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ボロい大学寮の友だち達

40年程前の大学生の頃。
私のいたデザイン科は、25人。
県外からの生徒は、10人ほどの女子で、県外メンバーは、よく集まって遊んでいました。
私は県外メンバーになるのですが、生家があり、祖母と暮らしていたので、通い組でした。

県外生は大学の周りにアパートを借りるか、寮かで、一年生は、寮生が多かったです。

大学の寮は、当時別府にあり、ボロアパートでしたが、部屋が三部屋あり、台所と水洗トイレが付いていました。
2人で住んでいた人もいて、大分市迄電車通学ですが、家賃も安かったしで、住んでいた友達も多かったです。

別府駅



友達の部屋に入ると天井にカレンダーやポスターの古い物が一面に貼っていました。
なんでそんなもの貼ったままなのか聞くと、
剥がそうと思ってめくってみたら木屑が沢山降ってきたのでそのままにしてあるらしいのです。
そお、シロアリにやられていたんです💦
夏を過ぎた頃、友達は、ありとあらゆる虫が
家の中に入ってきたと、言っていました。
ゴキブリ、蚊はもちろんハチやカメムシ、てんとう虫、バッタやカマキリまで、もちろん虫以外にも、蜘蛛、ヤモリなども出たそうです。

ヤモリ以外と可愛い


一応、別府の街中です。高級住宅地の中でした。

お風呂は温泉の共同浴場でした。入らせてもらった事もありますが、近所の一般の人達と一緒でよく喧嘩していたそうで、大学でその武勇伝を話していました。
そういう事もあってなのか、2年生になる頃は、寮を出る人が多かったです。
強者だけが残るアパートでした。

寮は別府の山の手と言われる駅より山側にありました。駅まで別府の高級住宅地の中を通って来るのですが、度々、「来る時に良いのがあったの」と鏡や食器や民芸品などゴミの日に拾ってきては、大学に溜めていました。

一度、別府駅のそばに大きなホテルがあり、寮生がホクホクと遅れて大学にやって来たことがありました。
何でも、「巨人軍」が宿泊していたとかで、急いで文房具屋に走って色紙を手に入れてサインを貰って来たというのでした。
その中に、「私、野球詳しく無いから」と「巨人軍」の中のおじさんに目が合ったのでサインをもらってきた。という友達がいて、サインを見せてもらいました。
なななんと、その頃、監督をしていた「王貞治監督」のサインでした💧
価値のわからない友達に、「知らなくてこんな大物にサインを貰うとは、、、持ってたら凄く価値が上がるかもよ。」と教えました。
豚に真珠とはこの事だと思いました。

1976〜1988巨人軍の監督でした


ある時、鯵が沢山安く売っていたと寮の友達が
何十匹も一日かけて、開きにして、部屋中に干して干物にするのと喜んでいました。
後日、干物はどうなったか聞いたら、全部、カビが生えてダメだったと、聞きました。
そう、ボロアパートは、湿気もこもる暗い部屋だったのです。

鯵の開きの完成を目指していたのだが、、、


流石に時代は流れ、別府の寮も無くなり、大学そばの綺麗なアパートしかなくなりました。
何十年ぶりに寮があった所を通ってみたら駐車場になっていました。
ボロでしたが歴史あるアパートでした。

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