミーなランチだったが、なぜか夕食時になるとお腹が空く。

誕生日にはカレーだね。

カレーチャーハンにして生卵を落とせば、自由軒風。ナスとタマネギの味噌汁と共に卵を崩しながら食べる。もちろん禁酒。食後も勉強を続けることができた。

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