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ep47 道中に出会う石像、石碑

 先日訪れた百夜月の紅梅寺跡の石垣沿いにあった庚申像をまじまじと眺めていて、色々気になりー少し勉強してみました。

 村境の探索には各所で古い石像や石碑に出会う事があります。いつの時代のものだろうか?と思いながら詳しく見る事も無く通り過ぎていましたが、最近になって年代や意味を知りたく、注目する様になりました。

 庚申さんの事は地元のお祭りから、怖い顔した神様に、何やら安全祈願でも行っているのだろう、と幼少期から何となく理解していました。

 それよりも地元では【お祭り=餅まき】の楽しみが強く、お祈りの時間が鬱陶しく思っていました。それほど餅まきが楽しみだったのです。

 そもそも庚申さんとは何か? 子供の頃は“行進“と思っていましたが、古くは平安時代に大陸から伝わった道教の信仰で、江戸時代、爆発的に全国に広がりました。

 三尸(さんし)と言う身体に宿る3種の虫が、『庚申(かのえさる)の夜』に悪行を閻魔様に報告するのだと言います。それによって寿命が縮まるので、庚申の夜は虫が出て行かぬ様、寝ずにひっそりと過ごす慣わしになっています。

 庚申かのえさるは干支(えと)の57番目で、60の倍数で訪れます。干支は時間を表す伝統的な単位です。一年の中で庚申は60日に一回、庚申の年は60年に一回。次の庚申に当たる年は2040年です。

 庚申像(庚申塔)は青面(ショウメン)金剛を表現されていて、その恐ろしい姿から、邪気や悪病を払うご利益が期待されました。特に病(伝染病)の予防治癒を祈ったといいます。これが、三尸を閻魔様の元に行かぬ様にという思いから守り神として崇められた様です。

さて、こちらが百夜月にあった庚申像です。

石板に囲われる庚申塔
薄ら見えるもの

 庚申さんの表情は怒りの表情ですが、これは何となくふっくらして女性の様に見えます。他の青面金剛を色々調べてみると、一様に怒りの表情が見られ、髪は逆立ちスーパーサイヤ人の様です。

 文字が刻まれている様ですが、風化により分かりません。通常年代が彫られています。

 腕は6本。左腕から、上には輪を持ち中段に弓、前にはショケラという髪を鷲掴みにされた半裸の女性っぽいのが見えます。

 右上には長い槍の様な物。中段は弓矢、前に短刀の様な物が見えます。

 足元にはゴーレムの様な(邪鬼)を踏ん付けていて、🙈🙉🙊3匹の猿が見えます。庚申の申は“猿“でもあるので、この様にデザインされている様です。

 百夜月の物は鼠男の様な頭巾(お高祖頭巾)をかぶっている様に見えます。女性っぽく頭巾をかぶっている姿は、古くにここに住んでいた尼僧を彷彿させますが、私にかかったバイアスなのかも知れません。

 これが作られた年代は分かりませんが、百夜月にある紅梅寺が作られたのが14世紀頃などと言われています。14世紀となると鎌倉時代。庚申信仰はずっと後の江戸時代一気に広まったので、江戸時代にここに住んでいた方々が据えたのかも知れません。今から300年程前なのでしょうか? 風化によって文字が読めないのが残念です。

 この様に、古くからある石像や石塔を見ると、「長い時間この場所を見ていたんだ」と感慨深くなります。

益々村境の探索が面白くなります。


おまけ

猿田彦大神は交通安全の神(東野)
文化2年は西暦1805年(東野)

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