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元祖平壌冷麺屋note(244)

教員最後の年に担任をした、教え子たちの同窓会に招待された。ひと月前に幹事役の学生からメールが届いたのだった。

仕事が終わってからの途中参加、会場へは、草野心平の「いぼ」を朗唱しながら登場した。緑のトレーナーで。

<いよう、僕だよ、出てきたよ。いぼがえるだよ、僕だよ。びっくりしなくってもいいよ。・・・>

彼らの初めての授業での登場シーンを再現したのだった。

10年前に中学1年生だった子供たちは、すっかり大人になっていた。

自分以外に、元同僚も3人招かれていて、1人は学生たちに混ざっていて、初めは気づかなかった。教員を続けていると若いままで歳を取らないのかも。

後輩教員3人のうち、2人はいまも学校で勤務していて、自分と入れ替わりで教員になった、元教え子は教頭になっていたから驚いた。

近況報告や昔話は尽きなかった。

東京の会社に勤めて人事を担当している子、音楽業界でエンジニアをしている子、同胞商工人として地域のために頑張っている子、熊本で働いている子、韓国に留学している子、みんなが自分のできることを、一所懸命にしているように見えた。

成長した子どもたちの、「それから」の一部を知る(教わる)ことができただけで、短期間だけど、教員をしていて良かったと感じた。

新年から間もないので、お年玉企画として、本のプレゼントをした。学生時代は、期末ごとのプレゼントは図書カードだったし、招待された卒業式では、それぞれに詩集をプレゼントしていたので、「やっぱり本か」という反応が面白かった。

1人が、卒業式に受け取った、石垣りんの「表札」の詩についての感想を話してくれて、嬉しかった。

用意した本は、
イェーリング「権利のための闘争」、エンゲルス「空想より科学へ」、マルクス・エンゲルス「共産党宣言」、「人権宣言集」、カミュ「革命か反抗か」、カント「永遠平和のために」、ショーペンハウエル「読書について」、ロングフェロー「エヴァンジェリン」、ワイルド「サロメ」「獄中記」、小林多喜二「蟹工船・党生活者」、シュリーマン「古代への情熱」、森鴎外「山椒大夫・高瀬舟」、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、ヒルトン「幸福論」、トマス・モア「ユートピア」

そして最後に、「読書の押し付けほど迷惑なことはないよね」と村上春樹が話していたような気がする、という言葉を紹介した。

思い返せば、先の学生が話してくれた、石垣りんの詩を紹介すれば良かったかも。

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない 
石垣りん
それでよい。

石垣りん「表札」

二次会は固辞したものの、絶対に来てくださいという言葉を断りきれず、それどころか、チェンソーマンの主題歌と、サザンの「ピースとハイライト」を熱唱してしまった。反省。

魔法のような、宝石のような時間をありがとう。卒業生たちの変わらぬ活躍と安寧を、心より願います。



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