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ごきげんよう

「ごきげんよう」という挨拶言葉が好きだ。他人様との出会いや別れのタイミングの両方に使えるし、時間帯も関係ない。多少すました感じに受け取られてしまうのが難点だけれど、わたくしとしては、数ある日本語の挨拶の中で一等気に入っている。

出会いかがしらは「ご機嫌いかがでか?」、去り際は「ご機嫌よくお過ごしくださいね」と、相手の安穏を気負いなく願う。愛ある言葉と感じられる、この言葉。

ちなみに、「おはよう」は、お早くから活動されてご苦労さまです、「こんにちは」は、今日は〇〇なお天気ですね、お元気ですか?の省略形だとか。

ところで、思えば、子どもの頃から結構な大人になるまで、「不機嫌」がデフォルトだったわたくし。というのも、虚弱児で小さく細っこいわたくしは、たいてい体調が良くなかった。

そして、家庭では両親も素敵な人たちとは言い難く、とりあえず通う学校も、自分にとってはヘンテコな命令が多くて厄介だった。嫌われてはいないので、先生にも同級生たちにも冷たくされることはなかったけれど、本当に相性がいいかと尋ねられたら、かなりあやしかった。あとは具合が悪くて毎月のように数日寝込んでしまう。

不調なうえに、誰と何処にいても、落ち着かなくて、何の力もなく、大人に養われてその指示に従うしかないのもしごく不本意だった。

たぶんそのころのわたくしは、奈良美智が描く女の子ほどわかりやすくはないとしても、心の裡は全く同様な顔つき、または、「浮かない」顔をしていたと思う。↓こんな感じ。

スウェーデン映画の「ロッタちゃん」

成人過ぎてもたまに「なにか気になる?」と尋ねられる始末。ご機嫌なんかではなかったということだ。たぶん周りの人もわたくしと一緒にいて何かしら落ち着かなかっただろうが、自分のことだけに精一杯で他者を気遣う余裕などなかった。ふっと気を抜いた拍子に不機嫌顔をさらさないように心がけるのが、できてせいぜいなのだった。

さて、不機嫌の反対語である、ご機嫌。基本形の「機嫌」には似たような意味合いの「気分」と「気持ち」がある。どれも心持に関する言葉であるけれど、微妙にニュアンスが異なっている。

基本、良し悪ししかないのが、機嫌と気分気持ちは「感情全体を表し、心の状態をさらに詳細に内包」するワード。

そして、気分は「雰囲気を含み」機嫌は「主に他者の調子や状態をシンプル示す」というように使い分けられる。「ご」が付くと、気分は優れなくなったり、害されたり。対して、機嫌は、良いというニュアンスが加わる、または斜めになったり、取られる、うかがわれるなどする。

似ているようで、それぞれ異なる言葉たち。興味深いな、としみじみする。特に、「機嫌」はちょっと面白い、とわたくしは思う。

不機嫌な子どもだったわたくしもどうにか成長し、大人になると、それなりにできることが増え、時間や行動、経済的な自由を手にすると、生来の虚弱体質に自分なりの処し方を実行することで、段々と心身の調子を上げていけるようになった。そうなると、やはり「笑う門には福来る」ほどではないしろ、それなりに人間関係も、運まわりも良くなっていったように思う。

こうして、所謂まあまあな「ご機嫌」状態を体感できたわたくし。自分をなるべくそのような状態に保持することは、人生においてかなりメリットが多いと知り、自分のご機嫌取りがメインテーマになっている。

体調や境遇にそれほど気遣わずにご機嫌でいられたら、人生はずいぶん気楽でいられるだろうと想像するが、現実は残念ながらそうでない。ならば、それなりに対応すること、つまり自分の取り扱いを工夫していくほかないのだ。還暦を目前とした現在、それはほぼ上手くいっていると思う。

が、これから華女となって、これからは未体験な華麗な?加齢チャレンジが待っているであろう、と予測する。本格的な人生の冬、つまり、老齢期に向かうのだから、それに備えるノウハウが重要になってくるのは、明らかだと考える。これまで培った自分のご機嫌取りのスキルを駆使しつつ、新しいノウハウも仕入れながら、「ご機嫌な華女を目指したい」と切に願う。

それが、自分と周りを幸せにする心強い手立てになるだろう。

まずは、ご機嫌な華女となるための心構えを、と探してみれば、ちょうどよいヒントを見つけた。「無財の七施」である。

https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/000553.html

自分とご縁のある人に、お金を使わずともできる「良いこと」が、あたたかなまなざしとご機嫌な表情でいること。それに気が付くと、和顔を目指して自らのコンディションを整えることに、俄然やる気がわいてくる。

その実践の一つとして、「ごきげんよう。」という挨拶言葉をできるだけ使っていきたいと思う。その時は、いつも使っている「おはよう」「さようなら」のような気軽さで、「ごきげんよう」と身近な誰かに声がけしたい。

この華女のおしたく帖が、誰かの気持ちを軽くしたり、少しでもお役に立てるように、これから書き進めていこうと思う。

この記事を目にするご縁を得た方々がご機嫌な毎日を過ごされるように、とお祈りしつつ、ご挨拶申し上げる。どうぞよろしくお願いいたします。

咲は笑みと読むそうな。椿微笑う早春の庭

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和顔愛語 先意承問







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