見出し画像

元祖平壌冷麺屋note(70)

娘のピアノ教室へ。少し早く着いたら、教室から聴こえてくるピアノのスケールが、免許皆伝レベルだったので、そっと入ってみると、先生が弾いていたのだった。そりゃ、そうだ。

アントニオ猪木がこの世を去り、力道山に逢いに行った。訪朝歴30回以上、玉流館での平壌冷麺のおかわり記録も30回以上という、現地では伝説となった日本の三大偉人のひとり。

夢枕貘さんは、日本の三大偉人を空海、宮沢賢治、猪木としている。また、樋口毅宏さんは、日本史上もっとも語れてきた人物は親鸞で、プロレスラーではアントニオ猪木だと語っていた。

ガラケーを持ち始めた大学1年のとき、着信音は「猪木のテーマ」だった。着信音は、数字を音符表と対応して、自分で入力する方式で、「猪木のテーマ」と「ポランドゥシ(当時の共和国のヒットソング)」の二曲をハモり付きで登録していた。

着信があると、音楽に合わせて「ファイッ!ファイッ!」とテンションを上げた後に、一気に素に戻りながら「はい」と電話を受けていた。

過去に訪朝したのは、二回だけだけど、猪木氏との遭遇率は100パーセントで二度目は革命の聖山・白頭山の頂上で遭遇したので、同じく猪木ファンの友人と三人で天地をバックに3ショットを撮って頂いた。喜色満面、自然に顎がしゃくれていた。

師匠の力道山が朝鮮出身だったことから、日本と朝鮮の架け橋となるべく、奮闘してくれた。母校の大学にも何度も訪ねてくれて、闘魂を注入してくれた。

どれだけ勇気とパワーを得ただろう。国籍が朝鮮というだけで、忌むべき対象とされたり、透明人間にされたり、という経験を繰り返してきたけど、猪木氏の言葉は常に、ストレートに元気があふれていた。

「俺は人が喜んでくれるのが生きがいというか、喜び」
「優しさのない正義はなく、強さもない」
「落ちたら、また這い上がってくればいいだけのこと」

「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ!」
この言葉は、共和国のスローガン「道険笑歩」ともリンクする。

猪木氏は、一足先に、新しい道を進んだ。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。

アントニオ猪木

日朝関係の道は、まだ足踏みが続いているけれど、猪木氏の言葉を踏みしめて、前へ進んで行けますように。

元気が一番。元気があればなんでもできる。

1、2、3・・・ダーッ!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?