ほなみん

乳がん再発転移して2年。43歳。 2年前の当時39キロ→今は49キロ。 ヨガクラスを再…

ほなみん

乳がん再発転移して2年。43歳。 2年前の当時39キロ→今は49キロ。 ヨガクラスを再開しました。 エイブラハムを知ってから全ては思い通りなんだと心の底から理解して、元気になりました。 (ホルモン療法中)

最近の記事

大嫌いな病院で働く

ユーチューバー宣言をしたものの 人好きで人の中で仕事をすることに 快を得るタイプの私は 誰もいない日中のリビングで あーでもないこーでもないと 独り言と共に動画を撮るということに とうとう匙を投げた。 楽しみにしてくださったそこのあなたに 心の底から謝ります。 (あれ、誰もいないか笑) 今ではないのかな?と前向きに。 もう少し時期が来たらと言うことで。 いつか病気の方向けにクラスをしたいと 熱望しているわたし。 でも自分で開催するとなると 場所の問題が出てくる。 こうい

    • 産みの苦しみ

      さて。 動画である。 前回の投稿で がんの為のヨガ動画を作ると宣言した。 さっそく三脚を取り寄せ、 リビングを片付けて 良い感じのスペースをこしらえた。 いきなりのヨガではアレかと思い 私の自己紹介、病気の経緯などを撮ってみる。 わぁ、顔が垂れてる。 わぁ、なまっとる! わぁ、後ろの壁汚いやん。 編集してみる。 字幕とかつけてみる。 わぁ、なんかわざとらしい。 嘘くさいかな? 大袈裟すぎる? などと 自分に厳しい。 動画あげたところで  はて…どなたが観てくれ

      • 鬼の顔で自然療法

        切除した後の話に戻る。 ステージ0で見つかり左胸をバッサリ全摘した後、 遺伝的要素が強い私に医師は ホルモン治療を薦めた。 しかし病院とは1秒でも早く縁を切りたかった私は お断りして 自分で再発を防止することに決めた。 当初はオペをするつもりさえなかった。 でも母の泣きのゴリ押しに押されてしまい 切除した。 今思えば 簡単な方に流れてしまったのかもしれない。 でもあの時もしホルモン治療を選択していたら… と思わないわけではない。 いや もっと違うベクトルで自然療法をし

        • はじめての患者のつどい

          杉浦貴之さんをご存知だろうか。 杉浦貴之「がんサバイバー・命を唄うシンガーソングライター&編集長」 (taka-messenger.com) がんを克服され、たくさんの治ったさんを冊子で紹介されている男性。 病床にあり、 絶望しかなかった数年前。 ぼろぼろの体と心でネット検索していた。 がん/再発/転移/余命/完治/寛解 なんてワードをひたすら検索。 すると彼のページにたどりついた。 食い入るように片目で (片目は転移で見えてなかったのです) 本当に食い入るように読

        大嫌いな病院で働く

          やってみたことアレコレ。

          ご無沙汰してしまった。 実は造園の仕事を辞めた。 去年の夏は越せたけど、 今年のこの夏の暑さ!生死に関わる。 それでもう辞めてしまった。 去年は去年でも暑かったんだけど。 なんとか越えたんだけど! 今年はもう乗り越えられなかった。 また倒れてもダメだしね。 この業種で割と若い女性が働いてるのって ものすごく珍しいらしいってのは やってて本当に納得。 ヘトヘトで帰っても家事が待ってるし。 しかもなんとステージ4だったガン患者が 脚立使って家より高い槙の樹を 切ってるんだか

          やってみたことアレコレ。

          闘わないし怖くない。

          きっと誰でもだいたいの人は ガン、再発、転移、と言われたら おしっこ漏らすぐらい怖いだろう。 しかもあちこち転移。胸水まであったんだし。 でもなぜか私はあんな状態でも 全然怖くなかった。 2年経って時々思い返すけど、 本当に驚くくらい平然としてたなぁ。 呼吸もままならず、心拍も爆上がり、 全身痛みで、おまけに右眼は見えてないのに。 看護師さんやOTさんに冗談言ったり 退院したらあそこのラーメン食べたい、 とか言いながら笑ってた。 なぜか…。 今のこの元気な身体を確信

          闘わないし怖くない。

          切った後の話

          バサっと左胸を切った。 もう切ったんだもの、もう誰にも文句は言わせない。 とばかりに、そこからは完全無治療。 医師には 遺伝的に再発する可能性が高いから ホルモン治療をおすすめします! と言われたけども…。 まっぴらごめんと お断りした。 さぁ、そこからがいかんやった。 あろうことか ガンについて 徹底的に勉強し始めたのである。 たくさん本を買い、 たくさん講演会に行き たくさんネット検索し。 なぜ姉は、私は、ガンになったのか? どうしたらガンは治るのか? きっちりガ

          切った後の話

          切りたくない

          とりあえずは病院に行ってみた。  いまから5年前の話。 医師曰く、 おそらくステージ0で切除したらおしまいの 非浸潤がんです。切りましょう! 絶対いやだ、と思った。 私の姉3人もみんな切除してる。 長姉は42歳で手遅れで見つかってて 亡くなった。 私が病気になる2年前に。 姉が亡くなってから私は一生懸命に がんについて勉強した。 病院に行かずに治す、いわゆる 自然療法的な本ばかりを 読んでいた。 石原結實医師、安保徹医師、ムラキテルミさん、 東城百合子さん、などなど。

          切りたくない

          待ち望んでいた乳がん。

          2017年、11月。 ある日、乳頭から出血した。 慌てふためいたりするんだろう。普通は。 でもわたしこう思った。 『あ…やっときた』 私はいわゆるTHE乳がん家系。 祖母、伯母、姉3人、父(男性乳がん) という 超サラブレッド。 だからずっと言われてた。 『あんたもなるから気をつけて』。 だからその時、 あーやっときたか。 呼んじゃったな。 呼び寄せちゃったな。 って思った。 当然よね。 だって準備してたもん。 お風呂でおっぱいチェックする度、 しこりを探し求め、

          待ち望んでいた乳がん。

          乳がんステージ4から始まった素晴らしい人生。

          ずっとずっと望んでいたことが今日! いよいよ! いま絶望の中にいる人に 希望の光となるような発信がしたい! ずっとそう思ってた。 2年前の4月。 私は息も絶え絶え、死体に近かった。 乳がんからの全身転移。 胸水で息もできない。 そこから今は…。 もともとのフリーのヨガ講師に加えて 炎天下で力仕事の造園業を毎日やっている。 毎日仕事と家事と、幸せな毎日。 2年前の私を診てくれたあの時のナースや医師が 今の私を見たら 尻もちつくくらい超驚くだろう。 きっと想像もつかない

          乳がんステージ4から始まった素晴らしい人生。